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100周年で40年ぶり社長交代。江崎グリコ4代目に課せられた成長戦略

今年創業100周年を迎えた江崎グリコで40年ぶりとなる社長交代があった。新社長となる江崎悦朗氏は江崎家4代目で現在49歳。グリコやビスコなど、誰もが知っている商品がある一方で、近年はヒット商品に恵まれていない。新社長の双肩に期待がかかる。文=ジャーナリスト/小田切 隆(雑誌『経済界』2022年6月号より)

ヒット商品不在の中での社長交代

 3月24日、江崎グリコの4代目社長に創業家の江崎悦朗・代表取締役専務執行役員が就任した。3代目社長だった父親の江崎勝久氏は代表権のある会長に就いた。今年は2月11日が創業100周年という同社節目の年で、社長交代は1982年6月以来、40年ぶりだ。同社は商品のお菓子が広く消費者から親しまれる一方、戦後史に残る企業脅迫事件「グリコ・森永事件」に巻き込まれるなど、何かと注目されてきた。少子高齢化などで国内市場の動向も変わる中、新体制がどんな成長戦略を描いていくのか注目される。

 「東南アジア諸国連合(ASEAN)全体を市場として、事業を拡大していく。インドネシアで新しい工場を稼働させ、フィリピンやベトナムにも広げていく」

 悦朗社長は3月24日に大阪市内で開かれた記者会見でこう述べ、今後のグリコの成長のけん引役を海外事業にすると強調した。

 会見に同席した父・勝久氏も、2016年に代表取締役に就任してからの悦朗氏の能力を評価し、変革に向けた手腕に期待を示した。

 グリコの年間売上高は約3400億円。20年12月末現在で従業員数が5360人、国内の事業所数が本社・オフィス・統括支店10カ所、関係会社が国内に7社、海外に18社ある巨大企業だ(海外は21年4月現在)。

 ただ、近年はヒット商品に恵まれず、国内市場は少子高齢化で縮小。加えて、新型コロナウイルス感染拡大による外出自粛でお菓子そのものの売り上げも落ちるなど、足元の環境は厳しい。年間の売上高は減少傾向にある。こうした苦境を打開できるのか、就任時点で49歳と若い悦朗社長の肩にかかることになる。

 グリコはある意味、日本のお菓子の代名詞のような存在だ。

 例えばじゃんけんをしてグー、チョキ、パーの何を出して勝ったかで何歩進めるかが決まる子どもの遊びでも、グーを出せば「グリコ」の文字数(3文字)と同じく3歩進めることがルールとなっているなど、日本人にはきわめて馴染みが深い名前だ。

 両手を広げてゴールインするランナーを正面から描いた大阪・道頓堀にある看板「道頓堀グリコサイン」は観光名所となっている。春には、コロナ禍で海外へ卒業旅行に行けない学生らがつめかけて写真を撮り、インスタグラムやツイッターに投稿している。高さ約20メートルの現在のサインは6代目。初代は1935年に設置され、高さは約33メートルもあったという。

100年前から始めたおまけのおもちゃ

 ここまで親しまれるようになったグリコがどんな歴史を歩んできたのか、改めて振り返ってみたい。

 グリコが創立記念日とする2月11日は1922年、同社初の商品となる、赤い小箱に入った栄養菓子「グリコ」を、旧三越大阪店で発売した日だ。当時黄色い小箱に入った森永製菓の「ミルクキャラメル」が人気を博していたが、それに対抗するため、目立つ赤を選んだという。

 グリコという名前の由来は栄養素「グリコーゲン」だ。創業者の江崎利一氏が九州・佐賀で薬種商を手掛けていたとき、たまたま船着き場で、漁師がカキの殻をむいてゆでているのを見かけたことがきっかけだった。

 利一氏が大学付属の病院でカキの煮汁を調べてもらったところ、グリコーゲンが豊富に含まれていることが判明した。グリコーゲンは、人体では肝臓や筋肉などに含まれる炭水化物で、エネルギーの代謝に必要な物質だ。薬にも使われている。

 また、利一氏が、チフスにかかった息子にカキの煮汁を飲ませたところ回復。そこで利一氏は、国民の健康と体力を増進する食品を作ることにし、キャラメルにグリコーゲンを混ぜたお菓子を発売した。名前はグリコーゲンからとり、グリコとした。

 発売を始めたのは、名門百貨店・三越。グリコのサイトによると、「一流の販売店に陳列すれば、一流の商品とみられると、当時、大阪で伝統のある三越に通いつめ、無名の商品だったグリコを置いてもらうことに成功。その後幾度かの苦しい時期がありましたが、販売努力や味の改良などを実施し、危機を乗り越え販路を広げていきました」という。

 また、グリコといえば「おまけ」のおもちゃが特色だ。同社は既に1922年、「『食べる』と『遊ぶ』は子どもの二大天職」と位置付け、「絵カード」をグリコのお菓子に封入することを開始。27年には、小さなおもちゃを一緒に入れるようになった。おもちゃ付きのグリコは大ヒット商品となった。

 33年には、クリームをビスケットで挟んだ酵母入りのお菓子「ビスコ」を発売。こちらも長年にわたるヒット商品となっている。「こうぼ」を使った「ビスケット」なのでビスコと命名した。

 戦争中には東京、大阪の工場を焼かれて失ったが、戦後再興し、相次いでヒット商品を生み出す。

 「アーモンドグリコ」「アーモンドチョコレート」「プリッツ」「ジャイアントコーン」「ポッキーチョコレート」「プッチンプリン」「パナップ」「アイスの実」「熟カレー」……。

 恐らく誰もが聞いたことがあり、食べたことがある商品ばかりだ。それだけ日本人の食生活に浸透し、食生活を支えてきたといえる。

 今では海外にも展開。乳児用液体ミルク「アイクレオ」、植物性のアーモンドミルク「アーモンド効果」など、お菓子にはとどまらない総合的な食品メーカーへと変貌を遂げている。

 もっとも、前述した通り、ここ数年は特筆すべきヒット商品に恵まれていない。

 売上高は減少傾向にあり、2019年度が3536億8600万円、20年度が3440億4800万円、21年度が3385億7100万円となっている。

 一方で本業のもうけを示す営業利益は増加傾向にあり、営業努力が実を結んでいるとも言える。営業利益は19年度が162億5900万円、20年度が185億2300万円、21年度が193億700万円だった。

 ただ、21年度を見ると、営業利益が売上高に占める比率は6%程度にとどまる。同業のライバル他社で10%前後に達するところもあると考えれば、今後、さらに営業利益率を引き上げていくことが経営課題だといえるだろう。

グリコ・森永事件では新社長も「当事者」

 ここで、40年にわたってその座にあった社長を退任し、代表権のある会長に就任する勝久氏の業績を振り返っておきたい。

 勝久氏は社長退任時の年齢が80歳。松下電器産業(現パナソニック)に勤務後、江崎グリコに入社したのは1966年だ。副社長などを務め、82年、40歳のとき、創業者・利一氏の右腕だった大久保武夫氏から社長の座を引き継いだ。

 社長に就いてからは、「セブンティーンアイス」「アイスの実」や、レトルトのカレー商品、「朝食ヨーグルト」など、ヒット商品を相次ぎ生み出した。一方で、海外展開も拡大し、米国ほか、インドネシア、マレーシアをはじめとする東南アジアの各国でも販路を広げた。

 そして、勝久氏を語る上で避けて通れないのは、みずから壮絶な体験をした「グリコ・森永事件」だ。

 84~85年、「かい人21面相」を名乗る犯行グループが複数の食品企業を脅迫した警察庁広域重要指定114号事件(グリコ・森永事件)の発端となったのが、犯行グループによる勝久氏の誘拐だった。

 勝久氏が兵庫県西宮市内の自宅の浴場から連れ去られたのは84年3月18日夜のことだ。このとき、まだ子どもだった悦朗氏は勝久氏と一緒に入浴中だった。悦朗氏もまた父親と同様の壮絶な体験をしたことになる。犯行グループは現金10億円と金塊100キロを要求したが、勝久氏は3日後、監禁された倉庫から自力で逃げ出した。

 しかし、その後も犯行グループは猛毒の青酸化合物を混ぜた商品を小売店の店頭に置くなどし、脅迫の矛先は森永製菓といったほかの企業にも向かった。

 「グリコを たべて はかばへ行こう」「けいさつの あほども え」などと書かれた挑戦状を報道機関に何度も送り付け、世間の注目をわざと引くそのやり方は連日、テレビのワイドショーで取り上げられた。犯行グループのひとりとみられる「キツネ目の男」も話題となり、事件は「劇場型犯罪」という新たな言葉を生み出した。

 お菓子などの包装には安全対策がほどこされ、開封されたことが分かるようにされるなど、その後の食品業界の取り組みにも大きな影響を与えた。誘拐事件は1994年に時効となり、2000年2月に関連するすべての事件が時効を迎えた。勝久氏が事件の詳細を語ることはなく、真相は「闇の中」となっている。

 その勝久氏が創業100周年の節目の今年、長男の悦朗氏に社長の座をバトンタッチした。

 悦朗氏は16年から代表権を持っており、ある意味、企業トップとして修業は積んできたといえる。

 17年にはシンガポールにASEANでの事業を統括する子会社「グリコアジアパシフィック」を設立し、CEO(最高経営責任者)に就任。海外事業に汗をかいてきた。現在、経営企画、人事、マーケティングなど幅広い分野に関わっている。

 実は、今回の社長交代については発表前から、「創業100周年を機に行われるのではないか」という噂が流れ、一部の報道機関が取材に動いていたもようだ。

 しかし、グリコ側の報道統制は鉄壁で、今年2月14日にグリコが社長交代を正式発表するまで、事前にスクープできた報道機関はなかった。

 また、悦朗氏をめぐっては気になる動きも出ている。経営者としての資質に疑いを投げ掛ける情報が、就任前後に相次いで一部の雑誌に出たのだ。悦朗氏の性格や、勝久氏寄りの幹部を好き嫌いで閑職に追いやる人事姿勢などを批判したものだった。

 いずれも真偽は不明だが、在阪の報道関係者からは「悦朗氏の就任を何としてでも阻止したいグリコの関係者がリークしたのだろう」「悦朗氏の下でグリコはまとまるのか」といった声が上がる。

 今後は海外市場の開拓のほか、消費者の健康志向へいかに対応するかといった戦略課題が積み重なるグリコ。新体制下、一枚岩でこうした課題に取り組み、さらなる成長を遂げられるのか。