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不可能や無理を覆していくそれが真のヒーローです 二宮清純 スポーツジャーナリスト

二宮清純

ゲストは、スポーツジャーナリストとして長年活躍する二宮清純さん。野球、サッカー、格闘技など幅広いジャンルに精通し、弊誌でも17年にわたり連載いただいています。「これまで会った中で、思い出深いヒーローは2人いる」と話す二宮さんからとっておきの秘話を伺いました。聞き手&似顔絵=佐藤有美、構成=大澤義幸 photo=市川文雄(雑誌『経済界』2024年8月号より)

二宮清純 スポーツジャーナリストのプロフィール

二宮清純
二宮清純 スポーツジャーナリスト
にのみや・せいじゅん 1960年愛媛県生まれ。明治大学大学院博士前期課程修了。2000年よりスポーツの情報やコラムを配信し、講演やシンポジウムを手掛ける。スポーツコミュニケーションズ代表取締役。広島大学特別招聘教授なども務める。

高校野球とMLBを観てスポーツに興味を持つ

佐藤有美 二宮清純
佐藤有美 二宮清純

佐藤 『経済界』では長年連載いただきありがとうございます。幅広いジャンルに精通した二宮さんの記事は毎回真新しさがあり、いつも楽しく拝読しています。ご出身の愛媛は野球王国ですよね。最初に興味を持たれたのも野球ですか。

二宮 そうですね。僕が小学生の頃、1969年夏の高校野球決勝戦で松山商業(愛媛)と三沢高校(青森)が対戦し、延長18回引き分け、再試合で松山商業が勝つという世紀の名勝負が繰り広げられました。試合中は街から人の姿が消え、全住民がテレビを観ているのかと思うほどでした。その前年には来日したカージナルス対巨人戦、全日本戦があり、「巨人には王、長嶋、堀内がいる。負けるわけがない」と思っていましたが、実際にMLBの選手のプレーを見ると日本とはレベルが違う。カルチャーショックを受けましたね。一方でいつかMLBに挑戦する日本人が出てこないかと思ったものです。

佐藤 当時はテレビで観るスポーツが最大の娯楽でしたよね。

二宮 はい。ただ地元ではNHK以外の民放は日本テレビ系列の南海放送のみで、野球は巨人戦、相撲は大鵬、ボクシングはファイティング原田、プロレスは馬場と猪木が顔でしたね。余談ですが、当時のプロレス界に米国出身のフレッド・ブラッシーという噛みつき魔がいて、その鮮血を見てショック死する人もいました。うちの父もテレビ買い替えの時に、メーカーの販売員から「うちのテレビはブラッシーの鮮血がよく見える」と勧められて購入していましたが、カラーテレビの普及はプロレスの鮮血のおかげとも言えます(笑)。

佐藤 私の祖母もプロレスが大好きでいつも応援していました。

二宮 戦争を体験した世代は好きな人が多かったですね。敗戦の鬱憤を晴らそうと、外国人レスラーを倒す日本人レスラーに想いを託していたのかもしれませんね。

印象深いのは野茂英雄と経営者なら川淵三郎

佐藤 そこから書く道に進まれて、ジャーナリストとして数多くのスポーツ選手や著名人を取材されています。特に印象に残っている人物は。

二宮 まず1995年にMLBに挑戦した野茂英雄選手ですね。パ・リーグ4年連続最多勝日本最強の投手でしたが、日本の野球界からは裏切り者だ、成功するはずがないと批判されていました。でも、せっかく志を抱いた若者が海を渡ろうとしているなら応援したい。日本人にも勇気を与えると信じ、野茂を支持する記事や本を書き続けました。

佐藤 MLBへの扉を開いたパイオニアですからね。

二宮 そう。中国のことわざに「飲水思源」があります。これは「井戸の水を飲む時は掘った人の恩を忘れるな」という意味です。今も鮮明に覚えているのが、近鉄バファローズ時代の宮崎・日向のキャンプ地での取材時に、「二宮さん、この海の向こうに僕のやりたい野球があるんです」と話していた姿です。彼は20歳でソウルオリンピックに出場するなど後のMLBの選手とも対戦していたので、自分が米国でもやれることが分かっていたのでしょう。

佐藤 カッコいいですね。

二宮 ただ当時のMLBは長いストライキ中で、ファンの野球離れが起きていました。そこで球場にお客さんを呼び戻したのが、トルネード投法で三振を取りまくり、東洋の神秘と称された野茂だとも言われています。彼はタイトルや勝ち星では測れない多大な功績を残しました。

佐藤 野茂選手に続いたイチロー選手や大谷選手はいかがですか。

二宮 イチローが渡米したのは2001年で、当時のMLBはドーピング問題で揺れていました。そうした中、彼が野球の母国で示したのは、打つ・走る・守るという野球の原点です。大谷に関しては、二刀流は非現実的だとか、野球をなめるなという声がありましたが、ベーブ・ルース以来、100年振りに2桁ホームラン、2桁勝利を収め、ホームラン王になりました。不可能だとか無理だという下馬評を覆していくのが、彼らが真のヒーローたるゆえんです。

佐藤 野球以外ではいかがですか。

二宮 経営者であり改革者でもあるJリーグ初代チェアマンの川淵三郎さんですね。当初10クラブで発足したJリーグは地域密着の理念を掲げ、今ではJ1・J2・J3で計60クラブとなり、それまで1度も出たことのなかったワールドカップに、7大会連続で出場しています。

佐藤 最近は国内でもスポーツによる地域振興が活発です。北海道北広島市のエスコンフィールドも町興しに一役買っています。

二宮 ああいうスタジアムをハブにして、地域に潤いを持たせることは大事です。文化の少ない地域は衰退するので、魅力的な挑戦ですよね。

佐藤 そうした状況も踏まえ、二宮さんが展望するスポーツ業界とは。

二宮 最近はスポンサーのあり方も費用対効果を考えるスポンサーシップから、選手やクラブに寄り添うパートナーシップに変わりつつあります。業績の良い時は付き合い、悪い時は付き合いを止めるのではなく、良い時も悪い時も苦楽を共にして付き合うのが理想の形です。あとは僕も地方出身なので、中央の一極集中を避けて地域振興に貢献したい想いがある。ここでもパートナーシップは必要なので、僕の経験やネットワークを生かして「つなげる」役割も担っていきたいですね。

二宮清純 イラスト
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