レーザービームプリンター、ドキュメントスキャナー、デジタルカメラのシャッターや絞りユニットなどを生産するキヤノン電子は、キヤノングループの中でも異彩を放つ子会社だ。売上高の半分はキヤノン向けだが、今年で在任18年目の酒巻久社長は早くから「キヤノン本体に頼らない経営」を目標にしてきた。今年6月、グループ初の試みとなる宇宙ビジネスで主力事業を覆う停滞感の打破を狙う。文=榎本正義 Photo=佐藤元樹
酒巻 久氏プロフィール
キヤノン電子 酒巻社長の野望
インド宇宙研究機構(ISRO)は6月23日、キヤノン電子の人工衛星を搭載したロケットを打ち上げた。
キヤノン電子製を含む14カ国30個の人工衛星が切り離され、宇宙空間へと放たれた。キヤノン電子の2030年の宇宙事業における売上高目標は1千億円で、16年12月期の売上高832億円を上回る。今後、カメラやプリンターで培った技術を転用し、太陽の向きをつかむサンセンサーや恒星の配列を見るスタートラッカーなど光学系部品およびユニットを内製化し、100%国産化する。大型衛星の数十分の1となる1基10億円以下での販売を目指しているという。
「キヤノン電子は量産物を作るのには慣れているが、ロケットや人工衛星は“一品料理”。宇宙事業のめどがつくには最低10年かかると考え、優秀な設計者を集めて人材育成をしてきました。この分野には設計者を100人投入、人件費だけで10億円程度かけています。20年を目標に世界のトップレベルの宇宙企業になります」と酒巻久氏は明快に語る。
人工衛星は今後、経済成長が進む東南アジアやアフリカ、南米の新興国で需要が高まっていくとみられる。三菱電機やNECなどが衛星打ち上げ計画を発表し、異業種やベンチャー企業の参入も活発化している。そんな中で、キヤノン電子は年間100基打ち上げという野望への一歩を踏み出した。
酒巻氏がキヤノンに入社したのは1967年。以来30年あまり勤め、ゼロックスの独走状態だった複写機に進出し、インクジェットプリンター、レーザービームプリンターなどの新製品開発に携わり、同社を世界有数の高収益企業に導く土台を作った。
その後、常務取締役生産本部長から子会社のキヤノン電子社長に転じたのが99年。今でこそ売上高は800億円を越え、売上高経常利益率は約10%という会社になったが、社長に就任した当時は1.5%程度で、多額の借入金や不良資産を抱え、実質的には赤字経営だった。
親会社の役員に名を連ねていたわけだから、そうした実態を酒巻氏は当然承知していた。キヤノン電子に行ってくれと言われた時には「左遷だな」と受け止めたという。
ただし、社長を引き受けるに当たり、酒巻氏は「条件」を付けた。「うちに来てほしい」という好条件のオファーがいくつかあり、それを蹴っての決断だったためだ。
その条件とは、「今後3年間は自分に対する投書が来ても、封を切らずに転送してほしい」というもの。キヤノン電子の経営を引き受けるからには思い切った改革を断行しなければならず、当然反発もあるだろう。
酒巻氏の方針を批判する投書が何回も来れば、当時のキヤノン社長・御手洗冨士夫氏の信頼が厚いとはいえ、揺らぐことがあるかもしれないと考えたからだ。山のような非難の投書は、約束通り封を切らずに転送されてきたという。
酒巻久社長が掲げた「環境経営」とリーダーのありかた
社長に就任した酒巻氏は「環境経営」を旗頭に掲げ、少ない資源で効率の高いものづくりを追求した。
具体的な目標は「世界のトップレベルの高収益企業になろう」「すべてをこれまでの半分にしよう」というものだった。
まず子会社の整理を断行、キヤノン電子に移りたいという人は引き受け、キヤノンから来た出向社員で本社が引き受けてもいいという人には戻ってもらった。キヤノン電子の社員で指示待ちの受動的社員を、自ら考え責任を持つ能動的社員に変えていくために、面談を繰り返した。「管理職の生活を守るつもりはないが、現場の人たちの生活は命を懸けて守る」と訴えた。
「キヤノングループの企業理念は『共生』です。すべての人類が末永く共に生き、共に働き、幸せに暮らしていける社会を目指すことです。私は経済学者ピーター・ドラッカーに私淑し、彼が唱えた人間尊重の経営に共感しています。理系出身の私は、同じく理系出身でシティ・バンクのジョン・リード元頭取が行った改革を参考にしました。不良資産の縮小、人員削減、不採算部門の閉鎖、子会社の整理、採算割れ部門からの撤退の5つです」
「ただし、人員削減は最後の最後。時間、スペース、不良、人・物の移動距離、二酸化炭素の排出量などを半減させる『TSS1/2(Time&Space Saving1/2)』を徹底的に推進したところ、4年後の02年に目標を達成しました。リーダーシップを発揮すべき際に重要なポイントは、明確で具体的でなければならない。①分かりやすいビジョンを示す、②ビジョンを実現するために、多くの人の心をつかみ、共感を呼ぶ、③日々起きるさまざまな課題について決断する力を持つ、という3点が重要。これを踏まえ、最後までやり抜くことです」
一般に優秀なところの不良率は10ppm以下とされているが、酒巻氏が社長就任当時、ステッピングモーターなどを生産する秩父事業所の、ある部署の不良率は1700~2000ppmに達していた。
だが、一連の取り組みによって、現在は数ppm以下に下がっている。目標は1ppm以下だ。さらに、従業員参加型の活動で、同事業所の使用面積を99年からの約8年間で約6割、使用電力量を約4割削減した。ムダの徹底排除によって業績向上、財務体質の強化を実現した酒巻氏は「カイゼンの達人」と言われる。その内容は、立ち会議、速足歩き、そうじをはじめさまざまな生産合理化を行い、また高品質化を進め、これを内外に展開した。
酒巻氏はゴルフでもプロのスイングをまねして3年間でシングルになるなど、「観察」と「まね」の達人でもある。
酒巻流、成功への近道と部下の育て方
「自分と年齢や体形の近いプロのフォームの分解写真をコピーし、自宅や会社の壁、天井などに貼り、常に意識するうちに、体得できるようになる。会社経営も一緒で、私は過去の事例を研究し、どうやって改革したのかを参考にしてきました。これは新製品開発でも同様です。100%の新製品が成功する確率は0.2%しかない。しかし、ある製品の後継機種では世界平均で30%、日本でも20%台に跳ね上がるのです。過去にあった技術、考え方で使えるものはないかとまず徹底的に調べてみることです。その上で、過去の失敗事例を研究する。古いアイデアを最新の技術で作るのが量産物では成功への一番の近道です」
続けて、「私はスティーブ・ジョブズ氏がネクストコンピュータを立ち上げた頃から付き合いがありました。実はその頃から、今のiPadのような製品のアイデアはあったのです。しかし、ユーザーがそのレベルに達していないし、キーボードの時代がまだしばらく続く、液晶やタッチセンサーの技術が良くない、メモリのスピードも遅いなどで、ジョブズ氏は早過ぎるからダメだと否定した。そして、技術など環境が十分なレベルに達した時に製品化した。アップルがいち早く導入して、今では当たり前となったパソコンのアイコンも同じです。過去の延長線上に未来はないと言いますが、特殊な例外を除いてそれは間違っています」
とはいえ多くの事業を手掛け、満足のいく出来栄えの製品が多くても、事業として成功するとは限らない。酒巻氏がキヤノン時代に手掛け、88年に発売した「NAVI」は、電話とファクス、ワープロ、パソコンを一つにしたものだった。タッチパネル方式で画面のアイコンに触れるだけで電話が掛けられ、ワープロで作成した文書を送受信することができた。
今でこそタッチパネルは広く普及しているが、使い勝手の良さを考えると、当時としては画期的な製品だった。だが、米国などで専門家の評価は高かったものの、売れ行きは今ひとつ。「10年早過ぎた」と言われ、数十億円の赤字が残った。
米ネクストコンピュータへの出資は、「世界を驚かせるような新しいコンピュータを一緒に作ろう」とジョブズ氏から持ち掛けられ、経営陣を説得して89年に出資をしたが、10年以上早過ぎ、赤字を抱えて撤退した。ただし、結果的には失敗したが、ソフトウエアやデジタル通信分野での人材育成という成果が残った。
「製品開発では失敗事例にヒントがあるが、経営では成功事例を研究すれば応用できる。経営幹部を育てる場合も、早い段階から目を付けて、いい経験をたくさんさせることです。上司はしっかり部下を見て助言し、褒めることで部下は自信がわき、見られることで自覚が備わる。いい経験を褒められると本人はそれを覚えていて、次につながるということは医学的にも証明されています」
酒巻氏もキヤノン電子社長に就任して18年。キヤノン本体に頼らない経営を目標に、集大成への歩みを加速している。
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