芸能界で華々しいキャリアを誇る俳優・石田えり。国内外の作品に出演し、世界的に高い評価を受けるなか、今新たなキャリアを踏み出した。長編初監督と同時に、自ら脚本、編集、主演を務めた映画『私の見た世界』を通して、彼女の仕事観を掘り下げる。聞き手=武井保之 Photo=逢坂聡(雑誌『経済界』2025年9月号より)
石田えり 俳優、映画監督のプロフィール

いしだ・えり 熊本県出身。『遠雷』(1980年/根岸吉太郎)で日本アカデミー賞優秀主演賞と優秀新人賞を受賞。「第41回カンヌ映画祭」コンペティション部門出品の『嵐が丘』(88年/吉田喜重)、「第64回ヴェネチア映画祭」オリゾンテ部門オープニング作品『サッド ヴァケイション』(2007年/青山真治)などに出演。 19年に短編映画『CONTROL』を初監督。『G.I.ジョー・漆黒のスネークアイズ』(21年/ロベルト・シュヴェンケ監督)でハリウッドデビュー。長編映画初監督作『私の見た世界』(25年)では主演、脚本、編集を務める。
昔から犯罪小説が好きだった福田和子の人生への共感
―― 昭和57年の松山ホステス殺人事件で逮捕された実在の人物・福田和子の人生を懸けた逃亡劇を描く映画『私の見た世界』は、石田さんの長い芸能界キャリアのなかで、長編映画監督、脚本、編集を手掛ける初の作品になりました。なぜ今この物語を映画化したのですか。
石田 もともと犯罪小説が好きで、いろいろな作品を読んでいて、その中のいくつかの本で福田和子さんの人生を知りました。松山ホステス殺人事件の犯人として指名手配され、名前も顔も変えながら14年11カ月10日間にわたって逃走を続け、時効直前に逮捕されます。その昭和と平成を震撼させた逃走劇の裏には、恐ろしい犯罪者ではなく、ひとりの人間としての弱さや孤独があり、社会の闇に取り込まれる彼女の姿があります。それを令和の今描くことに意義があると考えました。
―― 彼女の生きざまには石田さんを引き付ける何かがあったのでしょうか。
石田 昔から考えていたことがあるんです。生きていれば、どんな人でも逃げ通したいことに出合う。しかし、「逃げる」ことは「追われる」ことでもある。いったいどうしたら「解放」されるのだろう? って。
ある日、その答えのヒントになる夢を見ました。そのイメージが福田和子さんの15年の逃走劇と重なって、彼女の人生をもとに伝えることができるかもしれないと感じました。そこから自分で脚本を書いてみようと思ったのが最初です。
―― どんな夢だったのですか。
石田 誰かに追われていて、とにかく怖くて必死に逃げるんですけど、もう逃げ切れないと思って、勇気を振り絞って後ろを振り返ります。すると、逃げるのをやめて向き合ったら、追手が消えました。ずっと逃げていたけど、最後の最後は逃げなかったことで、その状況から「解放」されたんです。
もちろんそれが福田和子さんの人生と同じとは思いません。でも、あまりにもインパクトが強い夢で頭に残っていた中、あるときイメージがつながりました。
社会的事件や日常生活の人間関係を描く
―― 石田さんご自身と福田和子の人生が重なる部分もありますか。
石田 ありますね。罪を犯す前の福田和子さんは、ごく普通の主婦でした。でも、犯罪者となり、逃亡を重ねながら徐々に極悪人のイメージがついていく。芸能界にいる私も、メディア報道や演じた役柄などから、いろいろなイメージを持たれることは当然あります。初対面の人から冷たくされたり、嫌悪感を丸出しにした悪意をぶつけられたりすることもあります。それに対して、ただ傷つき、世の中が怖くなって、トラウマになる。そして敏感になってしまって、逃げる。これを繰り返すと恐怖が増す。すると、世の中の悪意をより強く感じる。それを断ち切りたい。このような体験が、福田和子さんが逃亡をしながら見たであろう世間と、イメージが重なりました。
―― 俳優としての出演だけではなく、製作全般に携わった経緯を教えてください。
石田 もともと私がずっと考えていたイメージを映像作品にするわけですから、それを誰かに言葉を尽くして伝えても、そのままのものが出来上がるとは限りません。そのための時間とエネルギーを消費するよりも、私自身で作ったほうが納得のいく作品になると思いました。
でも、今の不景気な時代は、監督や脚本家ではない私が自分でやると言っても、簡単には製作費が集まりません。人に任せて待っていても時間だけが過ぎていってしまう。だったらもう自分で作ろうと決意して、資金面も含めて全面に立って製作に関わってきました。
―― 昭和から平成の事件ですが、令和の今公開する意義についてお聞きできますか。
石田 「逃げる」「追われる」という行為は、いつの時代にも共通する社会的な事件や出来事だけでなく、普通の日常生活における人間関係としてもあります。
例えば、ストーカー殺人事件は近年だけでも繰り返し起きていて、警察はまったく役に立たない。頼るところもない。では当事者はどうすればいいか。できることのひとつは、敵を知ること。なぜ追いかけるのか、何を求めているのか。相手をイヤなヤツだと決めつけずに受け入れてみる。必要なら第三者を交えて面と向かう。怖いし、勇気もいるけど、それを乗り越えれば解放されるかもしれない。そんなことを映画で描いています。
自分の壁を乗り越えれば人生は想像以上に面白い
―― この先も演者だけでなく、監督業など製作側としても作品に携わっていくのでしょうか。
石田 今回は最初に手掛ける作品の規模として、ちょうどよかったと感じています。一応納得できる仕上がりになりました。ほかにも、コロナ禍に書いた脚本が4本あります。犯罪もの、文芸もの、南の島の物語、4人のおばあさんのコメディ(笑)。監督として一歩を踏み出したからには、この先も作り続けることで自分を磨いていきたいです。
実は、最初に映画化したい企画があったんです。でも、規模が大きすぎて今の段階では難しい。本来私は、こんな心で生きたら自由だなとか、こんなすごい世界があるのか、という新しい体験ができるエンターテインメント性の高い映画が好きなんです。そういう作品が作れる監督になって、実現したいですね。
―― 石田さんの表現欲求が溢れているのを感じます。その原動力はどこから湧き出るのですか。
石田 いろいろ思いついちゃうんです。言い訳をつくって、自分さえ邪魔しなければ何でもできる。心から情熱があれば、実現できると思います。できないものはできないで諦めちゃえばいい。そういうふうにやっていくと、もともとのビジョンとはまったく違うものが出来上がったりする。自分でも驚くような展開が待っているかもしれない。それが楽しいですね。
―― 今の芸能界はコンプライアンスやハラスメントに厳しくなっていますが、かつてはそうでない時代もありました。その頃も仕事をしてきた石田さんが、今の時代へ思うことはありますか。
石田 もう俳優が長いものに巻かれなくていい時代だと感じます。自分がやりたいことや、作りたい作品は、待っていないで行動を起こす。逆に、断ることへの不安から、やりたくないものを引き受けても、あまり意味がないと思います。
―― 長く活躍を続けられていますが、俳優として成功するために必要なことを教えてください。
石田 私自身が成功しているのか分かりませんが(笑)、やはり自分の考えや感情を信じて、シンプルに行動に移すことではないでしょうか。やると決めたら100%で取り組む。それでダメだったらダメでいい。失敗してから考えればいいんです。そこから学びがあり、次につながりますから。
その瞬間を生きるだけ 苦労は幸せなことでもある
―― 小説がお好きとのことですが、仕事に生かすための読書もあるのでしょうか。どのように読む本を選んでいますか。
石田 そのときの興味や関心ですね。本だけでなく、ニュースやドキュメンタリーもたくさん見ます。世の中の知らないことをどんどん知りたいという欲が強くあります。芸能界だけの常識で生きると、ちょっと危険ですよね。なので、本はジャンルを問わず、何でも読みます。
―― その知識への貪欲な姿勢が今の石田さんを形作ってきたんですね。
石田 俳優の仕事を続けるからには、自分で自分を教育していかないと、何を演じようと、表面だけの薄っぺらい人間になってしまう。短編映画『CONTROL』を監督しましたが、たった7分の映画を作るだけで、さまざまな知識が必要でした。はっきり言って、本当に難しかった。自分の伝えたいことを、どう映像化すればいいのか分からなかった。これは半端な気持ちではできないと痛感しました。少しでも、何か人や社会の役に立てるものを作ろうと思ったら、知識だけではなく、美しいとはどういうことかを学んで、それを生かすのも大切だと思います。
正直に言うと、もうめんどくさいって思うときもあるんですよ(笑)。でも好きなことをやっているわけで、その苦労は幸せなことでもある。だから、やる。瞬間瞬間を生きる。それだけです。
―― もう知識を吸収し尽くしているのではありませんか。
石田 そんなバカな!(笑)。まだまだ知らないことだらけです。数年前は、自分が映画を作るとは思っていませんでした。人生はいつ何が起こるか分からないし、この先どうなるかも誰も知らない。これからはもっと楽しんで、いろいろなものを味わいながら、どんなおばあさんになっていくのか楽しみたいです。

※2枚目の画像要クレジット
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