累計4200万ダウンロードのお天気アプリ「ウェザーニュース」をはじめ、高精度の気象情報サービスが人気のウェザーニューズ。同社はテレビ局が提供する気象番組の支援や物流・交通インフラ企業等への気象情報の提供など、法人向けビジネスも手がける。今年6月に社長に就任した石橋知博氏は、今のウェザーニューズは「社内に向き合いやるべきことをやるフェーズ」だと語る。聞き手=和田一樹 Photo=山内信也(雑誌『経済界』2024年10月号より)
石橋知博 ウェザーニューズ社長のプロフィール
父親の口癖は「やるなら乗っ取れ」
―― 今年6月、ウェザーニューズの新社長に就任しました。創業者・石橋博良さんの息子です。社長就任は既定路線だったのでしょうか。
石橋 「子どもに継がせるなんてもってのほか。そんなことは絶対にない。やるなら乗っ取れ」。それが父親の口癖でした。私自身、まさか父親が創業した会社で働くことになるとは思ってもいませんでした。
―― 大学卒業後、ヒューレット・パッカード(HP)の日本法人に就職しています。約2年半でウェザーニューズに転じたようですが、どんな経緯があったのですか。
石橋 大学時代からキックボクシングをやっていて、社会人になっても選手を続けていました。ある時、全日本のタイトルマッチまで勝ち進み、勝利すれば全日本チャンピオン。そういう試合がありました。
この試合が私の転機です。当時、キックボクシングをいつまで続けるのか。付き合っていた彼女と結婚を考える時期なのか。HPで働き続けるのではなく、全く違うことをやってみる人生もあるのではないか。なんというか、とにかく人生についてさまざまなことを考えていて、タイトルマッチを起点にガラリと状況が変わる直観があったのです。
そして、「この試合に勝ったらHPでサラリーマンキックボクサーとして行くところまで行く。負けたらキックボクサー人生は終わり」。そう決めました。結果は判定負け。そんな時に父親と話をしていて、ウェザーニューズの話題になったのです。
―― どんな話をされたのですか。
石橋 当時のウェザーニューズは、気象データを放送局などのメディアや交通インフラに関わる企業、物流会社などに販売する企業向けのビジネスがメインでした。それが、今後は個人向けにもビジネスを広げていくと聞かされたのです。天気は無料なのにビジネスになるの? と、素朴な疑問を感じました。
私がHPで経験したのは、営業マーケティングです。勤めたのは数年ですが、そこで仕事のベースを学びました。HPの本社は米国にあって、プロダクトは主に米国で作っています。ですから日本支社の役割はローカルでどうやって売っていくのか。そこに集中していました。無駄な会議はなく、とにかくお客さんのところに行く。そして、トーク術から、キーマンの見極め方、予算の仕組み、商談の進め方など、非常にフォーマット化された営業のノウハウを学びました。その営業マーケティングの観点から、天気で個人向けにビジネスをすることに興味が湧いたのです。
とはいえ、入社前までウェザーニューズの事業はあまり知りませんでしたし、父親の仕事を近くで見ていたわけでもありません。面白そうだし、飽きたらまた別のところに行こうかな。そんな心持ちでした。
―― 石橋さんが入社したのは2000年。創業14年目で、お父さまは53歳。ご子息が入ってくると、会社の雰囲気はザワザワとしそうです。
石橋 入社に際して、父親から「ウェザーニューズは3カ月ごとに評価がある。実力があれば給料はどんどん上がる」と聞かされました。私はHPで身に付けた営業スキルに自信もありましたし、何より周りの社員からどんなふうに見られるか理解していましたので、新卒社員と同じように一番下の給与から始めました。実際にHP時代の給与水準に到達するには結構かかりましたけど(笑)。 それは笑い話として、とにかく社長の息子だから何か特別待遇があったわけでもなく、地道に仕事をしてきたつもりです。
「これが本当の桜前線」参加型ビジネスの可能性
―― 入社後はどんな仕事をしてきたのですか。
石橋 営業職で入社して、最初は企業向けのデータ販売をしていました。一方で、企業として個人向け事業に力を入れるタイミングでもあり、世の中的にもiモードが立ち上がった時期でした。私は個人向けサービスのチームでリーダーを経験し、その後も基本的には個人向けビジネスを担当してきました。
―― 24年5月期決算を見ると、個人向けビジネスは全社売り上げの40%弱を稼ぐ規模になっています。どうしてここまで伸ばせたのですか。
石橋 最初から何かプランがあったわけではありません。朝に天気メールが届くサービスなど、細かなものを企画して一つずつやっていきました。
転機は04年です。全国各地から桜の写真を送ってもらい、それをネット上でマッピングして桜前線を再現する「さくらプロジェクト」が立ち上がりました。技術的にはちょっと手間のかかる作業で、しかも桜はシーズンがありますからタイムリミットが迫ってきます。夜な夜なエンジニアと進めていたのですが、いざ始まってみると写真がどんどん送られてきました。しかも、よく見てみると気象庁が発表している桜前線と微妙にズレている。「こっちが本当の桜前線じゃないのか」。すごく気持ちが高ぶったことを覚えています。
現在のウェザーニューズの特徴は、多くのコンテンツがサポーター参加型になっていることです。さくらプロジェクトを通じ、サポーター参加型で一緒にコンテンツを作っていけば個人向けビジネスも成立するのではないかと、何となく社内の空気が変わりました。それ以降も継続してサポーターとの価値共創やコミュニティの発展に取り組み、また利便性の高いアプリ開発を継続的に実施した結果、モバイル事業の売り上げを大幅に成長させることができました。
―― もともとメイン事業だった企業向けビジネスも、顧客数は2600社以上にまで成長しました。ここからどんな戦略を描いていますか。
石橋 これまでの企業向けビジネスは、ほとんどが大企業からの売り上げで占められていた側面があります。事業規模が大きくなるほど天気の影響も大きくなりますので、数億円の損害リスクを回避するために月々数百万円の費用をかけて気象情報を活用していただけるからです。
しかし、今後はもっと規模の小さな企業にも当社のサービスを活用していただき、より天気の影響を最適化した世の中に近づけていきたいと思っています。そのために、お天気アプリ「ウェザーニュース」をビジネス用に拡張した法人向けサービス「ウェザーニュース for business」に力を入れています。
―― 企業規模が小さくなるほど気象情報に使える予算も小さくなりそうですが、収益はどのように成り立たせますか。
石橋 「ウェザーニュース for business」の特徴は、「ウェザーニュース」の画面を左にスワイプするだけで、工事現場の作業の可否や農薬の散布の可否など、自分の仕事に関わる気象情報も分かることです。
このサービスを成り立たせているのは、これまで多くの企業に気象リスク情報を提供してきた専門的なノウハウと、個人向けサービスで培われたモバイル技術のシナジーです。その上で、プロダクトはクラウドで管理することができる時代ですし、営業はオンラインツールが浸透しました。これらを駆使して低コストで運用すれば、たとえ1社からお支払いいただける費用が小さくともスケールさせることは可能です。
―― 新サービスの提供にあたって人材はどう賄ったのですか。
石橋 実は大規模な採用は必要ありませんでした。もともと気象という性質上、約1千人の社員のうち半数ほどがオペレーションを担っている人材で、24時間3シフトで運営を行っていました。部分的にAIを活用できる作業も増えてきましたので、余裕が出た人員をカスタマーサクセスや営業など、新サービスの顧客接点強化に配置転換しています。
AIで代替するためオペレーション人員をリストラするわけでもなく、雇用を守るためにAIを使わないでもなく、経営的にアセットを有効活用できていると思います。
―― 温暖化や異常気象など、世の中的に気象コンテンツの価値は高まり続けそうですが、ウェザーニューズの気象予報の精度は気象庁を上回っています。競合についてはどのように認識していますか。
石橋 あまり外部環境に競争要因はないかもしれません。むしろ内部の実行力が、今後の戦略の成否を分けると思っています。最新技術を適切に使い、従来のやり方に固執せず、やるべきことをやる。
1990年代にIBMを復活させたルイス・ガースナーが言った、「IBMに今最も必要ないものは、ビジョン」という言葉が印象に残っています。「社長が変わるとビジョンは何かと聞かれるが、優秀な人材もいるし、やるべきことも分かっているから、あとは実行するだけだ」というニュアンスでの発言でしたが、今のウェザーニューズもそんな感覚に近いのかもしれません。
元をたどれば、われわれは船乗りの命を救いたいという思いから始まった会社です。気象情報を活用して、パイロットの命も、農業従事者の命も救えるように貢献してきました。さらにはCO2削減サービスも手掛けるようになり、ある意味で地球の未来すら救えるかもしれません。では、その思いを加速させ、人類がより天気とうまく付き合っていくために必要なコンテンツは何だろうか。それを突き詰めて実行していくだけです。外部環境も内部のリソースも整っています。これをやり切ることが自分の使命だと、社長として覚悟を持って臨みます。