商品がヒットするかどうかにデザインは大きく関わっている。いくら性能のいいクルマでもデザインがダサければ乗る気にはならない。デザインは人間の感性を刺激する。そうした感性を、経営に取り入れたらどうなるか。それがデザイン経営で、それを実践する人材育成の取り組みが始まっている。文=関 慎夫(雑誌『経済界』2023年8月号より)
あるべき未来を構想。課題を創造的に解決
「高度デザイン人材」という言葉がある。
時代の変化に伴い、デザインの重要性が高まっている。従来のデザインといえば、商品などの意匠を意味していたが、今ではその領域は大きく拡大しており、経営にもデザイン的な視点が必要となっている。
そこで経産省は2018年に「『デザイン経営』宣言」を発表、「デザインとは企業が大切にしている価値、それを実現しようとする意志を表現する営みであり、ブランド価値を生み、イノベーションを実現する力」と定義した。そして「デザイン経営はブランドとイノベーションを通じて、企業の産業競争力の向上に寄与する」と続く。
高度デザイン人材は、こうしたデザイン経営を実践する人材のことで、
経産省の「高度デザイン人材育成ガイド」によると「デザインを基軸にして有益な変革を導く人材」ということになる。
もっと分かりやすく言えば、予測不能な「VUCA」の時代に、未来を自ら描きそれを実現させていく能力を持つ人材のことで、ビジネスの世界で言えば、あるべき未来を構想し、事業課題を創造的に解決できる人材ということだ。
ただし新しい分野だけに、養成できる機関は限られている。その一つが、多摩美術大学が開設したTCL(多摩美術大学クリエーティブリーダーシッププログラム)だ。
TCLのホームぺージによると、「TCLはビジネスにおける思考力と実行力を実装する場で、デザイン×ビジネスの先端の知識とデザインを生み出す具体的な経験を通じて、戦略性と感性を同時に持つハイブリッド人材を育成する」とある。
丸橋裕史特任准教授によると、誕生は2020年9月。10週11日間のプログラムで、年に3回開講する。現在、第9期の最中で、10期は来年1月に開講する。
求める受講生は、①0から1の新たな価値を創出することに興味関心を持っている人②広い視野を持ち俯瞰で状況把握する能力を身に付けたい人③深い観察に基づいて課題発見および課題設定する思考方法を身に付けたい人④チームビルディングや説得力あるプレゼンテーションの能力を身に付けたい人⑤文字や言葉以外に考えを伝える手段を見つけたい人――とある。
定員は1回30名。過去に定員を割ったことがなく、回を重ねるごとに希望者が増える傾向にあるという。
受講者は企業から派遣されるケースもあるが、多くが個人による申し込みで、官僚や大手商社マンなど、これまでデザインとは無縁だった人が多く、中には有名企業の創業者もいたという。
なぜ彼らは受講したのか。丸橋氏は次のように分析する。
「偏差値的には極めて優秀な人が多い。これまではロジックを積み上げ、分析して仕事をしてきた。でも世の中が複雑になってくると分析だけでは限界がくる。そのことに気づいた人たちが、それよりもありのままの状態を受け止め、俯瞰的に見て最適解を導くというデザイン的な視点に可能性を感じ、受講されているようです」
ホームページ上には受講生の声も掲載されているが、「論理的に考えるだけではたどりつけないことを学んだ」「デザインの話は、自分とまったく関係ないところにあり、デザイナーの特権のような感覚でいましたが、自分のなかにある美意識等を取り出す作業を通して、デザインを実践していけるのだという学びがあった」といった感想がいくつも並んでいる。
修了生が口を揃える「人生を変える3カ月」
ではどうすればデザイン的な視点を持つことができるのか。
TCLの講座は、座学とワークショップの2つで構成される。座学ではデザイン経営とは何かを学び、ワークショップでは5、6人一組のチームでひとつのプロダクトを作成する。
「こちらから何かをつくるよう指示を出すことはありません。チームで話し合い、彼らが社会をよくするためにこうしたものを示そうというものをつくり、最後にそれを発表、さらにはこの学びを社会にどう還元していくかを所信表明することになっています」(丸橋氏)
座学だけでなく、プロダクト作成のような、実際に手を使う作業を通じてデザイン思考が身に付き、物事の見方も大きく変わっていくという。
「個人のレベルでいうとコミュニケーションの仕方、あるいは言語化の仕方が変わったという受講生は数多くいます。さらにはチームマネジメント力が向上するのも効果のひとつです。その上で会社に戻り内発的な思いを事業に結び付けた方や、経営者の受講者で会社のパーパスを刷新した方もいます」(同)
中にはそのプロダクトを元に会社を立ち上げた人もいる。
修了生のもうひとつの特徴は、社会に対する意識も大きく変わるというものだ。それはTCLの目的が「デザインを社会にどう実装し、サステナブルにエンゲージメントしていくか」であることも大きく関係している。
「TCLに受講生を派遣している企業の人事担当者から、『受講生が口を揃えるのは、人生が変わる3カ月だった』と聞いたことがあります。みなさん、社会をよりよくしていこうという意識が強くなっているそうです。まだ開講して2年半ですが、それでも修了生たちが世の中をよくしていると感じる日が増えています」(同)
「I-OPEN」という経産省が進めるプロジェクトがある。これは「一人ひとりが想像力を発揮したくなる社会の実現を目指し、知財に関わる人々と知財エコシステムを協創する」という取り組みだが、主導的役割を果たしているのはTCL修了生だという。
それだけに、修了した受講生が所属する企業に対して物足りなさを感じることも多く、終了後、転職ないし進学するケースも結構あるという。逆に、彼らの学びを職場で生かすことができれば、会社の社会的価値が上がる可能性は高い。
こうした人材が増えていけば社会は変わるかもしれない。最近では武蔵野美術大学も取り組みを始めている。デザイン視点で社会を、会社を変える動きが本格化しつつある。