バーチャル空間で開催される会議や音楽ライブなどに、3Dアバターで参加できる画期的サービス「cluster」を生み出したのは、元引きこもりのオタク青年だった。エンタメの世界を大きく変える可能性を秘めたビジネスで注目を浴びる経営者、加藤直人氏の人物像と「cluster」の展望を探る。(取材・文=吉田浩)

加藤直人・クラスターCEOプロフィール

(かとう・なおと)大阪府出身。京都大学理学部で宇宙論と量子コンピューターを研究。その後同大学院に進むも1年で中退。3年間の引きこもり生活を経て、2015年、クラスターを創業。仮想現実空間でアバターによる会議や音楽ライブなどのイベントを開催できるプラットフォーム「cluster」を通じて、新たなネットインフラの構築を目指している。

 

加藤直人氏がVRビジネスで起業した経緯

 

京大大学院中退後、自宅に3年間引きこもった加藤氏

 街中がハロウィン関連のイベントで賑わっていた2018年10月下旬、筆者は「バーチャルハロウィン in cluster」と銘打つイベントに参加していた。クラスター株式会社が企画した、VR(仮想現実)空間で行われる視聴者参加型のイベントである。

 初めて体験するVR(仮想現実)空間は、かなり新鮮だった。ゴーグルをかぶってバーチャル空間を歩き出すと、まず実際の身体操作に近い感覚に驚く。

 会場には多数の人々がアバターで参加しており、それぞれ自由に動き回ったり、コメントを発したり、ステージ上の演者に拍手を送ったりしている。

 いわゆる「VR酔い」は多少あったものの、動作や感覚のズレによるストレスは想像していた以上に少ない。

 このバーチャルイベント空間「cluster」を生み出したのが加藤直人氏だ。同氏は京都大学で宇宙論と量子コンピューターの研究を手掛け、大学院まで進んだが1年で中退。その後3年間引きこもり生活を送ったのちに起業という、変わった経歴の持ち主だ。

 「昔からSFが大好きで、アニメの『ガンダムSEED』の主人公がイケメンオタクプログラマーだったのに影響されて、中学生の頃から独学でプログラミングを学びました。大学では宇宙と量子コンピューターのテーマで卒論を2本書いて、周りからはイカレてるなんて言われていましたね」

引きこもっていた3年間は、自宅でゲーム開発を行うなどして生活費を稼ぎ、買い物はamazonで済ませ、ほとんど外出することはなかったという

 

 そんな加藤氏だが、大学院を中退したのは、遠い将来に向けた研究より、もっと身近に実現できることがないかと考えたからだ。そこでいくつか企業を回ってみたものの行きたい場所は見つからず、結局、自宅で引きこもり生活を始めることになる。

「2012年当時はちょうどスマホが伸びた時期で、プログラマーとしてゲームの開発案件を受託して食べていけたんです。2~3週間でゲームをつくって、あとは2カ月以上ゴロゴロ過ごすという生活を3年続けていました」(笑)。

 食うに困らなかったせいか、この頃の加藤氏はビジネスに興味はあったものの自ら会社を興すという発想はなく、直接誰かと会って話したのも1年間で10人ほど。まさに完全な引きこもりだが、それでもストレスはあまり感じなかったという。

 「インターネットがこれだけ発達していると、友達とは大体SNSで繋がっていたし、欲しいものはアマゾンで買えたし、調べたいことがあればグーグルがあったので、引きこもっている感覚はほとんどなかったですね」

技術ブログをキッカケにVCから声が掛かり起業

 経営者になったキッカケは自身のブログだった。開発しているゲームアプリの開発状況などを綴っていたところ、ベンチャーキャピタリストの木下慶彦氏から、会ってみないかとメッセージが届く。

 木下氏からは、「なんでそんなに技術力があるのに引きこもっているの? 会社作ったらいいじゃない」と提案された。

 そこで初めて「そうか、自分でやるのもありだなと気付いた」と加藤氏は笑う。具体的な事業内容に対してではなく、加藤氏のユニークさと技術力に惹かれて出資が決まるという珍しいケースとなった。

 起業するにあたって、バーチャル会議室の構想は当初から持っていた。快適な引きこもり生活の中で、いくつか感じていたフラストレーションの1つが、音楽ライブなどに行けないこと。声優の水樹奈々さんの大ファンだという加藤氏だが、ライブに行くのにわざわざ出かけなければならないことが大きな苦痛だったのだ。

 「物体が移動する瞬間が最もエネルギーを消費するんです。動かなければエネルギーを使わなくて済みますからね」

 引きこもりでも情報やモノは届くが、体験は届かない―― そこに気付いた時に出会ったのがVRだった。これを使って音楽ライブができたらわざわざ出かけなくてもいいし、凄いことになる。

 加藤氏の中で、事業の構想が固まっていった。

 

加藤直人氏が「cluster開発で直面した課題と解決策

「cluster」を使ってバーチャル空間でのイベントや会議などを主催したり、参加したりできる

 

課題①多数同時接続のネットワークをどう実現するか

 開発にあたって、まず課題となったのはネットワーク品質だ。

 バーチャル空間とはいえ音楽ライブを実現するには、数千人規模の集客ができなければならない。通常、オンラインゲームだと数十人までしか同時に参加できないが、「cluster」の大きな特徴として、5千人まで同時接続が可能で、同じ会場に集まれるという点がある。どのようにして実現したのか。

 「2005年ぐらいまでがオンラインゲームの全盛期でしたが、そこからスマホの波が来てオンラインゲームの技術が古臭いものになっていったんです。そんな時、産業用途で物と物を通信機能でつなぐIoTが話題になっていく過程で、IBMが開発していたMQTT (MQ Telemetry Transport) というプロトコルが注目を浴び始めました。IoT向けなので、多数のセンサーなどから得た情報をサーバーに大量に投げて、一気に送り返す機能を持っていたんです。これって、多くのアバターが同期するのに最適じゃないかと」

 加藤氏いわくMQTTは、まさに「cluster」のためにつくられたようなプロトコル」だった。これをベースに開発を進めることで、ネットワーク上の大きな課題が解決できたのである。

課題②VRの普及ペースをどう読むか

 一方で、VRの普及率も考慮した。クラスターを立ち上げたのは15年の後半。翌年上期には「Oculus Rift」「HTC Vive」「PlayStation VR」といったコンシューマー向けシステムが発売される予定だったため、起業のタイミングを合わせたという。

 今のところ、VRデバイスは価格や手軽さの面でコアユーザー寄りであり、普及のペースは予想よりやや遅めだ。だが、

 「今ユーチューバーが稼いでいる状況が、3Dアバターの世界でも必ず起きます」と、将来の普及に確信を抱いている。

「3Dアバターの世界でYoutubeと同じ状況が必ず起こる」と加藤氏は言う。

 

課題③収益モデルをどうするか―セカンドライフの失敗から学ぶ

 VRビジネスを手掛けるにあたって、加藤氏が強く意識したのがかつて話題となり、あっという間に消えていった「Second Life(セカンドライフ)」。2000年代初めに登場し、「cluster」と同じく3Dアバターの住人たちが集う仮想空間は大きな可能性を感じさせたが、ビジネス的には大失敗に終わった。

 加藤氏はセカンドライフの失敗要因は、空間の過疎化にあると分析する。

 セカンドライフでは、リンデンドルという通貨をユーザー同士で回す仕組みを作ったり、企業広告を取ったりすることなどで収益を得ようとしたが、ユーザーが自由に土地を広げられる仕組みだったため、土地だけがどんどん広くなりアバターの人口密度が低下していった。そのため、通貨の流れが滞り、広告を打とうにも誰も見ていないような状況が生まれてしまった。

 一方、「cluster」は最初から「イベント」という単位で部屋を創り、イベントが終了したら部屋は消滅するため、無制限な空間の拡張はない。イベントを開催する場合は、演者側と参加者側に分かれていて、演者に向けて参加者がお金を払うという仕組みだ。イベント主催者は、有料チケットの販売と、参加者が使用する「Vアイテム」によって収益を得て、それらの手数料がクラスター側に入るようになっている。

 また、「cluster」を使って音楽ライブなどのイベントを行いたい企業や個人向けに、コンサルとしての収益も得ている。現状では有料イベントはまだ数十回程度の開催だが、今後は右肩上がりで増えると加藤氏は読む。

 バーチャルタレントによる音楽ライブなど、似通った趣味趣向の人たちが1つの空間に、しかも数千人単位で集まる「cluster」は、広告出稿の場としても向いている。将来はアイテム課金や物販も手掛けることで、イベントあたりの収益を増やすことも考えているという。

 「“バーチャル上での興行ならクラスターが一番”となったら、独占的なポジションを確立できると思います」と、自信を見せる。

「cluster」で開催されたバーチャルアイドルの音楽ライブ

 

VRとバーチャルタレントによるエンターテインメントの魅力とは

 

 「アニメカルチャーがあるのも理由だと思いますが、バーチャルタレントの世界は日本独自で発達しているのも面白いところです。今のところ、お金を払ってくれるのは20代や30代の男性で、かつ可処分所得が多い独身のユーザーがメインですが、これはVRデバイスを買う層と被っているんですね。まずはその層にしっかりサービスを届けつつ、一般向けに普及させるために音楽ライブに力を入れていきます。音楽は世界的な言語だし、世代の壁も超えますから」

 さらに、加藤氏が指摘するのは、発掘しなければ見つけられないリアルのタレントと違って、バーチャルタレントは自分でプログラミングすることで制作できる面白さだ。

 「ソーシャルゲームを作るのと似ていて、ゲーム開発のエンジン、3Dデザイナーとキャラクターデザイナーなどが揃えば、結構手軽にアバターを作って動く仕組みが作れてしまいます。そういう魅力もVR普及を後押しすると思います」

五反田の本社オフィスにて。レベルの高い開発環境を求めて多数のエンジニアが応募に来る

 

取材を終えて

 

 「アグレッシブな引きこもり」――加藤直人氏を表現するならそんな言葉だろうか。 

 「均一な教育や組織体系から外れると居心地が悪くなって、引きこもりが生まれる。でも、世間からの外れ値を認める多様性を評価する世界がやってきたら、引きこもりはむしろ合理的な生き方なのかなと思います」との同氏の説は、一聴に値する。

 「とあるアンケート結果で『今の生活をこのまま続けるか、100年前に戻って一生遊んで暮らせる生活をするかどちらかを選べ』と聞かれたら、多くの人が今の生活を選ぶと答えました。つまり、技術がこれだけ発達したこと自体が、人々にとってベーシックインカムになっているんです」とも語る。

 テクノロジーの発達が引きこもりを可能にし、そこで好きなことに没頭した青年が遊びの延長のようなところから画期的なサービスを生み出す。そんな加藤氏のストーリーは、これまでにない新たな経営者像を提示している。

 

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