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名だたる名将たちと野球をやってきた辻監督
「プロ野球の名監督は?」と聞かれて、あなたは誰を思い浮かべるだろうか?
辻発彦・埼玉西武ライオンズ監督のキャリアが異彩を放つのは、こうした問いで必ず名前が挙がる名将たちと野球をやってきたことにある。
選手としては、西武ライオンズで広岡達朗監督、森祇晶監督、ヤクルトスワローズで野村克也監督の下、リーグ優勝10回、日本一7回を経験。また、コーチとしては、第1回ワールドベースボールクラシック(WBC)で日本代表の内野守備・走塁コーチを務め、王貞治監督をサポートし優勝。その後、中日では二軍コーチや一軍コーチを歴任し、落合博満監督を支えた。これらの名将たちそれぞれのチームのまとめ方について、辻監督に語ってもらった。 写真提供=(c)SEIBU Lions
広岡達朗(西武ライオンズ)
広岡さんは、私の1年目の監督で、いろんな話をすることはほとんどなかったですけど、すべてのことに厳しい方で、ピリピリした中で大変だったという思いがあります。褒められることはほとんどなかったですね。しかしベテランも含め、それが全員に対してでした。やはり強い西武ライオンズを作らなければいけない時期で、そのための意識革命でした。田淵さんやベテランが多い中でチームを立て直すためにやられていたのだと思います。野球の厳しさや内野手としての技術の基本を教えていただきました。そういう厳しさの中で、こうやったら勝てるという方向に広岡さんはうまく持っていったような気がします。
森祇晶(西武ライオンズ)
森さんは、広岡さんの下で参謀をやられていましたが、それから監督になられてちょっと変わりました。柔らかくなったというか、選手の気持ちを読み取ってくれていました。当時のチームは、伊東や秋山ら主力が、広岡さんの厳しい時代を経て、叩き上げられ、常勝チームができていく過程で、一人一人責任感を持った選手が多かった。選手同士で自ら動くチームでしたので、森さんからは、ある程度任されたところがありました。私が選手会長になった時は、監督が選手に直接細かいことを話すよりはワンクッション置いて、私のほうに話をしてくれて、チームへの不満や問題はないのかという話をよくしました。
野村克也(ヤクルトスワローズ)
野村さんは常に周りに記者を引き連れて、そこでいろんな話をするというのが、一つのスタイルでした。直接、選手にあれこれ言うわけではなく、記者の人から、「監督がこういうことを言っていた」と耳にすることがありました。私の引退が囁かれていた時期に、野村さんが「野球界のためにここまで頑張った辻に対して、俺はユニフォームを脱げとは言えない。辻が辞めると言うなら辞めればいいし、辻の気持ち一つだよ」ということを言われていたと記者から聞いたのですが、それがすごくうれしくてね。口ではあんまりそういうことを言う人ではないですけど、マスコミなどをうまく利用している感じでした。
王貞治(WBC日本代表)
王さんは、すごい人だとは思っていましたが、もっと穏やかな人なのかなと思っていました。WBCの時は、チームのサインが多くあるわけではなく、選手に要求することは少なかった。選手たちが「王さんだ」と萎縮しかねない状況で、監督としてのおっとりとした雰囲気がコーチも選手もすごくやりやすかったと思います。しかし試合に入ると本当に熱くなられる方でした。川﨑宗則がエラーをした時など、「もう代える、代える」と言いだして、それを「いや、もう代えないでいいですから」となだめたこともあります。ただ、例のタッチアップの誤審(※)で抗議に出てきた時に「王さん、格好いいなぁ」と思いましたね(笑)。
落合博満(中日ドラゴンズ)
落合さんは、すごく選手思いで、選手のことを一番に考えてくれていると思いました。練習自体は厳しく、キャンプは6勤1休でしたし、シーズン中は移動日に練習してから移動していましたし、とにかくよく練習しました。しかし作戦的にもそんな変わったことを言う訳でもなく、厳しいことを要求することもなく、あまり選手に細かいことは言いませんでした。逆にコーチには細かく指示を出していました。練習に関しても、選手が1人でもグラウンドにいたら必ずしっかり見るようにわれわれコーチに言っていました。だから今、私もコーチには選手がグラウンドで練習しているときはしっかり見ているように話しています。辻監督インタビュー
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