経営者コミュニティ「経済界倶楽部」

落合陽一に聞く「テクノロジーと近未来の日本像」

落合陽一氏

 日本の未来を語るうえで今、絶対に外せない論客がメディアアーティストの落合陽一氏だ。コンピューター技術を駆使して、従来のメディアの概念を打ち破る作品を次々と発表。「現代の魔法使い」の異名を取る若き天才として、多方面から注目を浴びている。仕事の実績はもちろんのこと、発想、思考、発言時の言葉のチョイスに至るまで、こちらの想定を軽々と乗り越えてくる独創性には驚かされる。

 落合氏が人々を魅了するのは、おそらくその才能だけが理由ではない。単なる技術論に留まらず、技術とアートが辿った歴史の文脈から「テクノロジー」と「人間の幸福」について、しっかりとした思想の背骨を持って語れるところが大きい。

 メディアアーティストとしての仕事のほかにも、大学教員、ベンチャー企業経営者と何足ものわらじを履き超多忙な日々を送る中、近未来の日本像についてインタビューに応えてくれた。聞き手=吉田浩 写真=佐藤元樹

落合陽一プロフィール

落合陽一

(おちあい・よういち)1987年生まれ、東京都出身。東京大学大学院学際情報学府博士課程を飛び級で終了。メディアアーティストとして情報技術と物理学を駆使した斬新な作品を制作し、国内外から高い評価を得る傍ら、筑波大学学長補佐・准教授・デジタルネイチャー推進戦略研究基盤基盤長、大阪芸術大学客員教授、デジタルハリウッド大学客員教授を兼務。企業経営者として、ピクシーダストテクノロジーズCEOの顔も持つ。

多動の中で見えるテクノロジーと人間の幸福の関係

―― 落合さんの著書などを読むと、テクノロジーと人間の幸福について、分かり易く解説されているのが印象的です。

落合 僕が分かり易く喋っているように見えるのは、たぶんライターさんが分かり易く書いて間違えてる例が多いからじゃないですかね。

―― 間違えてるんですね(笑)。

落合 はい。直すのが面倒くさいからそのままにしてますけど。そのほうがファンが増えるんですよ。これは特殊な感じだなと思いつつ…。(笑)。今度発売された赤い表紙の本(『日本再興戦略』)は、語りおこしで、NewsPics編集長の佐々木紀彦さんとは毎週ご一緒してるんで、そんなに変なことは書いてないと思います。

注釈をメッチャ付けて分かり易くしたんですが、それも実験的で面白そうだなと。『魔法の世紀』から2年ぶりに書いた『デジタルネイチャーと幸福な全体主義』は結構頑張って書きました。あんまり分かり易く喋ってるつもりはないんですけど。

―― 先を読むセンスみたいなのは昔からあったんですか?

落合 先を読んでるつもりはまるでなくて、情報が多いから自分が情報ゲームと思っている範囲内というか、僕の中ではこれとこれが分かってるから、みんなが経営戦略的にここを狙うんだろうなみたいなことを喋るのが多いですね。

自動車会社とか電機会社とか広告代理店とかテレビ局なんかと仕事することが多いので、そこで得た情報を言える範囲で言っていることが多い。次にどうなるかというのが、なんとなく分かっているだけなんです。2年先までの車がどうなってるかは分かるけど、守秘義務があるからそれは言えないんで。

―― メディアアーティストとしても大学の教員としても、いろんな分野で発言するので、「この人何でも知ってる」と、たぶん世間には思われてますよ。

落合 やってることしか喋らないんで。でも、そんなにやってることが多いわけでもないんですよ。例えば、大学の先生で自分でラボやって准教授で学長補佐やってる人って珍しいじゃないですか。だから、結構しんどいけど、大学の経営についてはよく分かるんですよ。大学のいろんな書類を見るから。次の10年、20年でどうしなきゃいけないとか。学生はこれぐらい取って共同研究費はこれぐらい、この先生たちにはこれぐらいの研究費で知財収入はこれぐらい、みたいな。

ラボには44人の学生がいて、会社では事業開発をやって、博報堂や電通のフェローとしての仕事を通じてお客さんとの相手もやって、アーティストとして海外に展示する機会もあって、そうやって見えることが多いので、時代感が分かるところはあります。

―― (やってることは十分多い気がしますが)、堀江貴文さんが言うところの「多動力」みたいなところでしょうね。

落合 あんまり多動してる意識はないです。すごく「貧乏暇なし」な生活をしてると思う。本当に貧乏かは別として(笑)。いろんなことをやってると相乗効果が働いて、よく分かる感じはありますけどね。

―― 特定分野に凄い才能がある方は、ある種「専門バカ」になりがちですが、落合さんは違う印象です。

落合 僕は圧倒的に専門バカですよ。いろんな分野において、やってる範囲のことしか言わないですからね。

気付かれぬうちにAIが生活に入り込む

落合陽一

―― テクノロジーの話に移ります。まずは、AIの進歩が人間の仕事を奪うという悲観的な論調がある中で、AIと人間がともに進歩する明るい未来を提言していますね。2025年ごろの近未来に、AIは人間の生活をどの程度変えていると予測しますか。

落合 守秘義務の事を3つぐらい考えているんですが…言える範囲で言うと、AIという概念は人によって違って、僕の中ではAIの定義は「偏微分自動生成フィルター」みたいなやつです。対象の目的関数に向かって、勝手に微分値の制御を行うというような考え方が、ディープラーニングの面白い議論だと思ってて。

簡単に言うと、人工知能が勝手に答えを見つけると言えば能動的に感じるんですけど、プロセス的にいつの間にか最適解に収束するみたいなところで言うと、何が一番近いんだろう…結構いっぱいあると思うんだけど(しばし熟考)。

ある一定のプロセスを繰り返すとその中で一番よく使われる特徴が出てくるというのは、自然界を見ているとよくあります。そういうものを実際にデータ上で実装したら、データ上からも統計上ありうる対象の関数に関するフィッティング結果が出て来うるというのが、深い階層性によって分かったというのがここ4~5年のアプローチだと思うんですね。

それって、2017年のグーグルの論文を読んでいても分かるんです。統計的に分布があらかじめ分かっている量に対して、ある一定のしきい値、正確にはある一定の勾配なり関数を求めうることが分かったというのがAIの面白いところで。

それがわれわれの生活の中のどこで使われるかという話なんですが、簡単に言えばAIという言葉は使われず、誰も意識しないけど勝手に動いている状態です。これは恐ろしいほどに右クリック的な考え方というか、たとえばエクセルで再起関数見つけるのに右クリック一発で回帰曲線が出ますよね。回帰と同様のプロセスで、たとえば認識するときの顔の特徴を見付けようといったことができる。

そういうプロセスが普通になると思っていて、今はちょっと難しいだけでそんなに難しくもないもの、例えばカーナビで3カ所の違うルートが出てくることだったり、SNSにおける友達のサジェスチョンだったり、人工知能化されていないアプローチがどんどん知能化していくアプローチはあるけど、それが知能化されたとユーザーが気付くことはまずない。

でも、どう変わるかはイメージすることができて、例えば自動運転で言えば、レクサスの新しいやつも普通に手を離して運転したら駄目だけど、手を離したら動く程度には作ってある。あと、天頂衛星が上がるとそれだけで位置測位制御の精度が上がるし、5Gが走るといったプロセスも全て7~8年のうちに起こるので、少なくともどの空間に誰がいるかというのは、容易にデジタル機器から判断できるようになります。

そのうえで、スマホの次はどうやってグラスウェアを作るかということになるけど、視覚上に表示できて、かつ1週間くらいバッテリーが持つようなグラスウェアは作りうるようになるでしょう。それは、エンドユーザーにとってスマホ以上の価値は持たないかもしれないけど、僕が想像するのはノートパソコンがなくなるという話。つまり、ディスプレイをわざわざ持ち歩くということ自体がナンセンスで、網膜投影の時代になったら、キーボードが必要なくなるという考え方に明らかに移行するはず。そのための光学系の特許に関する戦いは、世界中で猛烈に起こっていて、僕もその戦いに参加しています。

そのアプローチの中でAIがどう使われているかというと、眼球に対する光線の最適化計算だったり、光路のコンピュータシミュレーションだったり、あるいは対象のボケ関数を実装するためのしきい値だったりというのが入っていく。あまり詳しくないユーザーにしてみれば、「昔からあるよね、こういうの」というのが、大抵すべてAIによって最適化されている状態が今後の5~6年でどんどん起きると思いますよ。

―― そんなに早く、ですか。でも、エンドユーザーは気付かない。

落合 たとえば、マイクロソフトのホロレンズを掛けて空間認識した時に、ホロレンズのCGが空間に張り付くけどそれがAIだと思っている人はほとんどいない。でも明らかにあれはスラム(Simultaneous Localization and Mappingの略:自己位置推定と周囲の地図作成を行う技術)だし、スラムと空間に対しての最適化演算をしていなければ、そこにウィンドウを貼り付けられない。今までもできたけど、そこにAIが導入されているということを考えていない。擬人化することでしかAIの本質を捉えられなかった人たちは、擬人化していないAIについて気付くことはほぼないはずです。

もしも落合陽一がテクノロジーを扱っていなかったら

落合陽一

―― 2025年ごろに起きる大きな社会的変化として、団塊世代が後期高齢者になることが挙げられます。介護、医療の分野でどの程度AIが現場に入りこんで、現実的にどう介護の在り様が変わっているのでしょうか。

落合 排せつと運搬じゃないですか。この2つがキーだと思っていて、排せつって面倒くさいんですよね。誰が排せつするかわからないし、しないって言ってすることもあるし。多分この面倒くささは半端ないけど、機械学習でタイミングを判定するのは可能なんで。ハードウェアは既に何種類かあるので、それをつけておくとそろそろトイレだとなったら「ピコン」と鳴るみたいなのは多分あり得るんじゃないかな。そういうのを現場で使うのはアリだと思っていて。AIにみんな感じないけど、AIが導入されている例ですよね。

―― センサーが入ったスーツみたいなイメージですか?

落合 スーツじゃなくてボタン1個。たぶん内蔵の音で判別する。でもユーザーはそれがAIだと思わない。「魔術化」ってやつですね。中身は分からないけど便利なことができる、というのが機械学習の本質です。

―― あと7~8年で、それほどまでに進歩していると。

落合 すぐですよ。もう何にでも入ってきますよ。後は運搬ですが日本の介護業界において一番問題なのは縦移動であって、住宅事情的にエレベーターで運ぶには面倒くさいけど車椅子を1台運ぶのに1人か2人必要なので、それも大変なんですよ。その自動化はあると思う。ただ産業化のコストがめちゃくちゃ高いから、金を払うのは。住宅メーカー側じゃないかな。住宅メーカーが介護事業やってるケースが多いから。

中国の配膳ロボットが市場に出てくるのは早かったんですが、速度が遅いから誰かをはねても事故にならないという単純なロジックで、実戦投入がめちゃくちゃ早かった。同じロジックが介護でも使えて、はねてもケガしない範囲と速度なら問題ないはずです。

―― AIが進化すると、人間が職を奪われるという話がどうしても出てくるんですが、落合さんの場合は悲観的な見方はされていないですよね。

落合 結論から言えば、僕はお客さんの立場では考えるけど、そこで労働している人の立場では考えていないんですよ。つまり、対象の問題を解決しないといけないと思っていて、問題とは何かといえばそこで働いている人よりサービスを受益している人たちがどうしたら低コストで、かつ高安心なサービスを受益できるかにフォーカスすべきか。そこで働いている人たちの生活が、保障されるかどうかは考えていません。

サービス受益者が非常に不自然で危険な状態に置かれても、雇用を守るのが大切とは一切考えていません。そこはすごく重要なところで、どちらのポジションに立つか、もしくは中庸を目指すか、という話ですけど、僕は客の側に立ったほうが本質的だと思っています。

そこで本質的に必要な労働というのは、たぶんもう少しケアというか高度な部分であって、AIは単純な肉体労働のところを置き換えるだけ。高度なケアが必要な仕事に関して、今の人材で充足するかといえばしないはずなんですよ。今の人たちの職がなくなるからと言って、業界全体の雇用全体が減るという話しとはまた違う。介護の職場が、最低限の肉体労働ができる人が働ける場所という概念ではなくなるということです。もう少し付加価値が高い職場にしないと、自動化した後の職場は生き残れない。

それはどの産業でもそうですよね。自動化しただけ、効率化しただけなら格安航空みたいになるわけですよ。ホスピタリティの高さのほうが重要になるわけですが、ホスピタリティの高いスタッフというのは今の人材の採用基準ではないはず。そこに残った人たちは給料が高く、そうでない人たちは職がなくなる。その二択の試験がやってくるだけだと思います。

―― 落合さんは自身のポジションがすごくハッキリしてますよね。全員にいい顔しないというか。

落合 僕がテクノロジーをやってない政治家だったら「皆さんの雇用が守られることが世界の正義なんです」と言ってそうですけどね。問題はどこにあって何を解決すべきかを考えるのが重要だと思っていて、テクノロジーで対象の問題が解決されれば良いと考えています。それ以外のことを考えていないというと「人間の感情はどうなる」とか言われちゃうんですけど、その人間の感情が動かしうるコストはどの程度かも真面目に考えるんです。

―― ある意味、人間の感情にも真面目に向き合ってますね。

落合 そうですね。今の「高齢者ケアというのが高度な仕事であって、単純労働よりはるかに難しい」というのは感情の話じゃないですか。そこにコスト圧力がかかるというのは当然の発想です。そこで働いている能力が低い人に対して僕が何かをしてあげようとは思っていない。そこをケアするシステムについては考えるべきですが、そこはシステムでどうにかするべきで、人間でどうにかするべきでないと思います。

仮想通貨より法人の発明のほうが凄い

落合陽一

―― AIが人間の能力を超えるシンギュラリティの話がありますが、常識が覆るという点では、お金の世界に関しても、仮想通貨というものが人類がこれまで持っていたお金に対する概念を変えるものではないかという感覚があります。これは近未来でどの程度普及してどんな使われ方をしているでしょうか。

落合 それはグッドクエスチョンだと思います。ビットコインに関しては、ライトニングネットワーク(ビットコインのブロック以外での取引を可能にする技術)が実装されない限りはなかなか大変だろうなと思っていて、ビットコインのアルゴリズムは本質的に欠陥はないけど面倒くさい。

SHA256を総当たりで見付けるって大変ですよ。公園の砂場にBB弾を1個落として最初に見つけた人にお金をあげるっていうプロセスをハンコをつく代わりにやってるわけですよね。ハンコを付く代わりに毎回BB弾探してたら時間とエネルギーが勿体ないよねと思ってて。そういうものにしてしまったのは本質的に正しいのかと聞かれたらあまり正しくなさそう。

難易度調整するにしてもあのアルゴリズムでやっていくのは割が良くない。テクニカルな改善がされなければ、社会で使われるようにならないよねというのが僕の所感で、送金手数料がそんなにかかるものでお金を送ろうと思わないし、通貨のように扱われるかと言われればそうではない。

ただ、非中央集権型にしたおかげで、アジアの基軸通貨的な機能にはなり得るかなとは思ったりもします。つまりどの国家も保証していないにもかかわらず、どの法定通貨との返還も考えずに、エンドユーザーに金を払えるようになったのは大きい。例えば日本円から中国元や香港ドルに変えなくても、ビットコインで払えるようになったらそれはいいことだと思う。

でも僕は、法人の発明のほうが仮想通貨よりはるかに凄いと思っていて、だって法人格も物質的には何もないのと同じ。労働によって裏打ちされているように見えてるだけで、誰も労働していなくても法人は法人ですよね。仮想通貨にはプログラムという実態があるけど、法人には登記処理というものしかないから。株式市場は法人というよく分からないものを、株を上場させることによって取引可能にしている時点で二重に訳が分からないですけど、仮想通貨のほうが法人よりははるかに健全だと思います。

―― 東インド会社の誕生のほうが、仮想通貨よりはるかにインパクトがあるということですね。

落合 そう。もし、会社の中に人がいなければ仮想通貨よりヤバイんですが、ホールディングスの仕組みも実質的にはそうじゃないですか。親会社を作ったり、登記の仕方を変えたり、株を分割したりして、株主に利益還元のプロセスを取るアプローチは、限りなくバーチャルなものですよね。それに比べて仮想通貨というものは、実体的なシステムを使ってプログラムを使わないと動かないという点で、よっぽどアクティブな気がしますね。

―― その比較論は面白いですね。いつもそんなことを考えているんですか?

落合 僕はそういうのが気になっちゃうタイプなんで。プルーフ・オブ・ステークスやプルーフ・オブ・インポータンスで収益配分を決めるというのは、明らかに株式市場的なアプローチですよね。そのアプローチが本当に非中央集権的かと言えば全然違う。だって会社で社長が権力を持ってるのは株を持っているから。それと同様のプロセスを仮想通貨でやって、それが本当に非中央集権的かと言われたら、違うと思っています。

ドラスティックな変化の本質性はそういう部分を考えること。東インド会社以上のインパクトを与える変革かと言われたら、インターネットはそうだけど、仮想通貨自体はインターネットがあれば人類が思いつきうるプロセスの1つだと思います。

落合陽一が考える働き方改革の本質とは

落合陽一

―― 今までの話で、仮想通貨に対するモヤっとしたイメージが、自分の中で言語化できてきた気がします。せっかく株式市場や法人の話が出てきたのでお聞きしますが、その法人というものの中で働く人間の在り様も変化していくと思われます。25年ごろには働き方はどの程度変わっているでしょうか。

落合 政府の働き方ナントカ委員会みたいなところにもよく呼ばれて行くんですが、まずは兼業解禁の流れは止まらないと思います。でも、それより先に有給の取り易さのほうが本質的な話だと思います。

―― 今度はかなり現実的な話になってきましたね。

落合 はい、すごく現実的な話です。有給が取れない会社というのはコーポレートガバナンスがしっかりしてないと思うんです。有給がすぐ取れる程度に、あらゆるものが多重化してプロセスがのっかっていないと、経営として不健全というのが認識されうる話ですけど、誰もそれを認識してないから日本は今みたいになっている。誰かが突然明日いなくなってもそのチームが成り立つように、二重三重のワークスタイルでモノをつくらないじゃないですか。それってリスクマネジメントの点から不健全です。そういうことが有給を自由に取れるようにすれば、分かると思うんですよね。

誰が、いつ休んでもいいようなプロセスでものを考えるということは、ガバナンスとして健全だと思うんですよ。それは、兼業や働き方を自由にする以前の問題としてあるんじゃないかと。コーポレートガバナンスをしっかりすると、兼業や週休3日にするといったことがやりやすくなる。だってNDAを考えても、雇用契約を二カ所で結んだうえで守秘義務の事を考えながらというのを、社員全員ぶん回そうとしても無理ですよ。

それがAI化できるのは、たぶん25年よりもっと先です。法律文書はAIでつくれても、リーガルレビューするのはたぶん人間だから。それを社員全員ぶんできる人間のコストを払える会社は稀ですよね。まず、コーポレートガバナンスによって労働者の代替性を高めるのは大事だし、一度代替性を高めれば機械を突っ込むのも楽だし。そういうプロセスをなあなあでなく、日本企業はもう一回やっていくんじゃないでしょうか。

―― ただ、その手の話になるとどうしても「1つの仕事に打ち込むことが人としての幸せだ」みたいな議論が出てきます。そこで価値観の世代間ギャップが生まれて、なかなか話が進まない。

落合 それよりシステムの話をしたほうがいいです。システムは数式で表現できるけど、感情論は個人のコンテクストによって多様なんであんまり意味ないなと思いますけどね。本質的に兼業の何が問題かといえば、結ぶべきコントラクトの数が増えることです。ステークホルダーの数が増えると意思決定が取れなくなるということもあるし、リーガルリスクが増えるということもあるし。でもそのコストを人間以外が払えたらいい。それ以前の問題として、コーポレートガバナンスをしっかりするというところから、やっていかないと無理です。

―― 企業トップも昭和型のトップダウンではなく、組織の力を高めるリーダーシップのほうが重視される傾向が強まっていますが、その傾向はますます強まりそうでしょうか。

落合 どちらかというと、コーポレートってむしろシステマティックな話だと思いますけどね。社長のキャラクターに関する人物像は相変わらず必要かもしれないけど、会社として健全に機能するかどうかとは違う話で。コーポレートに対しては、ちゃんと制度を作れる人を雇うのが基本ですよね。うちの会社はベンチャーで、最初から外部投資家が入っていて、エグジットしないといけないから、最初から綺麗な状態にしておくアプローチをCOOとCFOで作ってます。

僕はシステムのことはしっかり考えるし、人間に対してのリスペクトもあるけど、人間の話とシステムの話は全然違う判断だと思います。

「多様性の意義」に対する落合陽一の解釈

落合陽一

―― 環境もやってきたことも違うので、確かに個人のコンテクストにフォーカスしても仕方がない。

落合 対象の問題にフォーカスして、それ以外の感覚にはフォーカスしないのが普通ですよね。先日、米国でアップルやグーグルで働いているMIT、スタンフォード、UCバークレーなんかの出身の人たちとワークショップをやったんですが、日本と比べて明らかに生産性が5千倍くらい高い。それは学歴がいいからではなくて、今何の問題を解かないといけないのかにフォーカスするし、他人とコンテクストを共有しないし、それでかつ生産性を高められるように全員が取り組むし、問題に対するコミットメントが高いからなんですよね。

同質化した社会では「あの人の気持ちになって考えること」と、気持ちの問題が先になってしまって、フォーカスすべき対象の問題を解こうとしない状態になりやすいと思う。日本企業は今まではそれでよかったけど、今後求められる形は明らかに変わるんじゃないかと思いますね。

―― 同質化せずに多様性を重視するという点で言うと、企業側の戦略として、かつて選択と集中が叫ばれて、得意分野に特化したものの失敗する企業が多かった。ただ、それは多様性を阻むという点でまずかったケースもあるのではないかと思います。

落合 それは、(外部との)コミュニケーションコストが低ければいいんじゃないですか。多様な人材を取る理由は、余計なことにフォーカスするのをやめるためですよね。これは結構重要です。多様な人材が共同で働こうとしたら、全員で解くべき問題しか議論にならないんですよ。話が通じないから。これは海外のIT企業なら当たり前ですよね。たとえば、ヒンズー教徒とイスラム教徒とキリスト教徒と日本人と中国人が同じテーブルでホームアプライアンスについて喋っているんですよ。全員、家のスタイルも子供の育て方も全く違うのに、ホームアプライアンスにあるべき機能について話すとなると、機能の要件定義について話すしかないじゃないですか。

これは非常に面白くて、日本風の均質社会の企業が日本の家について喋ってるのとは全く違う議論をしている。本質として切り出せる問題だけにフォーカスするので、それ以外の共有できないコンテクストについて議論するのは無駄であるという考え方です。一回フォーカスしたら、その後でダイバーシティに対応できるように、コンフリクトするところは外していく。そういう考え方は製品作りのみならず、あらゆる部分に使える。共通のコンテクストで議論していくのは良かったこともあるけど、今後も継続できるかと言えばそうではないと思います。

―― それで思い返してみると、選択と集中で失敗した企業の多くは「わが社はこの技術にフォーカスします」というのは言っても、何の問題を解決するためなのか、という部分のフォーカスが甘かった気がします。

落合 問題解決に集中すべきところをノウハウに集中して、何でノウハウに集中するか聞いたら「それは人材を生かすため」というよく分からない答えが返ってきたりする。解くべきは問題であって手段ではありません。

―― 以前あるメディアで、日本企業が生き残るためにはプラットフォーマーになる必要はなくて、ローカルな問題解決に最適化したベンチャーを世界に輸出するのが良いという話をしていましたが、この点を詳しく教えてください。

落合 個人に対応するようなものがプラットフォーマーの逆の発想だとすると、たとえばガラケーのOSをドコモなどが作っていたようなスタイルになるハードウェアが何だろうと考えたら、車はあのスタイルですよね、たぶん。だって中に載ってるものがアンドロイドやリナックスやウィンドウズだとしても、共通のITメーカーが全ての車のサプライヤーになる未来は全然見えない。

プラットフォームを取れるほどに単純な装置で、コストも作るほど安くなってというものを考えると、歴史上プラットフォームを取ったような、ソフトウェアとハードウェアを組み合わせたものって、凄いコモディティ商品でないとできないんですよ。結局のところ、液晶パネルとタッチパネルを合わせたものを、どれだけ安く作れるかってことに終始している。

まあ、それはそうだよな、と。われわれが50年くらいかけてコンピューティングしてきた中で、グラフィカルインターフェースの議論をずっとやってきて、グラフィカルインターフェースを必要とするためのCRTや液晶というものが、最終到達形としてスマホのサイズになり、補完的に表現するためのカメラとマイクが付き、スピーカーと液晶が付いた装置って圧倒的コモディティじゃないですか。ただ、エアコンや車やカメラや他の家電製品がそうなるのかと言われたら、なり得ないものばかりですよね。

だから、既存のグーグルプラットフォームは積んであっても、それ以上に価値の高いハードウェアもたくさんあるわけですよね。テレビを買う時に、何のOSが載ってるかでは選ばないわけですよね。インターフェースで選んでいる。ユーザー体験としてそこのソフトウェアが重要だというなら、もちろんOSで選ぶかもしれないけど、AというOSとBというOSが載ってるテレビが両方発売されて良いはず。

そういうクロスプラットフォームなハードウェアを作れる程度に、設計論が自由になっている可能性は高いし、ウィンドウズってそうだったじゃないですか。ウィンドウズがインストールされてるけど、かつて日本のPCメーカーは好調だったですよね。スマホになる前は好調だったわけですよ。ソフトウェアだけライセンスされているけど、モノとしてかなり高い値段で売ってるわけで、そこは確保できていた。

個々の多様性が確保できていると、われわれは強いわけですよ。なぜかと言えば1つ1つ丁寧な対応をしているし、多様にモノをつくるけどコスト削減も考えているし、それでいて品質保証もしっかり取ってきたわけじゃないですか。だから、プラットフォームがそのままハードウェアになっていないものが出てきた時、ソフトウェアはグーグルに任せても、商品の価値はそこに依らないということを、どれだけ演出できるかだと思います。

モノの良さや音の良さだけで売れるかと言ったら、売れない時代になっちゃったので悲しいんですけど、ソニーだって液晶パネルは日本で作ってなくて、それで悪いかと言われれば別に悪くはないわけで、デザイン論や設計論としては、ソニーのテレビは良いものです。そういう話の中で、ソフトウェア、ハードウェア、ミドルウェア、商品、デザインなどの中で、3つか4つを取れる製品はいっぱいあるはずです。

―― 装置そのものを含めての開発、という部分ですよね。

落合 そうです。ハードウェアで品質保証するのって大変なんですよ。ソフトウェアの品質保証はダウンロードコンテンツになった以上、しなくても発売できちゃうから。昔はゲームもデバッグしないと大変だったじゃないですか。今ってソフトウェアの品証はめちゃくちゃ簡単になったんですよ。

テクノロジーの世界で勝つのに必要な「発想」「アイデア」

落合陽一

―― 現在の研究についてお聞きします。研究成果の社会への実装については、ある程度意識されているのでしょうか。

落合 モノによりますね。ラボには学生さんも含めて44人いて、会社もやってて、会社の方は実装しないと儲からないですから、プロジェクトのエンドポイントを考えてやるけど、エンドポイントを考えないでやるようなものを全部消しちゃうと教育にならないので、それは学生さんとやる。多種多様ですよ。

―― たとえば落合さんの作品で(3次元空間で映像のようにモノを動かす)ピクシーダストというものがありましたが、あれは実用化を想定して作ったのですか?

落合 あれは超音波ホログラムで物性を制御したりだとか、モノを高速に動かしてグラフィック化するという考え方が世の中になかったので作ったんです。そういうこと考えると、本質的には僕はソフトウェア屋なんです。あんまりみんなそう思っていないけど。

―― 子供の頃は電話機を分解したりしてたらしいですが?

落合 あれはアルゴリズムに興味があったから。ハードウェアそれ自体というより、システムアルゴリズムに興味があって。僕らがやっていることって、波源と対象物の関係性を定義するっていうこと。波と形で形のほうがどういう微分幾何で表現されるかということをやっているし、波のほうはどういう位相差で表現されるかをやっている。それがどういうデータ形式だと機械が学習できるかには非常に興味があるし、その裏返しで、機械がそれを最適化計算するときに、どういうプロセスが良いのかにも興味がある。

そのアプローチの中で、使うものは音でも光でも超音波でも何でもよくて、その中でピクシーダストをやろうと思ったら、空間にあるポテンシャル分布をつくって、モノを動かそうと思ったら、それをするためのコンピューテーションナルなリソースは何だろうというのを考えるためのデザイン論やソフトウェア論で、世の中にない領域があるんですよ。それを毎回やる。それが好き。

―― 仕組みやプロセスや、なぜそうなるかみたいなことを解き明かしていく部分に興味があるということでしょうか?

落合 いや。ソフトウェア設計論に対象の現象や対象のデザイン、僕はドメインと呼んでいますが、ドメインに仕立てるのが好き。

具体例を出すと、僕らが超音波音響浮揚をやるまで、ジャンルとしては二次元音響浮揚までしかなかった。二次元音響浮揚ってチャンバーの中でモノを動かすのに使うんですよ。だけど、たとえばチャンバーを取り払って空間にモノが自由に並ぶポテンシャル空間を作れる定義があったら、デザイン論に変わるんですよ。対象の分布を生成するためのソフトウェアプロセス、どういった最適化計算によって超音波の音響フィールドを作ることができるのかをまず考える。音響フィールド自体はハードウェアから生成されるものだけど、ハードウェアはどういう設計論でできていて、ハードウェアの設計論から出てくるソフトウェアがあって、ソフトウェアの上にたとえば粉が降ってたら、物性としてどういうインタラクションするのかがあって。

ここまでのフレームワークがあったら、じゃあアルゴリズムはどうやって最適化するんだろう。ここにある物質はどうやって調べるんだろう。こういう研究は、どうやったら紐づいたジャンルができるんだろうというのを考えて、デザインスペースを作るんです。ハードウェアの配置問題だったり、ソフトウェアの最適化だったり、物性の選び方だったりするんですけど、そういうデザインスペースを作って定義してあげると、ジャンルができる。といったことを、毎回違うメディアでやるんですよ。

―― 本にも書かれてますけど、何と言うか、、、、変態的ですね(笑)。

落合 いやいや(笑)。今のは凄く分かり易い例で、今、僕らがやってる網膜投影で、網膜投影に使うオプティクスをどうやったらデザイン論にできるかということが重要で。僕らはハードウェアを作ってないし、実験はしてるけど機械自体は買ってこられるものがほとんどだし、でも機械を作ることが新規性だとは思ってないし、やればできるでしょということが多い。

逆にアキレス腱になってるのが何かと考えると、大体は「発想」の部分ですね。この世界には、分かれば製造できるモノがほとんどで、分かってないから製造できないものしかほぼない。ノーベル賞を取るような発見だって、本質的にはアイデアなんですよ。ハードウェアではない。ハードウェアとして、「これがないからアレが作れない」なんてことは滅多ににない。ただ、アイデアが出てくるかを検証するために、メッチャ重厚長大なハードウェアが必要な場合は多い。重力波とか。ソフトウェアがないという問題を、今あるハードウェアでどう解くかというのは大切で、そこは日本人が多分あまり得意ではないところです。

日本人は、なぜノーベル賞が青色発光ダイオードに当てられたかを、内省的に考えたことが多分ない。赤色と緑色は簡単だった。思いついた人は凄いけど、ノーベル賞は取ってない。LEDが3色あって、そのうちの2色を1人の人が作ったから、そちらの方が貢献度が高そうなのに、みんなが最適条件を試したけど見付けられなかった青色を見付けた人が賞を取った。解くべき問題が圧倒的に難しかったんですよ。

それはハードをつくったからではなくて、何と何を組み合わせれば青色が可能かというソフトウェアの考え方ですよね。ノウハウや知識ではなくて。プロセスは工場で作っていますが、(中村修二氏)は、そのアイデアで貢献した。手の技とかではなくて。ということ自体が極めてソフト的にもかかわらず、日本人はハードに心を引っ張られてしまうんです。これがすごく弱い。

問題は何なのか、解くのがどれだけ難しいのか、どれだけ集中しないと出ないアイデアなのかということを、常に考えるクセがこれからの経営者には必要じゃないかと思います。と、キレイにまとまったところで終わりにします(笑)。

******

 今回は1つ1つの問いに対する落合氏の思考の深さと、言葉の質量を感じていただくために、可能な限り編集を最低限にとどめ、生の言葉を書きおこすよう努めた(専門的な技術論を咀嚼しきれない聞き手の技量の問題もあるのだが)。

 機械化やAIの進化、ブロックチェーンといった最先端テクノロジーの社会への導入がさらに加速し、あまりに早い時代の流れに戸惑いを覚える人も多いだろう。だが、それらが本当に人間性を奪い、人間の存在意義に脅威を与えるものなのか。むしろ、人間性への過度なこだわりが、逆に人間を不幸にするのではないか。

 テクノロジーというものに対する固定観念をわれわれは一度見直し、根本的に問い直してみる必要があるのではないだろうか。そんな感想を抱いたインタビューだった。

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2018年11月29日 落合陽一氏インタビュー「AI時代のアートと芸術活動」

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