インタビュー
転職プラットフォームのビズリーチを展開するビジョナルが、東証マザーズに上場した。日本では数少ないユニコーンの1社と見られていたが、時価総額2500億円の大型上場となった。社長の南壮一郎氏はかつて楽天イーグルスで球団経営に携わっていた。なぜ人材ビジネスに転じることになったのか。聞き手=関 慎夫 Photo=山内信也(『経済界』2021年8月号より加筆・転載)
南壮一郎・ビジョナル社長プロフィール
ビジョナルの経営戦略
ビズリーチを中心に人材HRテック事業群をつくる
―― 上場からほぼ1カ月がたとうとしています(取材日は5月20日)。上場する前と後で変化はありましたか。
南 特にないですね。ゴールデンウイークもあり、緊急事態宣言中で極端に人に会わなくなっています。仕事もほとんどリモートで会社にもあまり来ていません。ですから上場を意識することはあまりありません。
―― 初値は7150円と公開価格5千円を大きく上回りました。株式市況も良く、いいタイミングでの上場でした。
南 上場することは5年前から考えてました。2016年にベンチャーキャピタルから大きな資金調達をしたのですが、その際に今後の事業構想を考えました。どのくらいの規模になっていて、組織体制はどうあるべきなのか。その時にグループ経営体制への移行を考え、上場することを決めました。そして実際、昨年2月に持ち株会社ビジョナルを新たに設立し、傘下にビズリーチなどを持つVisionalグループが誕生し、この4月22日に上場を果たすことができました。
―― 計画を立て、そのとおりに実行してきたわけですね。
南 中長期的な視点に立って戦略・戦術を立案し、そこから逆算してやるべきことをひとつずつ積み重ねていく。それが自分たちの成功のフレームワークです。この間、後輩経営者が一足早く上場したりもしましたが、焦ることもありませんでした。幸い、株式市況のいい時期に上場できましたが、仮に市況の悪い時であっても、予定どおり上場したと思います。
―― 改めて上場の狙いを教えてください。
南 12年前にビズリーチを創業して以来、ずっと黒字基調で進んできましたが、5年前に自分たちの未来の形を考えた結果、ビズリーチを中心としたHRテックの事業群をつくっていくとともに、HRテック以外の事業領域にも種を蒔いていこうと決めました。上場で得た資金は、そうした事業に投資していきます。
ビズリーチを超える人材SaaS事業
―― これまでは創業ビジネスであるビズリーチの一本足経営でした。第二第三の経営の柱をつくっていくわけですね。
南 そうです。ビズリーチは今後も伸ばしていきますが、それとともに力を入れているのがHRMOS(ハーモス)という、採用管理だけでなく、従業員情報も一元管理することで人材活用におけるさまざまな業務を最適化できるSaaSです。
日本企業の多くが、個社にカスタマイズされた人事システムや、業務管理ソフトとしてエクセルを使っています。エクセルは日常的な表計算の優れたソフトですが、データの蓄積や一元管理が苦手です。利用者がそれぞれファイルをつくるため、それがリアルタイムではつながらない。ですから業務効率が落ちてしまう。HRMOSなら一元管理することで人材に関するさまざまな業務の最適化ができるため、生産性が各段に上がります。
―― 上場時の資料によると、この4月時点でHRMOSのAPR(月額料金の合計)は10億円を超えたとなっています。いつかビズリーチを逆転できますか。
南 もちろんです。市場規模が全然違いますから。SaaSは今最も注目を浴びているビジネスです。投資家からも評価されている成長領域です。HRMOSを導入することで働き方を大きく変えることができます。ただし、浸透するまでには時間かかります。ですから10年かけて大きな柱に育てていくつもりです。
起業のきっかけは社会課題の解決
―― その一方で、M&Aや物流のマッチング・プラットフォーム事業も手掛けています。事業分野に対するこだわりがそれほどないように見えます。
南 HRテックへの思い入れは非常に強いものがあります。われわれの出発点ですし、まだまだやらなければならないこともたくさんあります。12年前にビズリーチを始めたことで、転職市場は大きく伸びました。それでもまだ、日本の正社員の転職率は年間2・5%でしかありません。市場規模もアメリカは2兆6千億円もあるのに、日本は3千億円です。ビズリーチにしても、現在のスカウト可能会員数は123万人ですが、ターゲットである年収600万円以上の人は国内に1千万人以上います。またビズリーチを利用する企業数は6600社ありますが、日本で従業員数が101人を超える会社は4万8千社以上あります。つまり転職する人も企業も拡大の余地が大きくあります。
私が起業したのは、デジタルによって社会の課題を解決するためです。日本の働き方は高度成長期には非常に優れたシステムで、時代にぴったり合っていた。しかし製造業からサービス業へと産業構造が変わっていくにつれ制度疲労を起こしてしまっています。そこでITのテクノロジーを活用して日本の働き方をアップデートしようと考えたわけです。しかし12年たっても日本の働き方はそれほど変わっていません。ですから今後もHRテックには力を入れていきますし、今後10年の成長ドライバーであることも間違いありません。
ただその一方で新規事業の種も蒔いていきます。上場時の会見でも言いましたが、新規事業を選ぶ基準は、デジタルトランスフォーメーション(DX)により、市場が大きく成長する分野です。そういう分野でかつ、われわれの経験を生かすことができるのであれば、今後も新規事業を創出する可能性はあります。
12年前に雇用の流動化が必要だと考えたのと同じように、生産性を高めるには資本の流動性も重要です。例えば地方の中小企業で価値はあるのに業績が伸びていない会社が資本力のある会社の傘下に入ったほうが、事業にとっても働いている人にとっても有意義です。
優秀な人が成長に伸び悩む会社で働くことは社会にとってももったいない。ですからビズリーチ・サクシードという事業承継M&AプラットフォームをつくりM&A市場拡大のお手伝いをしているのです。これも今後10年かけて育てていこうと考えています。
―― HRMOSもビズリーチ・サクシードも10年単位のロングスパンで考えています。ベンチャー企業としては珍しいのではないですか。
南 B2B事業を育てるには10年は必要です。ですから上場に際し、投資家の方と面談した時も、10年先を見据えて出資してくださるようお願いしましたし、理解していただいたと思います。われわれはこれまで、利益を中長期的な企業価値向上に向けた投資に使ってきましたが、今後もそれは変わりません。
―― 10年後、ビジョナルはどんな会社になっているのでしょうか。
南 時代が変われば企業も変わります。ソニーやリクルートも創業時とは今とでは大きく姿を変えています。ソニーは家電から始まりましたが、今ではゲームや金融が収益を支えています。リクルートも新卒メディアから始まって、さまざまなジャンルへ手を広げています。われわれもそうなるかもしれません。昨年、グループ経営体制に移行した時に社員に言ったのは「10年後は今から想像できないような会社になっていたい」ということです。
南壮一郎・ビジョナル社長の歩み
今につながる楽天球団の経験
―― ところで南さんは、アメリカの大学を卒業後、米国系投資銀行に入社しましたが、その後、スポーツの世界を志し、フットサル場の管理人など経て楽天球団へ入社しています。仕事を選ぶ基準はなんですか。
南 自分にとってその時、一番面白そうなことです。ですから僕がいる業界はいつでもバブルです。ずっと景気がいい。
―― 楽天球団の創業メンバーの1人ですが、以前の投資銀行とスポーツビジネスでは全く毛色が違います。過去の経験を生かそうとは考えなかったのですか。
南 僕は今まで何度も強制的にリセットされてきました。小学生の時にいきなりカナダに引っ越して日本人は僕一人の学校に入学し、中学で帰国すると静岡県の地方の学校で丸坊主にさせられた。校内暴力全盛の時代でターゲットにもされたけれど、それでもサバイバルしてきた。高校卒業後はアメリカの大学に入りましたが中1で英語が止まっているから大学の授業が分からない。それで英語の学び直しです。ですから僕に取ってリセットすることは当たり前。そしてそこで生き残るために勉強する。ですからスポーツビジネスをやりたいなら、そこに飛び込む。それだけのことです。
―― 非連続であることが当たり前なわけですね。ビズリーチ事業にしても、その直前の球団経営とは全く関係がありません。
南 それでも楽天イーグルスでの経験は今に生きています。2004年の球団創設時から関わっていますが、公共性が高く地域のシンボルでもありました。僕が辞めた後には震災復興のシンボルとなり、巨人との日本シリーズではほとんどの国民に応援していただいた。こうした経験を通じて「事業で世の中を変えることができる」ことを実感しました。
楽天の三木谷さん(浩史社長)や球団社長の島田さん(亨・現USEN?-NEXT HOLDINGS副社長)にも随分とかわいがっていただきました。在職中はいずれ球団社長にとも言われていました。
―― それなのに辞めたのですか。
南 僕は残るつもりでした。でも追い出されてしまった(笑)。一度、外に出て、ここで学んだことを実践して、10年たってそれでもスポーツがやりたければ戻ってこいと。そのほうが絶対にいい社長になると言われました。そこで外に出たのです。
この2人から学んだものはとても大きい。三木谷さんはマーケットプレイスの楽天の創業者ですし、島田さんは人材紹介のインテリジェンスの創業メンバーです。それぞれ僕の今の仕事に関係した分野です。その意味で楽天イーグルスは今につながっています。
いつでもどこでも優秀な人材を探し続ける
―― DXの可能性に気づいたのも楽天球団時代なんでしょうね。
南 おっしゃるとおりです。楽天球団では、チケットを売って2万人を球場に集めグッズや飲食を売るというアナログな商売をやっていました。ただし親会社の楽天から出向されている社員の方は、インターネットを活用して効率的にチケットを売り、ファンクラブの運営にCRMを活用していました。そうした人たちが隣の島にいたわけです。その仕事を見ていれば、デジタル・テクノロジーがビジネスを効率化することにいやでも気づきます。これは別に球団経営に限ったことではなく、どんなビジネスにも使えると感じていました。
―― とはいえDXに関しては素人です。ビズリーチを始める時は楽天から人を引き抜いたのですか。
南 創業メンバーは7人ですが、知り合いは1人もいませんでした。現在社員は1400人にまで増えましたが、その中でも、知り合いは1人だけです。
―― HRテックの会社の人の集め方というのはどういうものなのですか。
南 一生懸命探すだけです。友人に紹介してもらったり、転職サイトに求人広告を出すなどごく普通のことですが、いつでもどこでも、いい人がいないか常に探しています。例えば今のビズリーチの事業部長はリクルート出身ですが、彼の部下とビズリーチの社員の披露宴で出会いました。お互い主賓だったのですが、その時の彼のスピーチがとてもよかった。それで披露宴の最中、彼のテーブルに行ってずっと口説いて、1年半後にやっと入社してもらいました。
パネルディスカッションで見つけたパネリストに来てもらったこともありますし、声を掛けた人が来てくれない場合は、その人が一番優秀だと思う人を紹介してもらったこともあります。取引のあるお客さまでもこの人と働きたいと思えば声を掛けますし、今でも常に人材を探し続けています。