経営者コミュニティ「経済界倶楽部」

転機を迎える「変革の加速器」VCはどこに向かうのか

VC ANRI 佐俣アンリ

文・本誌=金本景介(雑誌『経済界』2023年10月号 第2特集「疾走するベンチャーキャピタル」より)

スタートアップ投資の特別な難しさ

 VCの「裏方の美学」は人目を引く。ジェネンテックやモデルナなど、時代を象徴する企業、そしてGAFAM(米巨大テック5社)はいずれもVCから出資を受けて急成長した背景がある。VCは、先端テクノロジー領域への投資で目覚ましい成果を上げてきた。AIや量子コンピューティング、代替エネルギーをはじめディープテックへの投資は現在の主流の一つだ。

 VCは、年金基金や大学基金をはじめとした機関投資家や、事業会社などがLP(リミテッド・パートナー)として出資者となり、その資金をVCがGP(ジェネラル・パートナー)として、投資先を選定し、運用する。VCファンドの運用期限は、近年長期化傾向にはあるものの、10年とされることが多い。LPからの毎年の管理手数料と、ファンドの成功リターンの一定の割合(一般的には20%程度が多いとされる)がVCの利益となる。VCは投資先企業が大成功するために骨身を惜しまずサポートする。ただ、その成功率は決して高くはなく、ごく一握りのスタートアップが企業価値を数百倍にする一方で、投資先の大半は軌道に乗ることはない。ハーバードビジネススクール教授のトム・ニコラス氏は、『ベンチャーキャピタル全史』の中で、現代のVCと19世紀のアメリカ捕鯨産業との利益分布の類似を指摘する。資金提供者の富豪と、投資を受ける捕鯨者を仲介するエージェントの姿は、現代のVCと重なる。貴重な鯨油を求めて繰り返し遠洋への航海に出るコストは莫大だ。それなりの「漁獲高」を上げるだけでは、投資金額を回収することはできない。しかし、たった一度のホームランが、複数回にわたる航海全ての収益の中で、非常に高い割合を占めるまでにいたる、という構造だ。

 どの企業が大きく伸びるかはそれぞれのVCの眼力に掛かっている。この数少ない圧倒的なリターンを狙うことがVCの生き残りには欠かせない。とはいえ、言うは易く行うは難し。米VCのベッセマー・ベンチャー・パートナーズが、グーグルやペイパルをはじめ逃した大きな魚の苦い経験を「アンチ・ポートフォリオ」として公開したことは広く知られている。

不安定な世界市場国内外のギャップ

 今年3月、シリコンバレー・バンク破綻をキッカケに、連鎖的な金融不安が引き起こされたことは記憶に新しい。危機は一旦収束したとされてはいるものの、今後のスタートアップ・ファイナンス市場は、どのようなシナリオをたどるのだろうか。

 21年は、コロナ禍への危機対応として金融緩和と量的緩和が実施され、好調な株価とともに新規上場件数も増加。スタートアップの大型IPOを狙ったVC投資が活発化した。米ヘッジファンド、タイガー・グローバル・マネジメントは約1兆円規模の大型VCファンドを設立し、異例のハイペースな投資で当時話題をさらった。しかし、一転して2022年度の新規IPOによる米スタートアップの調達金額は大幅に下落し、VCファンドに資金供給するLPも出資先の選別に慎重だ。レイターステージのスタートアップに巨額を投じていたタイガー・グローバル・マネジメントも、投資先の評価額の低迷に直面し、LPからの資金調達に難航している。また、今年に入り米FRB(連邦準備制度理事会)の利上げに伴い、新規株式公開(IPO)による調達額も減った。IPOによる高値でのイグジット(株式売却による利益確定)を望めない現状が、世界的に成長後期のレイターステージ投資の減少につながっている。IPOを目前にしつつも、意図的に上場を遅らせるユニコーン(未上場で企業評価額10憶ドル以上の新興企業)も目立つ。

 しかし、日本のスタートアップ市場に関しては、そこまで悲観的になる必要はないかもしれない。ベンチャーエンタープライズセンターによれば、22年通年の国内VCの投資全額は3403億円で、上昇傾向にある。米国・中国・欧州が軒並み前年よりも大幅に減少している中、規模でみればまだまだ小さいものの、日本市場は着実に成長を続けている。ジャフコグループの三好啓介社長は「21年までは大量のカネが投入されており、極端な成長スピードだった分、海外市場は下げ幅も大きいが、国内市場は大きな影響を受けず安定している」と語る。

 政府が昨年11月に出した「スタートアップ育成5か年計画」も、VC・スタートアップ関係者からの評価は高い。27年までにスタートアップの資金調達額を現在の10倍を超える10兆円規模まで増やし、ユニコーンの100社創出を目指す。米国大学による日本向け起業家育成プログラムの創設などアントレプレナーシップ教育の充実や、ストックオプションの税制優遇、そして産業革新投資機構など官民ファンドの出資強化をはじめ取り組みは多岐にわたる。

 インキュベイトファンドの赤浦徹代表パートナーは「機関投資家からの資金流入の拡大は、業界全体で積極的に取り組んできた重要課題。この潮流により日本のスタートアップ調達総額は今年過去最高を更新するのではないか」と期待を示す。しかし、投資資金の充実は必要だが、資金の受け皿となるようなスタートアップが育たなければ、計画は絵に描いた餅となる。まずは挑戦者を増やすことが求められている。そして視座の高い起業家人材は、伝統的な大企業においても、改革者として実力を発揮できるはずだ。大企業の懐の深さが試されている。スタートアップと大企業がリソースを提供しあう共創の体制を整えることが、海外市場で成功を収める上で必須となる。

 そして、目先の小さなIPOだけで満足せず、世界シェアトップを狙う次代の起業家を生み出すアントレプレナーシップ教育は、今後さらに強化されていくだろう。同時に、起業家の輩出は、教育機関だけで完結するものでもないはずだ。良き助言者として、起業家の学びや気づきを促進することはVCの伝統的かつ、重要な役割だ。 

言語化されていない領域への社会課題を俯瞰した投資

 ANRIの佐俣アンリ代表パートナーは「相手への直感は大切な判断材料。どれだけ素晴らしい技術を持った会社でも、あくまで経営者で全てが決まるからだ。優れた経営者でさえあれば、リソース不足の問題は後からどうにでもなる」と投資先の選定について語る。

VC ANRI 佐俣アンリ
佐俣アンリ ANRI 代表パートナー
さまた・あんり――1984年生まれ。慶應義塾大学卒業後、East Venturesを経て、2012年ベンチャーキャピタル「ANRI」を設立、代表パートナーに就任。著書に『僕は君の「熱」に投資しよう』(ダイヤモンド社)。

シード期への投資に注力する独立系VCのANRIは、昨年400億円規模の5号ファンドを設立し、ディープテック系スタートアップへの投資を強化している。「スタートアップ5か年計画」については、2027年までに象徴的な10社を生み出すことに注力すべきだと佐俣アンリ氏は述べる。

── 政府は2027年までにスタートアップ投資額10兆円を目指しています。

佐俣 5カ年計画は、土壌を耕してスタートアップを増やそうという内容ですが、これでは遅すぎます。起業へのハードルを下げ、かつ失敗しても再挑戦しやすい環境を整えることは大事なことですが、効果が出るのは10年後です。まずは、「景色が変わったな」という印象を国内外に与えるような、1兆円の時価総額を生む象徴的なスタートアップをこの5年間で10社生む必要があります。

── 具体的にどのように取り組むべきですか。

佐俣 日本には東京エレクトロンや信越化学工業といった世界シェア9割を持ったメーカーが多くあります。いずれも10兆円に近い時価総額がありますが、当社が投資しているエレファンテックは、4年以上の研究開発を経て確立した世界唯一の技術を事業化し、次の時代の信越化学工業になろうとしています。ナノ化したインク状態の金属を基材にインクジェット印刷し、電子回路基板をつくる技術ですが、環境負荷を低減し製造コストを抑えられます。同社のような将来的に市場を独占できる可能性を持ったディープテック系企業の創出に取り組むべきです。スタートアップの独占技術によってつくられた画期的製品の輸出を通じて、外貨を獲得していくことには大きな可能性を感じています。日本のスタートアップがプラットフォーマーとしてGAFAM(米巨大テック5社)と同じようなプロセスを経て、大きくなる必要はないのです。日本のスタートアップには大企業の支援が欠かせませんが、同時に大企業にとっても外部からのイノベーターが必要です。スタートアップと大企業の間で多様な人材が循環しながら、共存共栄していくのが日本のスタートアップの成長のあり方です。

── 社会課題解決に向けたアプローチには多くの手段がありますが、スタートアップ投資もその一つです。

佐俣 スタートアップによる課題解決は有効ですが、全ての社会課題を解決するのは不可能です。ソーシャルセクター、政府、スタートアップの役割はそれぞれ異なります。当社では非営利のソーシャルセクターへの出資も積極的に行っています。領域を横断した俯瞰的な目線から、まだ誰も言語化できていないような社会課題を察知して、解決に向けた適切な投資ができるのがVCの強みです。