経営者コミュニティ「経済界倶楽部」

「無畏施」を再認識して自分の声を聞く

松本紹圭「ひじりみち」(『経済界』2021年7月号より加筆・転載)

企業が始めた僧侶派遣の取り組み

「事務所に僧侶に駐在してもらうことで、殺気立つ職場がマインドフルネスにならないものか」―。

2020年のはじめ、ワシントンDCで法律事務所を経営する友人から相談を受けたことがきっかけで取り組み始めた、僧侶派遣。友人はそれを「monk manager」と呼び、私はその可能性を探るため、実験的に友人の僧侶に現地へ渡ってもらいました。取り組みは、コロナ禍により短期間でやむなく中断となりましたが、依頼主も私も、確かな手応えを感じていました。

そして現在、monk managerは国内で再スタートしています。依頼主は、300名を超える社員を抱える創業100年余りのメーカー。これまで、同社の経営改善のため、データサイエンスの観点から分析を行ってきた友人の紹介をきっかけに、経営者と仏教的な視点を共有するなか、monk managerの導入に至りました。

具体的には、社内で「僧侶との対話」を希望するスタッフを募り、一対一の対話を1時間する場をオンラインで設けます。あらかじめ、落ち着いて話のできるネット環境と場所を用意してもらい、私はZoomを通じてお一人お一人と「共に過ごし、おしゃべり」をします。そこに、一切の目的はありません。話す内容は会社と共有しないことが前提です。

自分の声を聴くことがいきいきとした生につながる

約1カ月間、40人の方と対話をした報告は、私の体感による印象や感想に留まらず、データサイエンスの視点を入れて、対話時の音声から感情分析を行いました。焦点を当てているのは「声」です。

真実は声に現われると言いますが、自らの正気を失っている様子は、Zoomを介しても音を通じて感じられます。特に慢性的な状態にある場合、感情の幅は小さくなる傾向があり、内容は悲痛に満ちているのに、感情は終始「落ち着き」に〝張り付いている〟ような状況も見られます。

 また、正気を失った環境に身を浸している人は、自らについて語ることが極端に少なく、他者や組織のこと、もしくは全く脈絡のない発言が増える傾向にありました。

これは一種のネグレクト(虐待)の状態にあるとも言えます。人は傷つく経験を重ねると、更なる傷つきへの恐れから、自らを内に隠し、本来とは異なる声や言葉を放つことで自らの身を守ろうとするものです。そこに生じる、心の内と実際の表現の隔たりが、そのまま「悲しみ」の感情の大きさとして現れているようでもありました。

事実、音声データをさまざまな角度から分析してみると、対話後に「悲しみ」の感情が優位に増していることが見えてきました。私はこの現象について、「共感が生じた」のではないかと解釈しています。「悲しみ」の感情には、何かしらへの共感が共にあり、その世界は閉ざされていません。コンディションの良い人は、対話を通じて意識が拡張し、他者への共感が増す。そうでない人は、普段、蓋をしている自分の奥深くにある悲しみに、自らの声を通じて触れ、共感、共鳴しているのではないでしょうか。

結論として感じるのは、人がいきいきと人生を生きるための要は「自分の声を聴く」ことに尽きるのではないかということです。日頃から本当の声に耳を傾け、それに気づき、表現すること。そして、それに反することは無理して表現しないこと。それは、仏教が「八正道」で示している通り、正気であることの原点ともいえそうです。

組織の中にあって、役割を担い、日々忙しく業務に追われるうちに、声や言葉を「立場」から発するようになるのは自然なことです。文字通り心を亡くし、志は薄れ、時に正気を失いながら、心が「拗ね」を帯びていくこともあるでしょう。

本来の声や色彩、世界を素手で触れる感覚を忘れて、「どうせ」が心の口癖になっていく。次第に組織全体が硬直していくと、集団的な狂気が生まれかねません。内向きの閉ざされた世界が築かれれば、そうした風潮を自ら助長し加速させることもあり得ます。日頃から、スタッフ一人一人と共に、組織そのものが開かれた関係性の中で、正気な存在と交わり、正気を保つ習慣を持つことの大切さを痛感します。

同時に、そこでmonk managerにできることは大いにあるという確信があります。

現在、多くの組織が産業医、カウンセラー、コーチングトレーナーなどさまざまな専門家を取り入れていますが、それらにはすべからく、課題の明確化と問題解決、パフォーマンス向上、組織の意向といった目的や意図があり、それ故に、役割に求められる結果としての落としどころや、関与する範囲が決まってきます。さらには、会社に情報が渡ることもある事実を背景に、社内において、本当の声による対話が生まれるのが難しいのは明らかです。

monk managerの実践を通して、もっともらしく語られている組織の人事施策に違和感を感じるとともに、フレームワークを根本から創造し直す未来を予感しています。

イラスト=田村記久恵

無畏施が大切に扱われるべき理由

仏教の実践項目である布施には、仏法を施す「法施」、金品を施す「財施」、怖れを取り除く「無畏施」の3種があります。

私は、3つ目の「無畏施」こそ、現代社会で最も大切に扱うべき布施ではないかととらえています。人や物事のありように、良し悪し、成否、勝ち負けといった判断を世間が下したら、烙印を押して再チャレンジを許そうとしない社会があります。

多くの人は、周囲の目や将来に対する不安に怯え、声を上げづらく、身動きの取りにくい状況にあるのが現状です。結果、格差は広がり社会は分断されていく。こうした時代だからこそ、「無畏」つまり、本来の自分のまま安心していられる心、恐れず勇敢に歩める心をお互いに施し合うことが、日々の実践として求められているのではないでしょうか。法施や財施も、無畏施の土台があってこそです。

私にとってmonk managerは、人々が自らの正気を取り戻すとともに、自他の抜苦与楽へと向かうよう促す無畏施のど真ん中の活動になりつつあります。

今、「無畏施」を再認識しながら、私自身、あらためて自分の声をよくよく聴いていきたいと思います。