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「第3の開国を迎え日本の未来は地方にあり」―加来耕三(歴史家・作家)

歴史家・作家 加来耕三氏

今から50年前、日本は高度経済成長の只中にあり、明治維新100年を感慨深く振り返る雰囲気が強かったという。しかし150年の現在、先行きの不透明な時代の中で、明治以来の政治・経済のあり方を問う動きが生じている。今改めて明治維新を振り返り、われわれが学ぶべきことは何か。歴史家・作家の加来耕三氏に話を聞いた。文=村田晋一郎 写真提供=加来耕三事務所

戦後有効だったやり方から脱却すべき第3の開国

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かく・こうぞう 1958年生まれ、大阪市出身。奈良大学文学部史学科を卒業後、学究生活を経て、84年に奈良大学文学部研究員。現在は大学・企業の講師を務めながら、歴史家・作家として活躍。

 現在は、第3の開国にあたるという見方があります。明治維新が第1回目で、終戦が第2回目、今がその第3回目だと。第1の開国の明治維新では四民平等になり、武士の支配が終わりました。

 その後、中央集権化を進めた官僚のうち、特に陸・海軍の官僚が暴走して日本を軍国主義で貶めてしまったのですが、第2の開国である終戦では、軍国主義が否定され、陸・海軍の官僚は排除されました。

 しかし中央の官僚は、そのまま残ったわけです。結局、第3の開国では、中央官僚の体制、今までの政治・経済のあり方はこれで良かったのか、が問われてきているわけです。

 「有司専制」という言葉がありますが、一部の選ばれた秀才が国を牽引していくという大久保利通の路線は、戦後のある時期までは有効でした。中央の官僚が高度経済成長に尽くし、その間に終身雇用制、年功序列を代表とする日本型経営が定着したわけです。

 しかし、コンセンサスを大事にするために、逆に決断ができない組織になってきていることが、第3の開国と言われる現在、問題になっています。

 日本型経営の代表選手と言われた企業が、軒並み潰れてきています。コンセンサスを大事にし、内部で競わせて、エリートをつくり、そのエリートをできるだけ怪我させないように社長にするという、第2の開国以来のやり方が、もう通用しなくなってきている。

 経営者、リーダーは、即断即決ができなければなりませんが、即断即決ができる人間は、修羅場をくぐっている人間です。計画人事の中で、のほほんとエリート路線に乗った人間では、不透明な時代に決断はできません。

 では、明治維新の時はどうだったのかを考えてみると、結局、それまでの江戸時代に通用してきた人たちが通用しなくなり、新しい人間が出てきたわけです。それが西郷隆盛であり、大久保利通であり、いわゆる「非常の才」といわれる人たちでした。その非常の人、つまり非常の才能を発揮した人間が、明治維新を動かしたわけです。

 それは第2の開国の時も同じで、終戦を迎え、日本は何もかも失い、廃墟の中から立ち上がってきた人たちは、普通ではない人間だった。平時には役に立たないけれども、非常時に役立つ人々が出てきました。第3の開国といわれる今、まさに求められている人材は、非常の才なのです。

 非常の才を生み出すことを考えた場合、その環境が今、日本の国には整っているのかということが問題です。日本が負け続けているということは、結局、人材が育っていないわけです。

 乱世になっているにもかかわらず、平時のまま過ごしている。これは第2の開国の時の太平洋戦争がそうでした。イギリスにしろアメリカにしろ、平時は成績優秀な人間が、海軍では「ハンモックナンバー」という卒業席次によって、順番に出世していく。

 ところが戦争が始まると、インスピレーションの高い人間、独創性のある人間が、前に出てくる。しかし日本だけは、相変わらず計画人事でハンモックナンバーの順番に、指揮官を選んだ。結局、ミッドウェー海戦でやられてしまいました。今まさに、それと同じ状況が続いているわけです。

 早く人材を入れ替えて、戦う時代を開かないと、このままでは埒が明きません。求められるのは、非常の才であり、問題はそれが出てくるかどうかだと思います。

加来耕三氏が予測するありえないような現実とは

 どの程度の規模になるかは予測できませんが、私は東京オリンピックが始まると、日本売りが始まると思っています。十数年間続いて利益を上げてきた企業の株も紙屑になり、最悪、銀行が潰れるような事態にでもなれば、ハイパーインフレが起きて、ありえないような現実が出てくるだろうと。

 そのとき、それに対処できる人材がいれば、そのダメージは軽減されますが、今の日本のスピードを見ていると、危うくなったときに、ようやく非常の才が出てきそうですね。遅れて出てくるため、いわゆる「空白の~」と言われた10年、20年が、今度は30年、40年に広がる可能性があります。

 歴史の繰り返しは、同じ形にはならないけれど、似たような形には必ずなります。もし破綻した場合のモデルケースで、最悪を考えるなら、1930年前後でしょう。当時の日本の産業・経済の主軸は農業でしたが、28年に明治維新以来、最低の農業生産額に落ちました。

 言い方を変えれば、農業立国・日本がこの年に倒産したわけです。そして倒産しているにもかかわらず、翌29年に世界恐慌がやってくる。倒れているところを、さらに踏みつけられたわけです。

 ここで行く道は2つです。ひとつは「日清・日露の夢よ、もう一度」で、アジアに覇権を広げていき、なんとか国体を維持していくやり方と、2つめは植民地の大半を放棄して「小さい国・日本」に戻るという方法でした。

 結局は前者でしたが、中国一国とですら講和を迎えられないのに、それが途中でアメリカが相手になり、勝てるわけがないわけですよね。太平洋戦争は勝てる目算が立っていないにもかかわらず、突っ込んだのです。なぜかというと、もし後者を選んで、「小さい国・日本」を目指したら、右左は別にして革命が起こってしまいます。

 国家で一番問題なのは、国体が変わることです。国家は、いつの時代でも国体を守っていて、国民を守っているのではないのです。国体を守るためには、突っ込んだほうがいいというのが、太平洋戦争開戦の本音でした。

 本来なら、負けて全部失ったわけですから、ここで革命が起こって然るべきでしたが、原爆まで投下され、やられすぎたわけです。そこへ朝鮮特需が発生し、高度経済成長の道のりができ、革命が起こらなかった。社会革命が起こる土壌はあったにもかかわらず、ギリギリのところでたまたま助かっただけの話です。

 戦前は「戦争はできません。やれば負けます」という一言が言えなかったわけです。もしそれを口走ったら、その政権は飛散したでしょう。それに国民が納得しません。無理やり日清・日露戦争に付き合わされて、今さら何を言っているんだという話になりますよね。

 まさに、今の日本も同じです。特に平成に入ってからの国家予算の推移を見ると、膨張しているのは2つ。国債の利回りと、あとは福祉関係の追加予算です。公共投資はほとんど増えていない。お金がないのです。

 「もうお金がありません。無理です。福祉はもう限界を超えています。これからはお金のある人はある人なりに、ない人はない人なりにしてください」と言いたいわけです。でもそう言えば、政府は瓦解してしまいます。戦前と全く同じ状況に今、日本は追い詰められているわけです。

 オリンピックの年、もしくはその翌年が恐らく明暗を分ける年になると思います。私の感覚では、超特急に乗って、窮地に突っ込んでいる感じがします。予測の通りになっても、別に国がなくなるわけではないので、われわれはどう生きていくかを考えなければいけません。

日本の未来は地方にあり

 明治維新は、大久保利通の富国強兵、殖産興業の路線を押し進めました。しかしもう一つ、実は明治維新には方法論があったのです。それは前田正名(まえだ・まさな)という人が提唱した、農業を大事にし、特産物を育て、県が強くなり、地域が連帯すれば、国全体が強くなるという考え方でした。

 ところが、明治維新では、封建制をとにかく打破しないと、欧米の植民地になってしまうという危機感から、中央集権化を急ぎました。このこと自体は、間違っていなかったのですが、前田正名の、もう一つの明治維新の方法論は無視されてしまいます。

 今、日本は第3の開国を迎えるにあたって、多少の余裕はあるのです。落ちると言っても、国力は明治維新の頃に比べたら、はるかに強いですから。今度はもう一つの明治維新のほうを、考えてみるべきではないかと思います。県がそれぞれ強くなり、地方が強くなって連帯して国を支える。それが中央の官僚制を打破することにもつながるのではないか。そこに第3の開国の勝利への解があるような気がします。

 地方が力をつけていくことによって発言力を増していけば、中央は嫌でも、既得権益を地方へ分散せざるを得なくなります。中央を変えるのは無理だから、地方が強くなる方法を考えるべきです。そのためには戻ってくる人たちを含めて、人材が地方へ集まっていかないといけない。そして、地方から非常の才が出てくる。そういう時代がもう来ているような気がしますね。

 地方については、例えば鹿児島が面白いです。2018年のNHKの大河ドラマの『西郷(せご)のどん』のご当地です。鹿児島は幕末以来の気質みたいのものが残っています。私が一番感銘を受けたのは、九州新幹線をつくる時に、JRは南に向かってスタートしましたが、鹿児島だけは自分のところから掘り始めた。「チェスト行け!」の世界ですよ。あの精神は実に図ぬけている。

 なおかつ鹿児島の人は薩英戦争の時もそうでしたけれど、完敗したら、一から反省するのです。薩英戦争までは、「何を夷狄(いてき)が」ぐらいに思っていたのですが、完膚なきまでにやられて、すぐにイギリスに学ぼうとなる。

 同じことが言えるのは、昔、『翔ぶが如く』(1990年放送)という大河ドラマがありました。あの時に観光客が最高の数字を上げたのです。ところが鹿児島県は、リピーターについて考えなかったので、翌年から観光客が一気に落ちた。落ちてから、これはダメだということで、どこに泊まってもらって、何を売って、どういうふうに連動させるのかを一生懸命考えた。

 そして迎え撃った『篤姫』(2008年放送)の時に、『翔ぶが如く』の時の最高を超えたわけです。以来その取り組みはずっと続いていて、観光の収益が、県の主力商品である農業の県外輸出額と並びました。だから観光収入と農業収入の2つがあるということは、地元に若い人が帰ってこられる可能性が高いわけです。

 大きく時代が変わると、価値意識も変わってきます。例えば今回の場合は、物質的な豊かさから、心の豊かさに転化するだろうと思います。東京で働いたら給料は良いけれども環境は良くない、家族間における交流もできない。ならば田舎に帰って、給料は安いけれども、心豊かに生きたほうがいい、と考える人が出てくるわけです。そういう人たちにとっては、鹿児島はもう受け入れ態勢ができています。そういう県はいくつもあると思います。

 帰ってきても、働くところがなければどうしようもないですし、地方の時代はいつまでたっても開かれない。しかし地場産業の力、あるいは特産物を多く持っている、観光行政に力を入れている地域は、新しい才能を迎えられるわけです。今までのリターンはほとんど引退組で、戦力になっていません。全く新しいリターンが、これから始まると思います。それを第3の開国の一つの目玉にするべきです。

 恐らく次の地方の時代を動かす人材は、必ずそういう地場産業、地力(じりき)のある地方から出てくる。まさに幕末に薩長土肥が出たのと同じだと思います。薩長土肥がなぜ出てきたかというと、みんな海を持っているわけです。海に開かれた部分を持っていて、地力を高めた。特に薩摩にとっては、江戸までと上海までの距離は同じで、なおかつ琉球を抱えて、そこから世界を見ていた。そういう県がこれから、出てくるだろうと思います。

 一方で、これから気をつけなければいけないのは、東北地方が後れをとらないようにすることです。明治維新の時と同じように、奥州が取り残される可能性がある。現状ではむしろ、北海道のほうがどんどん進んでいます。

 心豊かに生きながら、地方を支えていく。新しい才能が地方に入ってくることによって、今ある収益をどんどん広げていく。そういう形がこれからできてくる気がします。そのためには出発点である明治維新をもう一度見直してもらいたい。そして、知られざる英雄もいれば、誤解されている傑物もいますから、そこに関心を持って見ていけば、ヒントは幾らでもあると思います。(談)

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