グローバル化の流れの中で、衰退していく地場産業は数多い。その大半が国際的な価格競争で敗北し、市場を失って衰退が始まる。しかし、同じ境遇にあっても、ブランドとして確立することで復活を遂げることもある。そのための条件は何か。
中国に負けたからこそ誕生した今治タオル
「ブランドとは育てるもの」とはよく聞く言葉だ。いくら技術的に優れた商品でも、そのままでは誰も手に取ってはくれない。
確たる技術、優れた機能があるのは当たり前。あとはそれをいかに拡散するかで、ブランドとして認知されるかどうかが決まってくる。
愛媛県今治市。昨年、岡山理科大学の獣医学部が誕生したことで話題になった場所だが、それ以上に「今治」の名を有名にしたのは「今治タオル」の存在だ。
昔から今治はタオルの町として知られており、昭和の時代には全国生産の5割のシェアを誇っていた。
しかし平成を迎えると同時に中国が台頭し、今治市のタオル産業は大きな転機を迎える。当時の中国は人件費は日本の10分の1以下。
そのため、中国産タオルは国産タオルの10分の1の価格で販売され、日本のタオル産業は壊滅的な打撃を受ける。今治も例外ではなく、生産量は5分の1にまで減少、タオルメーカーの倒産も相次いだ。
そこで現地のタオル工業組合が目指したのが、今治タオルのブランド化だった。当時は繊維関係者の間でこそ「今治=タオル」と認識されていたが、一般の人にとっては今治の知名度は低かった。
そこでブランド化することで知名度を上げ、中国産タオルとは全く違う品質に目を向けてもらおうと考えたのだ。
そこで利用したのが「JAPANブランド育成支援事業」だった。
これは中小企業庁が15年前にスタートしたもので、複数の中小企業等が連携して優れた素材や技術などを生かして世界に通用するブランド力の確立を目指す取り組みに対し、経費の一部を補助する制度で、ブランド戦略の策定段階では最高200万円、ブランド確立のための商品開発や展示会の出展などに対しては最大2千万円が3年間にわたり補助される。
今治タオルはいかにブランドを立て直したのか
今治タオルが最初にやったことは、ロゴマークの策定で、これを佐藤可士和氏に依頼した。
言うまでもなく佐藤氏は超売れっ子のデザイナーであり、デザイン料も高い。一方、工業組合の予算は限られている。しかし、今治タオルを持参して依頼したところ、その品質を佐藤氏が気に入り、デザインを引き受けたという。
こうして生まれたのが、瀬戸内海から朝日が昇るところをイメージしたロゴマークだ。このマークはすべての今治タオルに取り付けられている。
ただし、今治市内で生産されたタオルすべてに付いているわけではない。今治タオルを名乗るには厳格な品質基準が定められている。
最も有名なのが、タオル片を水に浮かべた時に、5秒以内に沈み始めなければならないというもの。これは今治タオルの最大の特徴である吸水性を保証するものだが、視覚的にも極めて分かりやすい。
そのため今治タオルを紹介するテレビ番組などでは、他産地のタオルと今治タオルを同時に水に浮かべる映像がよく使われる。この映像が、「今治タオル=優れた吸水性」として人々の脳裏に刻み込まれたことで、今治タオルのブランド力は一層高まっていった。
今治タオルの知名度が上がった理由のひとつに伊勢丹新宿店が取り扱うようになったことがある。
当時の三越伊勢丹は、日本中の名品を積極的に発掘していた。今治タオルもそこで可能性を見いだされ、三越伊勢丹のバイヤーと今治タオルのメーカーが共同で商品開発を行うなどの取り組みを行った。
誕生した伊勢丹新宿店の今治タオルのコーナーは話題となり、テレビや雑誌で取り上げられることも増えた。それによりさらに知名度が上がり、贈答用タオルとしても人気を集めることとなった。
伊勢丹新宿店に売り場ができるまで、今治タオルを東京都内で買い求めることはむずかしかった。しかし今では多くの百貨店で取り扱われているだけでなく、港区青山には公式ショップも誕生した。また、メーカーの中には銀座に直営店を構えたところもある。
こうして今治タオルは、日本を代表するタオルとして復活を遂げた。
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