マネジメント

 醤油という日本を代表する調味料を海外に普及させ、キッコーマンをグローバル企業へと成長させた茂木友三郎名誉会長。その足掛かりとなった若き日の挑戦と、経営者としての原点であるアメリカ留学時代を振り返る。構成=本誌/吉田 浩 写真=森モーリー鷹博

醤油を知らないアメリカ人をあえてターゲットに

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(もぎ・ゆうざぶろう)1935年生まれ、千葉県出身。58年慶応義塾大学法学部卒業後、野田醤油(現キッコーマン)に入社。61年米コロンビア大学経営大学院修了。79年取締役、95年社長CEO、2004年会長CEO。11年取締役名誉会長、取締役会議長就任。

神田 キッコーマンの特徴として、非常に早い時期から海外展開をされていたということがあると思います。今や売り上げ4千億円の6割弱、営業利益の7割以上が海外で占められている。昭和30年代に海外進出された理由とは。

茂木 昭和30年頃になると国内の醤油の需要が伸び悩んできました。昭和20年代は、醤油は作れば作っただけ売れました。戦中に原材料と労働力が不足して醤油を作れない時代があり、そこから回復する時期でした。それが落ちつくと、売り上げの伸びが鈍化したのです。醤油は生活必需品ですから1人当たりの消費量が一定で、人口の伸び以上に売り上げは伸びていかないんです。

神田 高度経済成長期に差しかかり、内需拡大の時期だったと思いますが。

茂木 そのとおりで、景気はどんどん良くなっていき、日本経済は明るく希望に満ちていました。ですから、どの企業も事業計画を作ると2桁成長が何年も続くような計画書になるんです。しかし、醤油は景気が良いから劇的に売り上げが伸びるという商品ではありません。当然、他の企業とは成長力が違うということになります。

神田 その対策として海外進出を考えられたということですね。周囲からはどのようにとらえられていたのでしょうか。

茂木 ほとんどの会社は海外市場に興味がなかった。だから「キッコーマンさんは海外でも売っているそうですね」と話のタネになるくらいのものでした。

神田 そもそも、アメリカで醤油は知られていたのでしょうか。

茂木 アメリカに出る時、そもそもターゲットをどうするかという議論はありました。現地の日本人、日系人をターゲットにするという考えもあったそうですが、最終的には“現地のアメリカ人”をターゲットにすることに決まりました。アメリカに日本人や日系人がいくら多いと言っても、限界があります。でもアメリカ人を相手にすると数億人になる。だったらそちらに挑戦しようと考えたんです。

神田 しかし、醤油がアメリカ人に受け入れられるかどうかは、分からなかったわけですよね。

茂木 恐らく受け入れられると考えていました。というのも、戦後、ビジネスマンや官僚、ジャーナリストなど、多くのアメリカ人が来日し、街中で生活していて、彼らは、醤油をアメリカの料理に使い始めていたんです。それを見ていたので、「アメリカにも醤油の潜在需要はある」と確信していました。

資本金以上の投資で米国工場建設を断行

20161206KANDA_P03神田 しかし、アメリカ進出も、最初は苦しかったのではないでしょうか。

茂木 最初は赤字ですね。まだ規模が小さかったので、ビジネスとしてはお話にならない。そんな時に、ちょうど私はアメリカ留学から帰り、長期計画を担当していました。計画作りの中で検討すると、日本で作った醤油をアメリカに運んでいると輸送費がかさみ、利益が出ないことに気付きました。このままではどう頑張っても黒字化なんてできない。そこで、現地工場を作り現地生産に踏みきってはどうか、という話になったんです。

神田 赤字のところにさらに投資しようということですか。

茂木 そうしないと採算が合わないんです。しかも、工場を作るのに当時の会社の資本金以上の投資が必要でした。普通なら撤退になるのですが、現地生産さえすれば採算ベースには乗る。それは確信していました。周囲からは無謀に見えたでしょうが、黒字化の見込みは立っていたんです。

神田 たとえ見込みが立っていたとは言え、資本金以上の投資となると一筋縄では決まらないでしょうね。

茂木 取締役会に稟議書を提出して、2回保留になり3回目で通りました。30代の若僧が偉そうに稟議書を書いて、しかも、とんでもない金額を投資しようとしている。よく3回で通ったなと思います。現地で工場用地を探すと、いい場所があったのですが、そこは農地でした。工場を建てるには農地を工業用地に転用しなければならないのですが、ここで現地の人が大反対した。工場なんて作ったら公害が出るというんですね。そこで、「醤油工場では原材料は大豆と小麦だけだ、公害は出ない」と説得して回り、時間をかけて理解を得ました。ところが工場が稼働してすぐにオイルショックがあって、想定以上の大赤字を出して社内では針のむしろでした。しかし、その後売り上げは順調に伸びて、操業開始から4年で累損を一掃しました。

ドラッカーと出会い経営への興味がわく

神田 アメリカに留学されていたということですが、どういった経緯だったのでしょうか。

茂木 大学時代にドラッカーの“The Practice of Management”日本語のタイトルが「現代の経営」という本に出会ったからです。

神田 まだドラッカーの名も日本では知る人ぞ知るという時代ですね。

茂木 そうです。人から紹介されて読んだのですが、学生でもあり、経営のことなど何も分かっていませんでした。ところがその本を読むと、すっと理解できる部分があるんです。それで経営に興味がわいてきた。しかも、アメリカでは「経営学」というものがあって、大学で教えているらしいと聞いたんです。うまいことに、大学にノースカロライナ大学のホワイトヒルという教授が招かれていて、講義を受けてみると、これが非常に面白い。労務管理の講義だったのですが、日本の教授は90分間、喋っておわりなのに、その先生は講義の半分を質疑応答と議論に当てている。アメリカではこんな講義をずっとやっているのかと思い、アメリカのビジネススクールに行きたいと思ったわけです。

神田 当時はアメリカのビジネススクールでMBAを取るということについて、ほとんど知られていなかったのではないでしょうか。

茂木 誰も知りませんでした。大学の先生も知らない。アメリカ大使館に問いあわせても誰も知らず、なんとかアメリカ文化センターを紹介してもらったんです。そこでようやくビジネススクールのことを知ることができた。

 そこでいろいろ調べると、アメリカのビジネススクールにもいろいろある。まず教え方が3つあるというんです。1つ目が日本と同じようなレクチャー、次がケーススタディー、つまり事例研究のようなものですね。3つ目がその2つを組み合わせたものでした。レクチャーだけなら日本と同じです。ケーススタディーについては、当時はビジネスの形が日本とアメリカでは全く違っていたので、学んでも無駄になるかもしれない。そこでミックス型で教えているところを調べると、ニューヨークにあった。それがコロンビア大学でした。

留学中の2年間で10キロ体重が減った

神田 アメリカのビジネススクールに行く日本人はほかにいなかったのですか。

茂木 ほかに何人かいましたよ。でも、コロンビア大学でMBAを取得した日本人は私が初めてです。

神田 それはすごい。ほかの方はどうなったんでしょうか。

茂木 途中で辞めてしまうんです。とにかく辛い。特に1学期目は投げだしたくなる。辞める気持ちも理解できます。何よりも今以上に日本人の英語力は拙い。テキストを読むにもアメリカ人の倍の時間がかかる。毎日、100ページ以上のテキストを読み込んで、講義を受けて、小論文の作成、ケーススタディーの勉強、試験対策とやっていると、睡眠時間が3時間以下ということも珍しくありませんでした。

神田 そこまで苦労されたビジネススクールの経験は、アメリカでの工場建設において役立ちましたか。

茂木 ビジネススクールの効用は、大きく4つあると思います。まず、ビジネススクールで学ぶ2年間は、10年間の実務経験に匹敵するということです。さまざまな会社のさまざまな部署でやっていることを包括的に理解できる。普通に企業の中で10年経験を積んでも、なかなかそこまでの知見は得られません。次に、ビジネス英語が身につく。これは工場建設でも交渉時などにはとても役立ちました。3つ目は、友人ができるということです。アメリカ人だけではなく、他の国から学びに来ている人たちとも友人になれます。実際、工場建設の時にコンサルタントを雇いましたが、彼はコロンビア大学時代の友人です。ここでできた人脈は、後々でも役に立ちました。最後は、辛さに打ち克つ力が付くということでしょうか。

 私は2年間で10キロ痩せました。帰国した時に、母は私が病気になったと思ったほどです。実際は健康なのですが、それくらい辛かったことも事実です。この4つは大きいですね。しかし、工場建設時よりも、当時の経験が役だったのは、やはり社長になってからでしょうね。(後編に続く)

(かんだ・まさのり)経営コンサルタント、作家。1964年生まれ。上智大学外国語学部卒。ニューヨーク大学経済学修士、ペンシルバニア大学ウォートンスクール経営学修士。大学3年次に外交官試験合格、4年次より外務省経済部に勤務。戦略コンサルティング会社、米国家電メーカー日本代表を経て、98年、経営コンサルタントとして独立、作家デビュー。現在、ALMACREATIONS 代表取締役、日本最大級の読書会「リード・フォー・アクション」の主宰など幅広く活動。

海外でも愛される企業になるために—神田昌典×茂木友三郎(後編)

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