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「創業家に生まれたのは“宿命”。それを“運命”として自ら選択」―元谷一志(アパグループ社長)

元谷一志・アパグループ社長

インタビュー

アパグループの元谷外志雄代表とグループ傘下・アパホテルの元谷芙美子社長の長男として生まれたアパグループの元谷一志社長は、幼少期から後継者として育てられてきた。会社経営のバトンが渡されるのはまだ先だが、受け取りさえすれば、自ら経営する心の準備はできているという。2代目社長の矜持とは。聞き手=唐島明子 Photo=佐々木 伸(『経済界』2021年9月号より加筆・転載)

元谷一志・アパグループ社長プロフィール

元谷一志・アパグループ社長
(もとや・いっし)1971年生まれ、石川県出身。95年学習院大学経済学部卒業。住友銀行で5年間勤務した後、99年11月にアパホテル常務取締役として入社。2004年に専務取締役に就任後、最高財務責任者(CFO)、経営企画本部長、人事部長等を歴任。12年5月にアパグループ社長に就任、現在に至る。

小学生時代から受けた後継者教育

―― アパグループは創業50周年を迎えました。元谷一志社長は、ゆくゆくは創業者の元谷外志雄代表からアパグループを引き継ぐことになります。これまでに帝王学のようなものを教わりましたか。

元谷 小学校時代から「お前が継ぐんだぞ」と完全に洗脳されていたというか(笑)。ありとあらゆる可能性を排除されて、本当に一本道でここまで来ました。

 普通の小学生は学校から帰って21時頃に寝たら、翌朝起きますよね。でもわが家は一度寝た後、父が帰宅すると起こされるんです。だいたい23時頃に起こされて、父の肩をもんだり背中に乗ったりしながらその日にあった出来事を話させられる。強制的ではありますが、父なりの親子のコミュニケーションですね。

 そして父は父で、今日はビルを買ったとかマンションを建てたとか、仕事について語ります。ある夜に父がいきなり「今日買った土地を今から見に行く」なんて言い出し、夜中に車の後部座席に乗せられて40~50分かけて連れて行かれたこともあります。それで現場につくと、「この土地はどんな用途で使うか分かるか」と聞かれたり、「隣のビルが6階建てであればここも6階建てのビルが建つんだ」とか教わったりしました。

就職活動で選択を迫られる

―― 当時はその環境を普通に受け入れていたんですね。

元谷 うちの家庭はそれが普通でした。家で事業の話をする、そして子どもを子どもとして扱わずに、一人の人間として扱う。

 今思えば、人は何のために生き、何のために働くのかを学ぶきっかけになりました。父がよく話すこととして、宿命論と運命論があります。宿命は宿された命であり、生まれた場所や両親は変えることができない。それに対して運命は運ぶ命と書き、自分で能動的に人生を選ぶことができる。でも父としては、将来この事業を私に継いでほしいと。

―― では現在は宿命に従っている。

元谷 そうですね。ただ、それを能動的に自分の人生にしたのが、大学の就職活動のタイミングです。

 父から「お前は継ぐ気があるのか。継ぐ気があるなら金融機関に行って、お金が持つメカニズムを学んで来い。継がないなら、「法定遺留分を含めて財産はすべて放棄する」と一筆書いてから好きなところへ行け」と言われました。その一筆が法的に有効になるのかどうかはさておき、外へ出るならそれくらいの覚悟を持って行けというメッセージだったのでしょう。それでいろいろ考え、最終的には親孝行をするために家業を継ぐと決め、住友銀行(現・三井住友銀行)へ就職しました。

―― 住友銀行での経験はいかがでしたか。

元谷 住友銀行に勤めたのは5年弱です。はじめは浜松町支店で預金からスタートして外為へ、その後は大手町の法人業務部へ異動しました。

 私は宅地建物取引主任者(現・宅地建物取引士)の資格を持っていたというのもあると思いますが、その法人業務部の中に新しく立ち上がった不動産チームに配属され、ATMの稼働率を上げる取り組みを行いました。複合施設としてATMにカフェを併設したり、銀行の営業時間に合わせて9~15時しか開けていなかった銀行の駐車場を、リパークやタイムズ24を通じて時間貸しをしたり。

 この例は銀行の本業ではないものの、いかに有効に収益を高めるかという点では非常に勉強になりました。アパグループの不動産業では、基本的には不動産を売るか貸すかでしか収益は得られませんが、持っている資産を余すことなく活用し、遊休資産をなくすことが大事です。

世襲はバトンリレー

―― 現在は父親の外志雄氏がアパグループの代表として経営の実権を握っています。代表と社長とで、意見が対立することはありませんか。

元谷 基本的にはありません。なぜかというと、世襲はバトンリレーだと私は考えているからです。

 バトンリレーにはバトンを受け渡す区間があり、そこでバトンを引き継ぐ。受け渡す流れはいろいろあると思いますが、現在アパグループの経営のバトンを持っているのは父です。いつになるか分かりませんが、私としては、バトンを渡されたら私なりの考え方でその時代に合った経営をしたいです。ただ当然、今でもアパグループの方向性はこうしたほうがいいのではないかと私の意見を父に伝えることはあります。

父親との経営スタイルの違いとは

―― 元谷社長には弟・拓氏がいます。後継者争いはどうでしょう。

元谷 弟はアパホテルの専務をしています。私たちが小学生の頃から父は長子相継と言っていましたので、私も弟も、私が継ぐのだろうと何となく。父が会社を経営し、母が会社の顔のような形でメディアによく出ていますが、私と弟もそれと似ていて、母の立ち位置を弟がやっています。私と弟、それぞれ得意分野も違う中で、私はヒト・モノ・カネを主にやり、弟が広報や講演活動、法人営業などを担当しています。

―― 次世代は兄弟で担っていくことになりそうですね。経営スタイルとしては、父と自分の違いをどう分析していますか。

元谷 父は創業者、私は2代目、立ち位置が違います。徳川家でも初代、3代目、5代目、8代目の業績があって、名前が残っている。それに対して2代目、4代目、6代目、7代目は「誰だっけ?」という感じですよね。初代・徳川家康は知っている、3代目・家光も知っている、でも2代目・秀忠は影が薄い。2代目の業績は初代に包括されている。でもちゃんとやっていたから3代目に続くわけです。だから私は送りバントの人生だと考えています。その役回りを知っていれば、「そういうものかな」と納得もいきます。

―― では送りバントをする2代目として、大切にしていることは。

元谷 ダブルプレーを避けることですよね。父はよく、「事業は大ハマりしないことが大事だ」と言っています。経営判断をする上では成功することもあれば失敗することもある。だけど、存続している企業は小ハマりで済んでいて大ハマりしていません。だから大ハマりする選択はしないようにしなければなりません。

 つまり戦術的な失敗は仕方ないし、容認される。しかし戦略的な失敗は大打撃をうけて潰れてしまう可能性が高く、見誤ってはならない。

―― 戦略的な失敗に陥らないために心掛けていることはありますか。

元谷 大局観を持ち、自分の代で成果を求めないことです。自分の代だけではなく次世代を含めた成果を求める。自分の代で功を焦ると、誤った判断をしがちです。だから自分がやっていることの半分は初代に、半分は3代目に任せるのがいいと考えています。

―― 世襲の強みについてはどう考えていますか。

元谷 サラリーマン社長による経営とファミリー経営の間で、根本的に違うのは長期ビジョンです。ファミリー経営の場合は、自分の代で成果が出ない事業でも、将来間違いなく返ってくるものに対しては投資します。しかしサラリーマン社長は、「自分の任期の間でどれだけ成果を上げるか」という短期的な利益を求めがちです。任期の5年ないし6年の中で成果が上がらないことには手を付けないのではないでしょうか。

―― アパにおいて長期的な視点に立った選択としては、具体的な例はありますか。

元谷 基本的に私たちのホテルの9割は土地も建物も自社所有です。長期保有する前提で経営していきますので、それはやはり長期ビジョンに基づいてやっています。また、ある地域にリニア新幹線の駅ができる場合は、今は発展していないその地域が10年後、20年後は発展するかもしれないとして、そこにある土地に投資することもあります。

ホテルは100年先も残るビジネス

―― 自分の代で成し遂げたいことがあれば教えてください。

元谷 会社はその時代のニーズに合わせて変容すべきだと考えています。カメレオン経営ですね。会社30年説の中で、企業としてどう変わって行けるのか。

 今もアパは社会的要請をもとに、コロナの陽性患者への一棟貸しをしています。これまでのホテルは健常者に対して宿泊機会を提供するビジネスだったけれど、パンデミックでは療養施設としてのニーズもあった。つまり平時はホテル、有事はホスピタル、そういうハイブリッドな経営が今後は求められてきます。父は言っていませんが、私は最近、自分たちのことを「ホテル&ホスピタルチェーン」と言っています。

 また、これも私の考えですが、ホテルは体験型ビジネスです。人が死ぬ間際で後悔することと言えば「あそこへ行きたかった」「見たかった」「食べたかった」です。エルメスを買いたかった、ベンツを買いたかったではありません。いくらテクノロジーが進化しても百聞は一見に如かず、彦根城や大阪城を見るために地球の裏側からでも足を運びます。私たちはその体験型ビジネスのど真ん中にいます。見たい、食べたい、知りたいという欲求には強いものがあり、ホテルは100年先も残るビジネスだと考えています。

―― 3代目の教育はいかがですか。

元谷 時代が変わっていますので、父から私と、私から息子とでは、受け継ぎ方も少し違うはずです。私には息子2人と娘が1人います。長男は小学校から大学まである有名私立一貫校に小学校から通っていましたが、甲子園を夢見て、その高校へは進学せず一般入試で他県の野球の強豪校へ入学し、寮の4人部屋で下宿共同生活をしています。親元を離れた厳しい環境で頑張りながら、一回りも二回りも大きくなって帰ってくるのではないでしょうか。

 ただ、そこで長男に伝えているのは、「野球は野球でひとつケリをつけ、野球で成仏してから戻って来い」ということです。それは次のステージに進むためには絶対必要なことです。息子の時代にはアパは今以上にグローバル企業になっているので、フィールドは非常に大きい。しかし社長の器以上に会社は大きくなりません。自分の器を大きくするためにも大きく成長してもらいたいです。