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セガサミーの新CEOが父の後を継ぐと意識した時

里見治紀・セガサミーホールディングス

インタビュー

セガサミーホールディングスの里見治会長は、一代で売上高2700億円の企業グループを築き上げた。それを継いだのが、長男の里見治紀社長グループCEOだが、若い頃は必ずしも世襲の必要はないと考えていた。しかしある時、「父の考えを一番理解しているのは自分だ」と気づき、後継を決意した。そのきっかけとは??。聞き手=関 慎夫 Photo=横溝 敦(『経済界』2021年9月号より加筆・転載)

里見治紀・セガサミーホールディングス社長 グループCEOプロフィール

里見治紀・セガサミーホールディングス
(さとみ・はるき)1979年東京生まれ。2001年明治学院大学を卒業し国際証券に入社。04年サミー入社。12年セガサミーホールディングス取締役。いくつかの事業会社社長を経験し17年社長グループCOO。今年4月社長グループCEOに就任した。12年にはUCバークレー大学経営大学院でMBAを取得している。

里見治紀氏が社長になるまでの経緯

父親ではなく周囲が用意した社長への道

―― 2017年にセガサミーホールディングスの社長グループCOOに就任していましたが、今年4月に社長グループCEOに就任、名実ともにセガサミーを代表する立場になりました。順当な世襲に見えますが、昔は後を継ごうとは考えていなかったそうですね。

里見 祖父も父も自分で会社を興しています。ですから自分も起業するつもりでした。それにこれは「二世あるある」なんですが、二世の場合、自分のアイデンティティをどう確立するかがむずかしく、アイデンティティ・クライシスに陥る人もいます。俗に言う悪い世襲というのは、そういう場合に起きることが多いと思います。

 大学卒業後に私がサミーに入っていたら、創業者・里見治の息子であって、里見治紀とは誰も見てくれない。そこで父からサミーに入れと言われたことがなかったこともあり、就職先には証券会社を選びました。起業の種を探すには証券会社がいいだろうと考えたからです。

―― どういう経緯でセガサミーに入ることになったのですか。

里見 04年にサミーとセガが経営統合しますが、その時統合に向けて、私の入った証券会社がアドバイザーになり、そこで初めて父の会社を客観的に見ることができました。それと、その3年前にサミーが東証一部に上場したのもきっかけのひとつです。

 ファミリービジネスで未上場なら自分が継ぐのが当たり前かもしれませんが、上場を選んだということは、持ち株比率が下がってでも会社を大きくすることを選んだということです。ということは私が入社しても社長候補にはなるかもしれないけれど、必ずしも自分が社長になる必要はない、というのが当時の認識でした。そこで当時の役員の誘いを受けて04年にサミーに入り、その後出向してセガの米国法人などで働きましたが、その意識は変わりませんでした。

―― 経歴を見ると、後を継がせるためにいろんなジャンルを経験させようという親心を感じます。

里見 会長の方針というより周りの役員の人たちが、こういう経験をさせた方がいい、そろそろ部長にしたら、役員にしたら、と父に言ったらしいですね。ですから父としてはやりやすかったんじゃないですか。自分で引き上げたのではなく、周囲の方が積極的にポジションを考えてくれたわけですから。

父親の威を借りることはしなかった

―― それでも本人としては社長にならなくてもいいと考えていたのですか。

里見 徐々に変わっていき、12年にセガサミーの取締役になるころには、私と父の間には多くの役員がいるけれど、父の考えを一番理解しているのは自分ではないかと思うようになっていました。

 それに米国デジタル配信ビジネスをゼロから立ち上げつつ、週末・夜間はUCバークレーに通い英語もできるようになり、セガサミーの看板がなくても家族を養えるという自信もついてきた。つまり最初に言ったアイデンティティの壁を乗り越えることができたことも、意識が変わることにつながったような気がします。

―― その過程で心掛けていたことはありますか。

里見 父の威を借りることだけは絶対にやらないようにしていました。米国で現場の責任者だった時は、そのことでアメリカ人の部下から不満を言われたこともあります。「もっと父親の威光を使って自分のやりたいことをどんどん進めていけばいいのに」と言うのです。でもそれはやらなかった。あくまで自分の権限の中で上司を説得する。仮に上司が納得しなくても、父を使って上司に言うことをきかせるというのは一切やりませんでした。それでは自分の実力ではなくなってしまいますから。

―― 逆に会長から「俺の力をもっと使え」と言われたりはしなかったのですか。

里見 外の人脈を広げるといったことのためには、どんどん使えというのはありましたが、社内のことに関しては全くなかったですね。

里見治紀・セガサミーホールディングス

里見治紀氏の経営手法

コロナ禍だから可能だった構造改革

―― どんな経験を経て、先ほど言ったように誰よりも会長の考え方が分かるようになったのですか。

里見 直接何か教わったり、細かく指導を受けたりしたことはあまりありません。ただ私の立場で会えないような人との会食に同席する機会も多く、そこでの会話を何度も聞いているうちに、父の考え方がしみ込んでくる、というのはあったと思います。そのうえで、目の前の業績ばかりに気を取られたり、保身を優先する役員の姿を見たりすると、これなら私がやった方がいいなという開き直りが自分の中に芽生えてきたように思います。

―― その後、いくつかの事業会社の社長を経て今日にいたりますが、会長と意見が対立した時は、どうやって折り合いをつけるのでしょう。

里見 事業会社の社長を務める頃からは、社長として任せたのだからという理由で公の場では怒られなくなりました。2人きりになると、「俺はあの考えは違うと思う」と言われたこともありますが、それでもその方針を無理矢理変えるということはありません。社長が決めたことを会長がひっくり返していては、誰も社長の言うことは聞きません。でもそれはなかった。これはとてもありがたかった。

 一方私は私で、父のメンツをつぶさないよう気を遣っています。社長になってからいろいろと改革をしてきましたが、前任者の否定にはならないように気をつけていました。昨年、コロナ禍で業績悪化したことを受け、大規模な構造改革に取り組みましたが、恐らく平時ではできなかったでしょうね。コロナ禍の緊急事態下だったからこそ、一気に改革を進めることができました。

―― 何かを決める時に事前に会長に相談はするのですか。

里見 自分で決められるものは、ばんばんその場で決めていきます。一方、今回の構造改革のような大きな案件は、事前に相談します。この時、会長はかなり難色を示しました。会長が創業したサミーで30年以上も働いている人たちを含め多くの社員の希望退職を募るという内容が含まれていたからです。

 しかも父が日本アミューズメント産業協会の会長を務めているのに、構造改革では国内ゲームセンター事業からの撤退も盛り込まれていましたから、協会会長として立場がない。難色を示すのも当然です。私も上場していなければ、こんな構造改革はしなかったでしょう。でも上場企業の社会的責任を果たすために、そこまでやらないと将来の変化についていけないと考え、腹をくくりました。最後は父もそれを分かってくれて、構造改革を行うことができました。

―― 会長から引き継いだ最大の財産とは。

里見 やっぱり人財と資金ですね。

 サミーが上場した時、父は50代後半でしたが、それまではお金と人が本当に足りなかったとよく言っていました。上場するまでは仕事の半分以上が金策だったと言いますが、私が社長になってから一度も金策に困ったことはないんですよね。これは本当にありがたいことです。

 そしてそれ以上に人です。まだ中小企業だった時、父が何かをやりたいと思っても、実現できる人財が社内にいなかった。そのために成長のスピードがなかなか上がらなかったという話をよく聞きました。私の場合、何かやろうと思えば、優秀な人財が揃っている。あとはそれをどう生かすかということを考えればいい。その点では非常に恵まれていると思います。

現場を知るからこそ無茶ぶりは難しい

―― 会長の時代と経営手法は変わりましたか。

里見 一番違うと思うのは、成功した創業者の方々に共通することですが、社員への無茶ぶりです。父は学生時代に起業しているため人に雇われた経験がありません。だから無茶ぶりが平気でできる。現場はてんやわんやになりますが、それでも社員はなんとか応えていく。それが組織を強くし、社員が育っていく。これが創業オーナーのいる会社の強みだと思います。

 ところが私みたいな2代目経営者の場合、階段を上っていって社長になる。ですから現場の事情もよく分かっています。現場を知っているのは強みであると同時に、事情を知っているだけに無茶ぶりができない。ここまでやったら現場が混乱すると、忖度してしまう。でもそれでは組織は強くならないし人は育たない。無理をして背伸びをすることで初めて成長できる。ですから私は、あえて無茶ぶりするように努力しています。

強みは時代の変化への対応力

―― 自分のほうが会長より勝っているところはありますか。

里見 時代の変化への対応でしょうか。例えばスチュワードシップコードができて、上場会社に求められる要件は大きく変わってきています。以前は上場会社であっても、未上場のファミリー企業と同じような経営が許されていたこともあります。

 でも今は、機関投資家もなぜこの会社に投資するかの説明責任が求められる時代です。単に業績がいいからというだけでは投資対象にはなりません。ですから「業績が良ければ文句ないでしょう」という経営者では務まらない。そういう変化への対応度は私の方があると思います。