インタビュー
東急は、鉄道事業と沿線の街づくりを軸に、バス路線網の整備、百貨店、スーパーマーケット、ホテルなどへその事業領域を広げてきた。髙橋和夫社長は2022年に創立100周年を迎える同グループをどんな方向へ導こうとしているのか。髙橋社長の経営スタイル、そして同社の今後の展望について聞いた。聞き手=唐島明子 Photo=佐々木 伸(『経済界』2021年7月号より加筆・転載)
髙橋和夫・東急社長プロフィール
髙橋和夫氏の経営スタイルと東急の経営戦略
就任3年が経った髙橋社長が思うこと
―― 2018年4月に社長に就任してから3年がたちました。この間の事業経営はいかがでしたか。
髙橋 初めの1年間はなかなか慣れないというか、1日1日を着実に全うしていった印象です。2年目からは少しずつ自分の色が出せるようになりましたが、その年の終盤からは新型コロナの感染拡大に伴い、事業環境が大きく変わりました。1年目、2年目は随分昔のことに感じるくらい、3年目のインパクトが強かったです。
―― 「自分の色を出す」とは、具体的にどのようなことですか。
髙橋 社長となるための見習い期間があったわけではありませんから、そういう意味では自分のスタイルを作らないといけません。ただ、そのスタイルが正しいのかどうか、人に聞いて答えがもらえるわけではありませんから、自分でそれを確認しながら進めてきました。正しいかどうかは、あとから振り返ってみて分かるのではないでしょうか。
謙虚に耳を傾けつつもブレないことが大事
―― 自分のスタイルという言葉がありましたが、経営者として何を大切にしていますか。
髙橋 社長はさまざまな指示を出す役割ですから、まず「ブレない」ことを大切にしています。ただしブレないことは頑固とは違います。周囲の話に耳を傾けるのが前提です。「あ、いい意見だな。いい考えだな」と思えば、相手の年齢や役職は問わず、そのアイデアを聞き入れます。そのためには謙虚でなければなりませんし、柔軟性が必要です。そのうえで最終的に決めるのは自分ですので、自分なりに選択することが大切だと考えています。
―― 東急は30年までの経営スタンスや事業戦略をまとめた長期経営構想を19年に発表しました。
髙橋 私が社長に就任する前から構想していたもので、30年にはこうありたいという姿を描いています。東急は100年続く会社です。変化に応じて事業領域を取捨選択しつつも、歴史を引き継ぎながら積み上げ、社会とともに会社として成長し、次世代につなげていくのが役割です。
長期経営構想では「世界が憧れる街づくり」の実現に向け、人間らしさや社会との調和を謳っていますが、それは東急が100年前の創立当時から目指していたことと同じです。
皆さんが生き生きと暮らせる街をつくるには、これからの時代はワンツーワンの満足に応えていく必要があります。今後はデジタル基盤を活用しながら個別のニーズに対応できるようにしつつ、人々が自分らしく生き、幸せを追求できる一方で、社会や地域、自然環境と共生しながら、人間らしいぬくもりのあるコミュニティもつくる。そうすることで、一人一人のウェルビーイングの追求と持続可能な循環型社会の追求を実現していき、みんなが憧れる街を目指していきたいと思っています。
―― その構想には、髙橋社長が経営者として大切にしているポリシーとの共通点はありますか。
髙橋 従業員、お客さま、地域、社会など、さまざまなステークホルダーがいますが、バランスよく対応しながら皆さんに報いていくことが大事だと考えています。株価だけ、成長だけ、利益だけなど、どれかひとつだけを追いかけるということではなく、バランスをとりながら、世のため人のためになっているかを必ず考える。
近江商人の心得で、「売り手よし、買い手よし、世間よし」の「三方よし」という言葉がありますが、私たちは地域社会と一緒に歩んでいます。地域の方が幸せになれるような仕事をすることで、信頼関係も生まれます。その信頼を裏切らなければ、必ず地域やお客さまとの関係が持続的なものになり、街は継続していくのではないでしょうか。
バス事業に長年携わり学んだこと
―― 髙橋社長は東急に入社以来、長くバス事業に携わり、分社化した東急バスにも出向していました。バス事業では、地域とのつながりを意識していましたか。
髙橋 まず東急は鉄道事業があり、それは地域に根差して走る太い血管となっていますが、その先にあるバスは鉄道の補完的なサービスとして、毛細血管のように地域を走っています。そのため、より地域に受け入れられ、ご利用いただけるサービスであることがバスには求められます。いかに地域の方に利用していただけるようになるか。お客さまのニーズに応えるサービスを提供するのが事業の基本です。
―― バス事業で印象に残っているプロジェクトはありますか。
髙橋 バス事業の分社化です。現在は異なりますが、当時のバス事業は赤字が継続する状態でした。分社化した頃の私は入社10年目前後で係長くらいの若手です。まだ若かったので分社化の事由を詳細には把握していませんでしたが、出向先は赤字会社ですから、「何とか再建しなければ。会社を生き残らせ、黒字化しなければならない」と考えていました。
ただ、暗く落ち込んでいたわけではありません。これ以上悪くなることはないと思っていましたし、私はそんなに心配症ではありません。未来はきっとよくなると信じなければ前向きに仕事はできませんから。
―― 赤字から脱するために当時どんな取り組みを行いましたか。
髙橋 取り組みはとても地道なことです。例えば、不採算路線の運行を止めること。そこで働いていた人たちには、今までの勤務地から別の勤務地に異動してもらうこともありました。
営業施策としては、需要を掘り起こすために、今では普通になった深夜や早朝のバス運行を始めました。当時、終バスは終電より早く、夜10時半がバスの最終便ということもありました。しかしバスは鉄道の補完的なサービスですから、鉄道が走っているのにバスが走らないのはおかしいですよね。ただ、現場の社員はその時間に走らせるのは大変です。そこは現場と折り合いをつける努力を続けました。
―― 現場と折り合いをつけるために、どんな働きかけをしましたか。
髙橋 とことん話し合うことです。上の職責の人が指示を出すだけでは、現場は動きません。しっかりコミュニケーションを取り、相手が分かってくれるまで繰り返し何度も現場に足を運んで話し合います。現場の人はシフトで働いていますので、一度に全員を集めることはできません。であれば、小集団で何回も何回もコミュニケーションを繰り返せばいい。20チームあったら20回行けばいいだけの話です。
現場には、現場を束ねる現業長がいます。その現業長に「これやっといてね」とお願いすることもできますが、それではダメです。自ら現場に足を運び、自分でやりきるというプロセスが大事なのだと思います。
新規事業は東急の既存事業と親和性がないものを選ぶ
―― 東急バスから東急に戻ってから、社長就任までの7年ほどは経営企画部門を担当し、仙台空港の運営権獲得にも携わりました。空港運営事業への進出を発表したのは15年でしたが、それを決断した決め手は何だったのでしょうか。
髙橋 現在の私の考えとしては、極めて逆説的な言い回しになりますが、新しい事業に挑戦する社員には「できるだけ東急の既存事業と親和性のないものを選ぶように」と言っています。すべて東急グループでやることの限界、イノベーション創出の限界を感じているからです。
しかし当時は少し違う考え方をしていました。空港運営について調べていたら、ある本に「空港は私鉄モデルに似ている」とあったんです。それで検討してみたら、確かに同じだなと。空港は人を呼び込んで、呼び込んできたところが拠点となって街ができる。私たちはエアラインは持っていませんので、そこは航空会社に協力いただくことになりますが、私鉄の事業モデルと実際にかなり似通っていて、海外での成功例もあった。これならいけるだろうと考えました。
現在は新型コロナで大変ですが、空港事業は30~40年の長期スパンの事業です。私たちが開拓した中国便や台湾便が今はストップしていて、ここ数年は厳しい状況が続きますが、最終的に黒字化させます。
新型コロナ禍における東急の取り組み
―― 新型コロナの影響下において、東急グループの各事業はどんな取り組みを進めていますか。
髙橋 鉄道事業ではコロナ禍以前を100%の状態とすると、現在は70%くらいまでお客さまが戻ってきました。しかしそれでは採算が取れません。テレワークなど新しい生活様式が定着し完全に需要が戻ることはないと考え、事業構造変革に既に着手しています。
また百貨店とホテル、もともとこの2つの事業はコロナ禍以前から課題がありました。百貨店は市場規模が5兆円まで縮小している。食料品売り場は成立しますが、アパレルは厳しい。今後は直営型ではなくテナント型に変容していきながら、事業形態が重なるショッピングセンターとの一層の連携も模索していきます。
ホテルは東京五輪をマーケットとして想定していたこともあり、特に関東圏では供給過剰な状態です。宿泊特化型の単なる宿泊場所として提供するだけでなく、さまざまな利用形態を模索していきます。例えば都内であれば、客室の一部をサービスアパートメントやデイユースに変えるなど、単純な宿泊利用だけではなく、多様な活用法が考えられます。
新型コロナに背中を押されている部分もありますが、環境変化を機会ととらえて柔軟に対応しながら、すばやく変革を起こしていかなければなりません。こうした取り組みを進めていきます。