まったく新しい技術を開発して新たな市場を創造する。多くの人がイノベーションにはこうしたイメージを持っている。しかし企業経営におけるイノベーションとは、そのように派手なものばかりではない。日常のちょっとした発見・変革もイノベーションであり、老舗企業は知らず知らずのうちにそれを繰り返してきた。文=関 慎夫(雑誌『経済界』2024年12月号巻頭特集「老舗とイノベーション」より)
「長年変わらない味」は「価値の創出」の結果
日本は世界一、老舗企業のある国だ。現存するもっとも歴史ある企業は社寺建設を得意とする金剛組で、設立からすでに1446年が経過した。金剛組は別格としても、日本には設立から500年を経過した会社が200社以上ある。これが100年となると4万社近い。政府統計局が発表するデータによると、日本の企業数は368万社。つまり日本に存在するすべての会社の1割が100年企業ということになる。
その多くが家族経営的な中小企業であり、大半が先祖代々の事業を守り続けている。たとえば代々続く和菓子屋であったり、京都で古くから伝わるお茶のメーカーなどだ。こうした企業の経営者に取材した時によく聞くのが「味を守り続けているだけ」という言葉だ。この言葉を額面通りに受け取れば、先祖伝来、同じ製法で同じ品質の同じ製品を世に送り出しているだけで、そこにはイノベーションなど何もないように見える。
しかし昔と今では環境は大きく変わっている。地球熱帯化は、昨年、コメの品質が大きく低下したように、農作物に大きな影響を与えている。これを原料に商品をつくっている会社なら、その中でいかに品質を保つか、仕入れ先を変える、あるいは製法を工夫する、といった具合に、味を守るためには日々の努力が不可欠だ。
「イノベーションの父」ヨーゼフ・シュンペーターは「価値の創出方法を変革して、その領域に革命をもたらすこと」とイノベーションを定義づけた。これを読む限りイノベーションには画期的技術革新が不可欠のようにも思える。しかしシュンペーターはイノベーションの5つの条件として①新しい製品やサービスの創出②新しい生産方法の導入③新しい市場の開拓④新しい資源の獲得⑤新しい組織の実現――を挙げている。これに当てはめれば、味を守り続けることも立派なイノベーションだ。だからこそ、老舗は老舗としてここまで生き残ってきた。
イノベーションには2つの方向性がある。ひとつは、強みのある事業を徹底的に掘り下げる。もうひとつは、コアの事業を中心に、事業を周辺に広げていく。和菓子屋でいえば、前者が既存商品の味をさらによくしていく、後者が新商品を開発するというものだ。そしてそこに企業の特色が表れる。
100年間、同じ業を営む会社でも日々のイノベーションは不可欠だが、時代の最先端をいくIT業界ともなれば、より速くより広くより深いイノベーションが求められる。1990年代まで世界の覇権を握っていた日本の電機・ITメーカーが、21世紀に入り急速に力を失っていったのはイノベーション競争に勝てなかったためだ。
その中で勝ち組と目されているのが日立製作所とソニーグループだ。日立は創業114年、ソニーも78年を数える。そして日本を代表する企業に成長した。ところがリーマンショック(2008年)当時には、それぞれ塗炭の苦しみを味わった。しかし、そこから見事に復活を果たしている。そして面白いのは、イノベーションの方向性が両社でまったく異なることだ。
日立とソニーに見る2つの方向の経営改革
日立は2009年3月期に7800億円の営業赤字を計上した。日本製造業として過去最悪の決算だった。そのため、就任わずか3年の社長が辞め、新社長には社外に出ていた川村隆氏を呼び戻した。そして川村氏が選んだ道が本業回帰だった。
日立は日本を代表する総合電機メーカーで重電から家電、コンピューターや半導体まで幅広く事業を展開していた。またグループ会社には建機や物流、化学など、電機とは直接関係のない会社も数多く抱えていた。
しかし川村氏の登場以来、重電や社会インフラなどの本流中の本流の事業に経営資源を集中した。その一方でHDD事業などを売却、最近でもエアコン事業からの撤退が話題になった。グループ会社も、日立建機など本業と関係ないところはどんどん切り離していった。そのうえで社会インフラの課題を解決するツールとして「ルマーダ」を開発。これがDXの波にも乗り、売り上げを大きく伸ばしていく。
その結果、日立の売上高は2022年3月期に10兆円を超えた。16年3月期にも超えてはいたが、今度は関連会社などを整理したうえでの数字であり、注力した事業が順調に伸びていることを物語る。その証拠に16年3月期の営業利益率が6・3%だったのに対し、前3月期は7・8%。以前に比べ、体質ははるかに強くなった。
最近、日立は「ルマーダに関連しない事業は整理する」と宣言。さらなる選択と集中を進めることで成長を目指している。
一方のソニーだが、もはや電機メーカーと考えている人はほとんどいないだろう。ソニーの事業領域は、ゲーム、音楽、映画、AV機器、デバイス、金融の6つに分かれる。そしてそのすべての売り上げが1兆円を超え、営業利益は1千億円を超える。もともと家電メーカーだったソニーが、音楽産業に参入したのは1967年、その後金融には79年、そして映画が89年にグループに加わった。
金融は安定的に利益を出し続けたが、音楽はCDが売れなくなり、映画はヒット作が出ないと大きな赤字を出すなどリスクも大きく、実際多額の損失を出したこともあった。しかも家電事業はテレビが赤字を出し続けるなど苦戦続き。そのためアクティビストからエンタメ部門の切り離しを要求されたこともあった。
しかしソニーはそれでも大半の事業を守り続けた。その結果、全事業部門を横断する形でリカーリングビジネス(サブスクリプションなどの連続課金ビジネス)を築き上げ、そこから収益は一気に改善していく。営業利益は22年3月期に1兆円を超え、今も伸び続けている。過去の事業領域の拡大が今日になって生きている。
日立のイノベーションが深掘り型だったのに対してソニーは拡大型、その両極端がそれぞれ結果を出しているから面白い。それぞれの企業の特性に応じて、イノベーションの形は無限にあるということを物語る。もちろん、技術的な問題だけでなく、新たな市場の創造や企業文化・風土の刷新などもイノベーションの一つである。それを次ページ以降で紹介する。