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仮想空間への入り口作りに肝要なのは「WOW!」の体験 小室哲哉

小室哲哉

2020年4月、アメリカのラッパー、トラヴィス・スコットのバーチャルイベントが、約2千万ドルの売り上げを記録して話題を呼んだ。多くの人々が、これからの音楽と仮想空間とのシナジーに期待を寄せている。日本の音楽シーンの最前線を走り続ける小室哲哉氏は、この潮流をどう見ているのか。聞き手=小林千華 Photo=山内信也(雑誌『経済界』2022年10月号より)

小室哲哉
小室哲哉 音楽家
こむろ・てつや 1958年東京都生まれ。84年にTM NETWORKとしてデビュー。同ユニットのリーダーとしてその音楽的才能を開花させ、93年にtrfを手掛けたことで、一気にプロデューサーとしてブレイク。以後、幅広いアーティストに楽曲を提供している。

メタバース空間を音楽の価値を守る場に

―― メタバースの普及は今後、音楽の制作・鑑賞にも大きな影響をもたらしそうです。音楽を作るクリエーターにとって、メタバースはどういった場になっていくのでしょう。

小室 クリエーターが守られる場になってほしいです。CDの時代までは、1枚約1千円というふうに、どんな音楽にも必ずみんなが同じだけのお金を払っていました。売れれば売れるほど、その数に比例して、クリエーターに還元されていたんです。それが今や、誰もがサブスクリプションで聴き放題のサービスを利用しています。一人が月に何曲聴こうが、払う金額は同じ。クリエーターからすれば、大勢に聴かれるほど、一人あたりから入ってくる金額は減るわけです。良い音楽だと思われることで、ある意味価値が下がる現状は、是正されなければなりません。

 逆に絵画や彫刻は、いくらコピーが世の中に出回っても原物を見ることに価値があるため、評価が上がるに従い、原物の金銭的価値も上がります。音楽は絵画などとは性質が違うので、同じようにはいかなくとも、ある程度価値が価格に反映されるべきです。今更サブスクリプションがなくなることはないでしょうが、メタバース内ライブなど仮想空間ならではの音楽体験を充実させて、クリエーターが希望を持てる未来を実現させられればいいですね。

―― リアル、オンラインの音楽イベントとメタバース上のイベントは、どう共存するのでしょうか。

小室 これは、自動車産業の発展にたとえると分かりやすいと思います。環境に配慮して、ガソリン車からハイブリッド車、EVへと仕様が変化していっていますが、コロナ禍の今のエンタメ界も、完全に「ハイブリッド」の状態です。リアルで音楽イベントを催しても、歓声も上げられずマスクも着用必須。それなら自宅でオンライン配信を見て、安全な空間で声を出して楽しみたいと考える人もいます。これがハイブリッド。自動車業界では、今後全ての車をEVにという声も上がっていますが、実現するとなると問題も出てきます。エンタメも同じことで、オンラインやメタバースでのイベント開催が活発になっても、全てのイベントがそこにシフトすることはないでしょう。

―― 技術が進めば、過去のライブをメタバース上で再現できるようにもなるかもしれません。

小室 そうかもしれませんね。安室奈美恵さんのデビュー直後のツアーのアンコールで、『SWEET 19 BLUES』という曲を私と2人でやったんです。その時のあるお客さんは、今でもその曲を聴くと、その日のライブの光景が頭に浮かぶんだと話してくれました。過去のライブの再現を見て思い出を反すうできるなら、それも素敵かもしれません。

 われわれの時代には技術が成熟しないでしょうが、若い人にはいろいろなチャンスがありますよね。でも、何もかも便利になるからこそ、これからのクリエーターには、1曲ごとの制作をより一生懸命やってほしい。簡単には作らないでほしいです。

 最近、われわれの世代にとって、どうも薄っぺらく感じられる作品が増えたような気がしてなりません。歌詞の中のたった一言から、自分の過去の体験や情景が呼び起こされるような、そんな強烈な体験をさせてくれるものが減った。

 その一因には、SNSや動画投稿サイト、ストリーミングサービスのような、プラットフォームの存在があると思います。作品を手軽に消費できるようになると、作る側にも「広まったってどうせこの程度」という意識が生まれてしまう。メタバースでそこに変化が起きれば、音楽のクオリティもより上がってくるはずです。そのためにはまず、普及のさせ方にこだわる必要があるでしょう。

メタバース黎明期の今、普及の進め方が最大のカギ

―― 「普及のさせ方」ですか。

小室 例えばテレビのニュースで、「メタバース上に○○を再現しました!」と紹介するでしょう。でも2Dの画面で見ても、メタバースの最大の魅力である没入感は感じられませんから、「なんだ、こんなものか」と、入り口にも立たずに関心を失ってしまう人が多い。とにかく初めにとんでもない没入感を体験させ、「これって本物じゃないの!?」と驚かせなければ始まりません。エンタメ界では「WOW!」と呼ぶ感覚ですが、まずこれを体験させることに重きを置いた見せ方をしていくべきです。

 そのためにまず、小さな「部屋」ベースの空間を再現するのが良いと思います。街のような広い空間を再現するとなれば、莫大なお金がかかりますし、精巧な作りにするのは困難です。たった一部屋でいいから、時間とお金をかけ、細部まで緻密に再現したものを見せる方がいい。

 それに、部屋のような身近な空間の方が、日常生活に当てはめて使い道を想像しやすいものです。メタバースの可能性を多くの人に確信させるには、それが一番だと思います。

―― メタバース上の「部屋」ですね。可能性を秘めていそうです。

小室 先ほど、音楽が心に刻む印象の話をしましたが、友人の歌手と一緒に部屋でお酒を飲んでいる時、ギターで弾き語りをしてくれたりすると、隣で聴くからこそ胸に響くことがあるんです。やっぱりいいなあ、涙出ちゃうなあ、と。マイクを通さず聴く体験ならではの良さがある。

 メタバースでは、アーティストとファンとでそういう空間を作ることもできます。それこそ部屋にぽんとシンセサイザーがあって、私がちょっと弾いたら隣にいた誰かが涙ぐんでくれるような。物理的な距離も関係ないし、著名人にとっては身の危険の心配もいらない。自分がいる部屋に、ふらっとBTSが入ってきて歌ってくれたら、なんて考えるとわくわくしませんか。

 音楽業界でメタバースを推し進めるレコード会社やプラットフォーマーには、がむしゃらに普及させようとするのではなく限りある資金をうまく使ってやっていく方向に傾いてほしいですね。エンタメの基本は「驚かせる」ことです。一気に没入できる「部屋」に私はこだわっていますが、そこをメタバースへの入り口にしてほしい。そうすればきっと業界全体の好転につながるはずです。