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疲弊する教育現場。民間企業参入の是非 大内裕和 武蔵大学

大内裕和 武蔵大学

教員不足による多忙化に直面する教育現場にとっては、ICTを活用した企業サービスはメリット尽くしに見える。しかし、企業が公教育にどのような形で参入すべきか、議論は尽きない。教育社会学者の大内裕和氏に公教育と教育産業の在り方について聞いた。聞き手=金本景介 Photo=山田司郎(雑誌『経済界』2024年8月号「教育改革 今そこにある危機」より)

大内裕和 武蔵大学教授のプロフィール

大内裕和 武蔵大学
大内裕和 武蔵大学教授
おおうち・ひろかず 1967年、神奈川県生まれ。東京大学大学院教育学研究科博士課程単位取得退学。松山大学教授、中京大学教授をへて2022年より現職。専門は教育社会学。著書に『教育・権力・社会』青土社)、『ブラック化する教育 2014-2018』(青土社)など。

「教育の市場化」の光と影

―― 近年の教育改革は検証の時期に入っています。教育改革のひとつである国立大学の法人化から既に20年がたちました。

大内 2004年度の国立大学の法人化は、国からの統制を受けずに、自由競争的な環境下で大学が自主性を発揮でき、結果として教育と研究の質を高めるという考えで推進されました。しかし、研究論文数を国際比較しても、国立大学の法人化以降、日本の順位は大幅に落ちています。研究力が向上しているとはとても思えません。

 また、中等教育に目を向けても、事態は同様です。教員が10年ごとに30時間分の講習を受けなければならない「教員免許更新制」は、教育改革の目玉として第一次安倍晋三内閣の肝いりで09年から導入されました。22年に廃止されましたが、結局のところ教師の質の向上どころか、ただでさえ不足している教員志望者の減少を加速させることになったわけです。つまり、今までの教育改革は失敗しています。

 教育改革の歴史を振り返れば、1984年、中曽根康弘内閣時代の「臨時教育審議会」からスタートしています。当時、「教育の自由化」をスローガンに官邸主導で教育改革が進められました。この波は90年代以降、より本格化していきます。

―― 少子化の加速をはじめ、当時とは社会状況は大きく変わっています。教育にはどのような影響を及ぼしましたか。

大内 60~70年代は年率10%を超えた経済成長率が背景にありましたから、日本は高い教育水準を維持できました。もう二度と来ることのないであろう例外的な時代です。

 しかし、学校教育にサービス業としての競争原理を持ち込んだ「教育の市場化」は、問題の抜本的な打開策にはならず、むしろ事態を悪化させました。年功序列、終身雇用をはじめとした日本型雇用が崩壊し、所得格差の拡大を背景に、教育市場を支える購買力を持つ中間層が減っていることで少子化は加速しています。教育への公的予算を増やせなかったことも、少子化の大きな要因となっています。

公教育は限界状況。予算配分の見直しを

―― 改めて教育改革はどのように進めればいいのでしょうか。

大内 改革は口で言うのは簡単ですが、予算を配分しないで改革を実施すると、結果として現場が忙しくなる。必要な予算を回さなければ、教育の質を落としてしまうことになります。しかし、財政赤字が叫ばれている中、公的予算を増やすのは簡単ではありません。特に教師が足りないことは、公教育の根幹に関わる大きな問題です。むしろ手を入れる必要がない領域まで変えてしまった結果が、現在の学校現場の疲弊と教師不足の現状です。

 例えば、20年から小学校で英語が必修となりましたが、これは小学校に英語専門の教師を配置せず導入されました。新しいことをやるのであれば、人と予算をつけるか、あるいは今までやってきたことを何か減らさなければいけません。これらの当たり前のことを地道に積み重ねていくことが必要です。

 90年までは社会情勢でも国際環境でもさまざまな幸運が重なり日本は経済成長も教育も成功しましたが、政治家や官僚は、予算を使わないでうまくいった60~90年代の成功体験にいまだ囚われているのかもしれません。

―― 民間企業発のICTサービスの活用が、学習効率向上や教師の多忙化の解消につながると期待されています。

大内 ICTを活用して業務を効率化するのは良いですが、生徒への個別指導や、保護者への不満の対応などはテクノロジーで代替できません。予算と人を増やすことの重要性が変わることはありません。

 民間企業のサービスの活用も、方法によっては良し悪しが分かれます。教師も授業準備や教材研究を十分にせずに民間企業のパッケージ教材をそのまま授業で活用するのでは、授業の質が低下する懸念があります。

 そして、教育産業の取り組みがそのまま子どもの成長に寄与するかという点でも、疑問は残ります。教育産業は少子化、つまり市場の縮小に直面しており、過去のやり方だけでは利益を維持できない。そこで最近は公教育領域に食い込む事例も目立ちます。最近の事例だと、22年度から都立高入試に導入された英語スピーキングテストです。ベネッセコーポレーションが運営委託を受けましたが、採点方法をはじめ試験の公正性の観点からも問題があり、昨年度から運営を撤退しています。入試を企業に委託することの問題が明らかとなっています。

―― 公教育の分野に民間企業は参入すべきではないのでしょうか。

大内 公教育がしっかりと機能している上であれば問題ありませんが、企業だけではどうしても達成できないことがあるのです。公教育の目的はあくまで「教育の平等」の達成にありますから、ビジネスの原理とは異なります。企業による教育事業は顧客ごとに個別に最適化されたサービスを提供することなので、どうしても公教育の目的とはそぐわない要素があります。日本は教育予算が少なかった故に、学校の外部に教育産業が発展した歴史がありますが、ただでさえ少ない教育予算が企業に流れるのは、現状の公教育にとって良い影響はありません。

―― 今後の「改革」の在り方が問われています。

大内 経済格差をはじめとした社会停滞が教育問題を引き起こしているにもかかわらず、その原因を教育に求めるのは無理があります。今の「教育改革」だけでは教育問題は解決できません。現場の実態と向き合い、人と予算を増やすところから始めるべきです。