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誰ひとり取り残さない学びへ 民間企業で範を示す 宮原博昭 学研ホールディングス

宮原博昭 学研ホールディングス

「戦後の復興は教育をおいてほかにない」。そんな信念のもと、1946年に古岡秀人氏によって設立された学研ホールディングス(当時の社名は学習研究社)は、現在に至るまで日本の教育を支え続けてきた。2010年から社長を務める宮原博昭氏は、今の教育は有史以来の危機に直面していると警鐘を鳴らす。文=和田一樹 Photo=山内信也(雑誌『経済界』2024年8月号「教育改革 今そこにある危機」より)【7/24経済界倶楽部・東京にて講演!】

宮原博昭 学研ホールディングス社長のプロフィール

宮原博昭 学研ホールディングス
宮原博昭 学研ホールディングス社長
みやはら・ひろあき 1959年広島県生まれ。防衛大学校卒業後、貿易商社を経て、86年に学習研究社(現・学研ホールディングス)入社。学研教室事業部長、執行役員などを経て、2009年学研ホールディングス取締役に就任。10年12月から現職。教育と医療福祉を中核とした事業改革を牽引し、14期連続増収のV字回復を果たす。

大学の在り方ばかりが教育改革のテーマではない

―― 教育分野はステークホルダーが多く、さまざまな立場からいろいろな意見が出やすい印象があります。教育事業大手の学研ホールディングス社長としてそれらの議論をどう見ていますか。

宮原 教育に関心のある人は多いですけど、教育改革の話となると大学改革にばかり焦点があたりがちな印象があります。あるいは、いわゆるアッパー層向けの教育ばかり。ただ、文部科学省の発表によれば18歳人口における大学進学率は57・7%。OECD加盟国間の比較では日本は16位です。ですから、教育の在り方について考えるときに大学改革にばかり注目が集まる状況は、この国の教育を取り巻く環境を正しく表しているとは思わない。産業構造の担い手を輩出する意味では、専門学校が果たしている役割も相当大きいのに、大学に比べて全然議論が起こらないですしね。

 もちろん、大学教育の在り方については、それはそれで考える必要がある。けれども、本当に日本の教育の在り方を考えるとなれば、それ以外の領域でも考えなくてはならない問題ばかりです。ちょっと大げさに聞こえるかもしれないですけど、今の日本の教育環境は、有史以来最大の危機なんじゃないかとすら思うわけです。

―― 何が宮原さんにそこまで思わせるのでしょうか。

宮原 教育と一口に言っても、家庭の資金的な状況や地理的な条件など、子どもたちが置かれている状況はそれぞれです。また、子どもの中にも勉強が得意な子やそうではない子、多様さはあります。私が危機感を抱いているのは、日本は取り残された子どもを救う国なのか、救わない国なのかということです。かつての日本は、教育制度の中でひとりも取り残さない教育を実現できていたと思います。けれど、今はそこが一番の危機に瀕している。

―― 少子化で子どもの数が減っているのなら、一人に与えられる教育アセットは充実しそうな印象があります。

宮原 第一次ベビーブームと呼ばれた1947年から49年まで、出生数は毎年260万人台でした。2023年は72万7227人です。例えばこの約72万人の子どもたちが、ベビーブーム時代の上位100万人くらいに相当する学力水準を維持していたらその仮定は正しいのかもしれない。ですが、すでに現在ですら子どもたちの置かれる環境は、かつてより差が広がっている現実があります。言葉を選ばずに言えば、取り残されている層が増えている。

 文科省が23年10月に発表した「令和4年度児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果」によれば、小・中学校における不登校児童生徒数は29万9048人で過去最多でした。これは必ずしも全てを把握できている数字だとは思わないですし、不登校一歩手前のような子どももいるでしょうから、そうなると29万人どころの話ではないですよね。

 高校に関しても、通信制高校に通う生徒は、26万5千人程度いるといわれていて、その中にはサポートを必要とする生徒も多数います。これが今の日本の現状です。

公教育が限界ならば民間で補うしかない

―― どうして「取り残されている子」を救えない国になってしまったのでしょうか。

宮原 「どこか」や「何か」に全ての原因を求めるのは難しいと思います。ただ、あくまで一因として、子どもに無関心な社会になっているように感じます。警察庁の発表によると、23年に虐待の疑いがあるとして警察が児童相談所に通告した子どもは12万2806人、児童虐待事件の検挙件数は2385件、どちらも過去最多です。そして死者は28人だった。どうしてこんなに子どもが虐待で亡くならないといけないのでしょうか。自治体は生死に関することすら把握できていないのに、子どもの学習状況なんてもっと分かりませんよね。

 とはいえ、親御さんも一生懸命やっている人がほとんどです。そもそも根本的に日本社会が抱えていた問題は、核家族化だと思うのです。昔から子育ては、おじいちゃん、おばあちゃんの力も借りるものでした。加えて、日本は宗教意識が希薄ですよね。宗教教育は善悪を教えるため、子どもたちにとってすごく大事な教えです。善しあしは別にして、かつての日本は神道の影響力が大きかったり、近所の人との関係が近かったりして、「地域」で子どもたちを育てたわけじゃないですか。

―― 宗教や地域的なつながりが薄くなった一方で、その役割を制度として補うために改革が続いてきたのが公教育ではないのでしょうか。

宮原 それはそうですが、公教育だからといって何でもできるわけじゃない。先生方も自分たちの家族を犠牲にしながら頑張ってやっているわけです。でもそれでも限界ですよ。となればそこは民間企業でやっていくしかない。 

 民間教育にも大きく2つのスタンスがあって、学研のようにあくまで公教育を軸にしながら補っていく立場と、公教育とは全く別路線の高価格帯で学校を無視して教育を提供する立場があります。ビジネス的には後者の方が儲かるかもしれない。けれども、子どもたちのほとんどが平日日中は学校で過ごし、塾に行っている子どもなら平日の2、3時間と土日を塾で過ごす。圧倒的に公教育の環境で過ごす時間が多いのだから、そこを大切にできるような教育を提供しようという考え方です。

―― 冒頭で宮原さんが言及した「取り残さない教育」路線ですね。

宮原 そうです。ちょっと極端な言い方ですけれども、お金のあるアッパー層はそのままでも教育環境には困らないし、都市部で勉強できるタイプの子どもは書店で買った参考書を使ったり塾に行ったり、教科書とちょっとした教材があれば自力で勉強します。でも現状、そうではない子どもたちがいるから学研はそこを無視したくない。

 私も全国の教育現場に足を運ぶようにしていますけど、特に地方は深刻です。都市部は教育環境が充実していますが、ちょっと地方や離島、過疎地域に行けば、書店どころか図書館すらなかったりする。これから中学校の部活も地域部活動へ移行が進みます。精神的な教育という面では中学の部活が果たす役割はすごく大きい。それなのに書店も図書館も部活もない。こういう環境で子どもたちはどうやって成長していけばいいんだ。そんな気持ちになります。

―― その辺りはオンラインに可能性を感じます。

宮原 今お伝えしたケースは、地方ではあるけれど、少なくとも住んでいる地域に学校はある例です。そうではなく、離島や過疎地域に住んでいる子どもはそもそも近隣に学校がないからフェリーやバスを使うしかない。でも、その交通費が払えなくて進学を諦める子どももたくさんいるんです。近年はそもそも交通の路線がなくなってしまう地域も増えています。そういう子どもたちも含めて、確かにオンラインに活路はあるのかもしれない。そうした思いもあって、学研も通信制高校のクラーク記念国際高等学校と連携して、子どもたちの学びをサポートする「Gakken高等学院」を始めました。いずれは無料でオンライン高校をやるしかないかなとまで思っています。

 また、オンラインの学習環境という意味では、コロナ禍で一人一台PCなどの端末を配布するGIGAスクール構想が一気に進みました。公教育がこのタブレットを民間にも開放してくれるのなら、そこに教材を無償で提供してもいいとすら考えています。親が貧しかったり、教育に関心が薄い家庭だったりしても、仮に図書館や書店がない地域でもタブレットだけはあるという子どもが増えれば、逆に親の関与が減ることで救えるケースすらあると思います。正直に言えば無償で提供するのは苦しい部分でもありますが、出世払いでいいんです。

利益が薄くたってやらねばならない事業はある

―― とはいえ学研ホールディングスは上場企業です。経営者としてはバランスの取り方が悩ましいですね。

宮原 言い方が難しいですけど、利益が薄くてもやらねばならぬことはある。経営者としては、利益率を高めてROEも高めて、配当も多くしていきたい。そういう思いは当然あります。ただ、繰り返しになりますが、今の日本の教育制度が抱える問題は、いかに取り残されている子どもを救うかです。そういう点では、学研が民間教育の最後の砦として踏みとどまらないといけないと思っています。これは矜持みたいなもので、ある程度の批判を浴びてもやります。次の社長にもこの思いはしっかり伝えます。

 学研ホールディングスは00年以降、医療福祉の領域でも事業を拡大してきましたが、そこにも通底する思いがあります。われわれが医療福祉分野に進出したとき、原点にした事業であるサービス付き高齢者住宅(サ高住)のコンセプトは「年金で暮らせる」こと。他社が手掛けるような、利益率15%、20%の高級老人ホームに比べて利益率がとても低いです。この分野でも経営者として高価格帯に路線を変更するという誘惑は付いて回ります。でも、民間企業がアッパー層向けだけでビジネスを行ったら、年金で安心安全に暮らせる住処ってないじゃないですか。

 学研教室についても、親が所得ゼロの人から年収が億を超える人まで、子どもたち全員を見ていきたいのです。ですから経営者として出した結論は、利益率は低くてもボリュームで利益を積み上げていくこと。高齢者住宅・施設は拠点数が日本一になりました。また、教室・学習塾も施設数は最大級を誇ります。

―― 社長就任から14年目を迎えています。上場企業のサラリーマン社長としては異例の長さです。次のキャリアはどう考えていますか。

宮原 児童養護施設とか東京で地方の優秀な子どもを受け入れる寮を作ろうかなとか、いろんなことを考えています。というのも、学研の創業者、古岡秀人が1980年に設立した「古岡奨学会」という母子家庭に奨学金を給付する財団があって、私はその理事長を務めています。給付の対象になる子どもは中学3年生の成績が平均4以上で、都道府県の中学校長会から推薦された生徒です。そこから志望して東京大学に合格したり医学部に進学したりする子はごく一部。中には学力だけの問題ではなくて、親元を離れたくないから地方の名門大学に進学する子どももいます。お母さんが心配だからって気持ちも痛いほど分かりますよね。でも、お母さん自身は東京の大学に行かせてあげたいんです。ただ、現実として生活費が出ない。やっぱり母子家庭の教育環境は厳しいものがあるのだと、財団の活動を通じて痛感します。

 それなら学研で生活の面倒を見てあげられるような寮を作って、寮長になろうかなと。冗談っぽく聞こえるかもしれないけど本気です。教育は国の未来をつくるものだから。