かつて進研ゼミなどの教育サービスで知られていたベネッセだが、現在は企業理念「よく生きる」に従い、人のあらゆるライフステージに寄り添う事業展開を行っている。社長CEOの小林仁氏は、以前携わっていた介護事業で、グループ全体に共通して大切なことを学んだという。聞き手=小林千華 Photo =山内信也(雑誌『経済界』2023年10月号より)
小林 仁 ベネッセホールディングス社長CEOのプロフィール
現場で価値が生まれる介護の経験から得たもの
―― ベネッセは「教育の会社」というイメージを持たれる方も多いと思いますが、小林さんは、ベネッセホールディングス(以下、ベネッセHD)で役職に就く前、介護事業を行うベネッセスタイルケア(以下、スタイルケア)で社長を務めていましたね。
小林 はい。ベネッセはもともと教育総合出版の会社として設立され、それ以降も主に進研ゼミや進研模試などを提供する「教育の会社」でした。しかし1990年代から、創業家2代目の福武總一郎が打ち出した「よく生きる」という企業理念に沿って、一人ひとりのライフステージに寄り添うサービスを届けるべく、事業の多角化を進めてきました。そのひとつがベネッセスタイルケアの介護事業です。
2000年の介護保険法施行に向け、その数年前からベネッセグループでも介護事業に力を入れて取り組もうということになり、結成されたスタイルケア(当時、ベネッセケア)の初期メンバーに私も含まれていました。その後13年、成長が鈍化していたグループ全体の立て直しのためにベネッセHDに戻りましたが、14年間徹底的に介護の仕事に携わった経験が、その後の自分の考え方の基点になりました。介護というのは、いくら経営者が経営理念を練ったとしてもそれだけではいけない。現場のスタッフの仕事によってしか価値の生まれないことですから。
―― なぜそう感じたのでしょうか。
小林 介護は、単にお年寄りに対する弱者支援としてやるのか、その方のQOLを高めるサービス業としてやるのかによって全く変わってきます。われわれは民間企業ですから後者の姿勢で、サービス業として介護に取り組んでいました。私はスタイルケアに入るまで、ベネッセコーポレーションでコーポレートや進研ゼミ関連の仕事をしていましたから、目の前の一人ひとりの人生に直接寄り添う経験をしたことはありませんでした。しかし介護の現場のスタッフは、「どうすればこの人に幸せに過ごしてもらえるか」を考えるのが仕事です。私は介護こそ究極のサービス業であり、クリエーティブ業でもあると思っています。
―― 社長として、そんな現場のスタッフの方々の仕事をどのように見ていましたか。
小林 会社の目線と現場スタッフの目線をいかに合わせるかということを常に考えていました。そのために05年に制定(08年に改訂)したのが「ベネッセスタイルケア宣言」。スタッフが何を大切にしながら働けばいいのかについて、5つの行動宣言と10の行動基準を示しました。これらは全て、私がスタイルケア在籍時代に、実際に現場で起きたエピソードとその反省をもとに定めたものです。そしてこれらをスタッフ全員に深く意識してもらうために、宣言のもとになったエピソードを社長の私自らスタッフに説明するなどの研修も行っていました。
それが奏功してか、当時とあるメディアの取材を受けた際、私と現場スタッフの両方に話を聞いた記者の方が「社長と現場スタッフの言うことがこんなに一致している企業は初めて見た」と言ってくれたことがありました。これは私の社会人生活38年間のなかで、嬉しかったことランキング上位に入る出来事です。
現在、介護事業は教育事業に次ぐベネッセグループの第二の柱にまで成長しています。しかしながら、介護は、数字だけが大切なのではなく、ベネッセというブランドに期待してくれた施設入居者やご家族を誰一人裏切ってはいけない事業です。その人の最期を含めた人生全体に寄り添うにあたり、これまでどういう半生を送ってこられたか、それを踏まえてどのようにサポートすればいいのか考え続ける必要があります。
パーパスは変わっていいベネッセの経営観
―― スタイルケアでの経験は、現在どう生きていますか。
小林 当時スタイルケア宣言でスタッフのマインド統率を図っていた経験が、現在ベネッセコーポレーションで行っているパーパス経営に生きています。パーパスにはわれわれの存在意義を定めていて、具体的には、まず社会全体からどういう風に思われたいかを示す「社会の構造的課題に対し、その解決に向けてどこよりも真摯に取り組んでいる姿勢に共感できる存在」、そしてサービスを利用するお客さまからどう思われたいかを示す「自分が一歩踏み出して成長したいと思った時にそばにいてほしい存在」という2つの項目です。
―― どのような思いを込めたパーパスなのでしょう。
小林 パーパスを制定した20年当時、既に「よく生きる」という企業理念があるのに、この上さらにパーパスを作る意味はあるのかとよく言われました。しかし、企業理念とパーパスには明確な違いがあります。企業理念は、この先どんな時代もベネッセが大切にしなければならない不変のもの。パーパスは、その時代ごとに企業理念を守るために持たなければならない姿勢を示すものですから、変わっていっていいのです。
ベネッセコーポレーションは主に教育事業を行う会社ですが、少子化の影響もあり、かつてのように18歳以下だけを対象に事業を行っていける時代ではなくなっています。さらに、社会構造や人々の働き方も変化していて、学歴よりも実際に持つスキルが問われるようになり、もはや大学入学が教育のゴールとは言えません。
そういう大きな変化に対応するには、これまでの頑張りをそのまま積み重ねていくだけでは駄目でしょう。でもベネッセの教育事業には今までの大きな成功体験がありますから、それにとらわれずに進むのは難しい。ですから変化に対応するためのよりどころとしてパーパスを定めました。
先の見えない時代に対応するサービスを届ける
―― パーパスに沿い、現在どのように事業を進めているのですか。
小林 20年に発表した中期経営計画をブラッシュアップしたものとして、5月に変革事業計画を発表しました。「コア教育」「コア介護」「新領域」が今後の利益の3本柱となる状態を目指すとしています。新領域には、これから成長が期待される大学・社会人事業や海外事業などが含まれますが、今後は特にここに戦略的に資源配分をしていきたいと考えています。
その新領域のなかでも、大学・社会人領域を最重要テーマと位置付けました。先ほど教育事業について、世のなかの変化に対応していかなければならないと言いましたが、当社だけでなく、日本の教育自体が大きく変わっていかなければならないと私は思っています。働き方が変わり、個々人のスキルが求められるようになるのなら、大学の段階で「将来こうなるためにこんなスキルが必要だから、大学でこれを学ぶ」という未来が見えていなければならない。しかしそのための教育制度はまだ整っていないのが現状です。世のなかの変化に対応した国の教育の仕組み作りをより強力に支援するという思いで、18歳以上の大学・社会人の学びもカバーしていきます。
―― 確かに今は誰にとっても先の見えない時代ですね。
小林 当社のお客さまや学校の先生、企業経営者にとってももしかするとそうかもしれません。しかしそういう時代だからこそ、いかにイマジネーションを膨らませて先を予測し、そこから逆算して事業を行っていかなければなりません。社長CEOとしての私の仕事はそこですね。
大学・社会人事業に関しても、これまでやってきた18歳以下への教育で培ってきた強みを生かすことはできます。それを含めてパーパスを起点に、ライフステージごとの「人」を軸とした社会課題の解決に取り組んでいきます。
―― 創業家の深い思いが込められた、瀬戸内海の現代アートの島「ベネッセアートサイト直島」には、小林さんも思い入れがありますか。
小林 島民の方々と現代アートが共存している様子を見るのが私は一番好きですね。直島を訪れると、普通なら地元の人しか通らないような細い路地の隅々までが綺麗に保たれていることに驚きますよ。それだけ島民の方々が、外から多くの人が訪れる島になった現状を受け入れてくださっているのだと思います。
また、直島を愛する福武總一郎の「経済は文化の僕である」という言葉がありますが、直島は私に、何のために経済活動をするのか忘れるなよ、とメッセージをくれる気がします。経済的利益を追い求める一方で、その目的を常に忘れないようバランスを取る必要があると思わせてくれる場所です。
これからも社会が大きく変化するなかで私たち自身が変革し、社会課題の解決に挑戦しながら、お客さまの期待に応える新しい価値の提供を目指していきます。