文化・ライフ

いつの時代も、何かを成し遂げる人は“パッショニスタ”だ。熱き思いをその胸に抱き、不確定な未来へ向かって果敢に挑んでいく。今回は、日本人が勝負するのは難しいとされてきた男子走高跳界において、2メートル35センチの記録を出して2019年に国際陸連のランキングで世界1位になり、2020年の東京五輪(7月28日~8月9日)での活躍が期待されている戸邉直人選手です。聞き手=唐島明子 Photo=山内信也(『経済界』2020年3月号より転載

 

戸邉直人選手プロフィール

戸部直人

(とべ・なおと)男子走高跳・日本記録保持者 サブ [パッショニスタ列伝] とべ・なおと 1992年生まれ、千葉県出身。筑波大学大学院で博士号を取得し、2019年4月にアスリート社員としてJALに入社した走高跳の選手。同2月のヨーロッパツアーのドイツ戦では2メートル35センチを跳び、13年ぶりに日本記録を2センチ更新した。現在、男子走高跳の日本記録保持者。

 

戸邉直人選手が走高跳で五輪を目指すようになった経緯

 

―― 戸邉選手が走高跳を始めたきっかけを教えてください。

戸邉 もともとスポーツが好きな子どもでしたが、小学校3年生の時に体育の授業で走幅跳をしたら、クラスで一番遠くまで跳ぶことができたんです。それでジャンプするのがすごく楽しいなと思って、小4の時に学校で陸上競技のクラブに入り、最初は走幅跳をやっていました。しかし私の動きを見た顧問の先生から、「高跳びをやってみたら」と薦められ、それから走高跳を始めて、今に続いています。

―― 五輪を目指すようになったタイミングはいつですか。

戸邉 小学校の頃から、漠然と「いつか五輪に出たい」という夢を持っていましたが、本当に選手として五輪を目指し出したのは高校3年生の頃からです。中学校の時は全国大会で優勝し、高3の時に日本高校記録を出しました。

 その1年後には20歳未満の世界ジュニア陸上競技選手権大会で銅メダルを取って、世界で戦う上での自信になり、次は全世代共通のオリンピックや世界選手権でメダルを取りたいと思うようになりました。そこで具体的に、「次は世界だな」と意識するようになったという、結構自然な流れでしたね。

 

東京五輪に向けた体調管理と調整法とは

 

体調が上がらず結果が残せなかった世界陸上

―― 2019年の夏から秋にかけて、戸邉選手は男子走高跳で世界ランキング1位になりましたが、同9月末からドーハで開催された世界陸上では予選で敗退してしまいました。その状況をどう分析していますか。

戸邉 陸上競技の選手がその年で一番狙うべき試合は五輪や世界陸上で、19年はドーハの世界陸上でした。例年だと五輪や世界陸上は7月から8月にかけて開催されますが、今回は開催地がドーハだったこともあり、10月にずれ込みました。

 身体の調子をいつも良い状態に維持するのは難しく、最も狙っている試合に向けて体調や技術的な浮き沈みをトレーニングで調整していきますが、19年は6月あたりに一度グイっと上がってしまいました。そこでその調子をいったん落としてから、世界陸上に向けてもう一度上げようとしましたが、うまく上げられなかったという状況です。

―― 普通の人にとって身体の調子が良いとなると、「よく眠れた」とか「お腹の調子が良いな」ですが、アスリートにとってはどのようなものですか。また、その調整はどのように行うのでしょうか。

戸邉 やはり一番の基本となる体調は、普通の人が普通に感じる身体の調子です。究極的には試合の朝、目覚めたら分かります。目覚めが良く、すごくスッキリしていて、ベッドから出て身体が軽いなと感じたら、跳べますね。

 この基本的な体調の波も、トレーニングで調整していきます。例えば、ハードなトレーニングをすると身体はかなり疲れます。そうしてガクッと調子を落として、そこからトレーニング量を調整して体を回復させてくると、だんだん調子も上がってくるといった感じです。

東京五輪で一番いい体調に持っていく

―― 東京五輪に向けた調整では、どのようなタイミングで調子を上げますか。五輪の代表選考も兼ねた、五輪直前の6月末に開催される日本選手権との兼ね合いが気になります。

戸邉 本番の五輪で最高の結果を残すために、五輪で一番いい状態に持って行こうと思ったら、日本選手権は100%の状態では絶対に望めません。最高ではないけれど、ちゃんと通過できるところ、良すぎず悪すぎずという状態を狙います。

 スポーツの中でも特に陸上競技は、本当に身体能力で戦う競技です。その中でも走高跳は技術的要素があるほうですが、それでも95%くらいはその日の身体の調子で結果が決まります。技術的なものはもちろんですけれど、それ以上に、狙っている試合に向けてコンディションを整えていくことが大事になります。

五輪で最高の結果を残すためにコンディション調整を行っている

戸邉直人選手のトレーニング法と技術の磨き方

 

走高跳の跳躍では踏切足に1トンの負荷

―― 毎日のトレーニングについてですが、実際に跳ぶ練習は週に1回くらいしかしないと聞きました。

戸邉 そうなんです。走高跳の選手は毎日跳んでいるイメージがあるかもしれませんが、試合直前の最後の調整をするときでも週に2回、試合がない時期だと週に1回も跳ばず、2週間に1回跳ぶか跳ばないかです。

 というのも、走高跳は踏み切る時、踏切足には約1トンの力がかかるといわれています。それが跳ぶたびに発生するので、1本ジャンプするたびに、軽い交通事故に遭っているような負荷がかかっているんです。たくさん跳ぶと、どうしてもけがのリスクが高くなってしまうため、多くても1回当たり30本くらいが限度になります。

 バーを跳ぶ以外のトレーニングとしては、ウエートトレーニングや走り込みとかですね。あとはハードルを両足でぴょんぴょん跳んだり、高いところから飛び降りたり。

科学的なアプローチでより高く跳ぶ

―― 走高跳で描く放物線の研究とかもしますか。

戸邉 筑波大学大学院の在学中には、科学的な観点から走高跳の研究をして、博士号を取りました。研究するきっかけは、走高跳という競技の特性にあります。今は背面跳びが主流で世界のトップ選手は100%背面跳びですが、その背面跳びの助走の仕方が選手によって全然違うんです。

 陸上競技の中でも他の跳ぶ競技、走幅跳や三段跳び、棒高跳びなどは、助走路や踏み切る位置が決められていて、そこからどれだけ跳べたかを競います。しかし走高跳はそうではなく、助走はどんな助走でもよいですし、右足踏切と左足踏切ではバーに対して走る向きは逆になり、同じ踏切足でもカーブの取り方は自由、踏み切る位置も決まっていません。とにかく片足で踏み切って、バーを落とさないで上を跳び越えられれば成功という競技です。

 高校生の頃から世界トップ選手の技術を盗みたいなと思い、テレビで五輪や世界選手権を観戦していましたが、いろいろなタイプの選手がいすぎて、どれを参考にしたらいいか分からない。ずっと疑問を抱きながらトレーニング方法や跳ぶ技術について考えていました。ですが、そんな時に大学で卒業論文を書くことになり、これは良い機会だなと走高跳の研究をし始めました。

―― 戸邉選手は19年に大学院を修了し、アスリート社員としてJALに入社しました。跳ぶ技術としては完成形になったのでしょうか。

戸邉 いろんな人に共通する新たな知見を明らかにするような、研究というスタイルの中でできることは、だいたいやったなと感じています。19年に入ってからはより実践的に、試合や練習の時の動作、あとは体力的なものを科学的に数値化して、どうすればいいかを考えています。

戸邉直人選手

科学的なアプローチで高跳びの研究も行う戸邉直人選手(Photo:JAL提供)

戸邉直人選手の強みはどこにあるのか

 

身長は高いが機敏に動ける

―― 走高跳の世界記録は25年以上も更新されていません。記録保持者のソトマヨールは何がすごかったのでしょうか。

戸邉 身体ですね。身長は194センチの私より大きくて、それでいて素早く動ける。あとは身体のばねというか、アキレス腱がすごく長くて、普通にジョギングしているだけでも「跳べるな」と分かってしまうくらいです。

―― 戸邉選手も高身長でスラッとしていて、お顔は小さいです。ご自身の身体の強みはどこにありますか。

戸邉 身長は高いけれども、身体を動かせるところです。やはり身体が大きくなると身体を操作するのは難しくなってきてしまいますが、足を速く回したり、腕を素早く振り込んだりすることができるのが強みです。

ライバルがいることで記録を伸ばせる

―― 現在の走高跳では、カタールのムタズ・バルシム選手も強いです。

戸邉 彼は私がずっとライバルにしている選手で、世界ジュニアで銅メダルだった時に、金メダルを取った選手でした。それからずっと一緒に世界のトップまで戦ってきています。

―― やはりライバルがいると切磋琢磨しますか。

戸邉 すると思います。陸上競技は面白い競技で、みんなその時々で120%の力を出すつもりで競技をやっていますが、誰かが突き抜けた記録を出すと、世界のレベルもちょっと上がるんです。

 例えば、ウサイン・ボルト選手が男子100メートル競走で世界記録を出したとき、100メートルのレベルが全体的に上がりました。私の自己ベストは2メートル35センチなので、今は2メートル40センチ跳べれば満足ですが、2メートル45センチ跳ぶ選手が出てきたら40センチでは満足できず、より上を目指すことになります。それもあって、強い選手がいるときには、だいたいライバルがいる感じですね。

 あと走高跳は結構メンタルスポーツです。他の陸上競技は、100メートル競走であれば走り終わってから記録が分かり、幅跳びも跳んだ後にその記録が分かります。しかし高跳びは、目の前に「この高さを跳んだら日本記録です」と提示されたバーを跳ばなければなりませんので、そこに向かう気持ちの持って行き方がとても重要です。

 バーを跳べなくても命を取られることはありませんが、恐怖心みたいなものがあるんです。その恐怖心をどう打ち消すのかが、走高跳の選手として一生付きまとう課題です。

 「跳ぼうと思うと絶対に跳べない」とよくいわれれいて。跳びたい思いは脇に置き、跳ぶために何をするのか、どう足を回転させてどう踏み切るのかを冷静に考えられかが大事になります。

 

戸邉直人選手が東京五輪本番で目指すもの

 

―― いわゆる「ゾーンに入る」みたいなことはありますか。

戸邉 ありますね。その時には、何も感じないというか、バーの存在が全く気にならないみたいな。ただただ動いている自分の動きをモニタリングしているような状態になります。そういう時は大体すごく調子が良くて、跳躍はうまくいきます。

―― 今後の目標を教えてください。

戸邉 東京五輪で何としてもいい結果を残したいです。今の自己ベストは2メートル35センチですので、次にきりが良い2メートル40センチを跳びたいという思いがあります。五輪の本番で2メートル40センチを跳んで、金メダルを取れたら最高だなと思っています。

 
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