小笹芳央現会長をはじめとする仲間たち6人と2000年にリンクアンドモチベーションを創業した坂下英樹社長。実質的ナンバーワンである小笹を時に支え、時に自らが前面に出て、事業をけん引する役割を担っている。大きな構想を優れた現場感覚で実現してきた男は、この先どんな会社づくりを目指しているのだろうか。文=吉田 浩 Photo=佐藤元樹
坂下英樹・リンクアンドモチベーション社長プロフィール
トップ営業マンからコンサルタントへ
坂下が経営者としての独立を意識したのは、家庭環境の影響が大きい。幼い頃から電設工事の会社を営む父親について現場に行き、その仕事ぶりを見てきた。
「幼稚園児の頃から“原価”という言葉を知っていましたからね」
そう坂下は笑う。
新卒で就職したのはリクルートだった。既に数社から内定を得ていたが、世の中の経営者たちを直接相手にする仕事がしたかった。リクルートが何をしている会社かもよく知らなかったが、ベンチャー気質にあふれた同社は、将来の独立を視野に入れていた坂下には、願ってもない職場だった。
入社後は、自ら志願して東京都内ではなく埼玉県の大宮に配属が決まり、就職情報誌の広告営業を担当した。当時はバブル経済の影響で都内の地価がべらぼうに高く、起業家の多くは東京周辺のドーナツ圏に拠点を構えることが多かったためだ。
経営者を直接相手にする営業は効率が良かった。人事担当者を相手にするのと違い、多くの場合商談は即決。顧客の紹介にも恵まれ、成績は新人トップ。2年目には早くも全国でナンバーワンの実績を上げた。6年後、組織人事コンサルティング室に異動が決まり、そこで出会ったのが室長を務めていた小笹だった。
ここから苦難の日々が始まる。営業では抜群の実績を収めた坂下だったが、未経験のコンサルタント業務を前に、しばらくは成績が全く上がらなかった。坂下は当時を振り返ってこう話す。
「まるで、ボクサーが柔道をやるようなもので、全く違う世界でしたね。ロジカルな思考など全くできなかったので一から学び直しです。小笹からコンサルの雰囲気を経験しろと言われ、有名経営コンサルタントの波頭亮さんをコーチに付けてもらって鍛えられました。睡眠時間は2時間くらいしか取れない日々が1年間続き、本当に精神的に破綻しそうでした」
こうした厳しい経験を通じて、坂下は「コンサルとは何か」を徹底的に学んでいった。
創業当時の事業計画書を今でも持ち歩く
90年代半ば以降、日本経済の減速とともに、リクルートにもリストラの波が押し寄せる。
それまでの拡大路線から一転、保有媒体の統合が進み、効率化を追求する方針に変わった。新たな市場を開拓するために、治外法権的に活動していた組織人事コンサルティング室も、会社全体の戦略の中に組み込まれ、それまで以上に「稼ぐ」ことが求められるようになったのだ。
歪が生まれた。
コンサル室には室長の小笹より年上の社員も次々に配属され、自由度がどんどん失われていった。それに不満を持ったリーダー格の社員たちが、次々と辞めていく。組織存亡の危機だった。個人面談の場で、この先どうしたいのかと小笹に問われた坂下は思いの丈をぶつけた。
「当時は多くの会社が、人を削りITを導入して効率化に走る状況で、リクルートもそうでした。それによって失った面白さこそが、自分にとってのリアリティでした。自由度やワクワク感を失った会社は、自分が好きだったかつての姿ではない、こんな思いをしている会社は、世の中にたくさんあるのではないかという話をしたら、小笹は共感してくれたんです」
小笹の反応は早かった。面談の翌日にすぐ、坂下の思いを反映させた事業計画書を持ってきたのだ。
小笹、坂下のほか、新たな事業の構想に賛同した2人のメンバーを加え、箱根で合宿。新会社の社名や、事業構想について議論を重ねた。その翌年、人や組織の観点からアプローチする新たなコンサル会社、リンクアンドモチベーションは誕生した。
坂下が持ち歩くカバンの中には、その時につくりあげた最初の事業計画書が18年たった今でも入っている。英語で書かれているのは、海外でも通用する会社をつくるという気概ゆえだという。
世の中に評価される会社をつくりたい
1人で独立しようと考えたことがなかったわけではない。ただ、坂下にとってはやりたいことを実現することのほうが重要で、そのために選んだのが仲間たちとの創業だったということだ。
トップに立つ小笹は全体の戦略を構想し、大きな目標を掲げて組織を引っ張るカリスマリーダータイプ。一方、坂下は顧客を開拓したり顧客の本音を引きだしたりと、現場で指揮を執る能力に長けている。
小笹と意見が違うときもある。そんな場合も、掲げたプランを現実に落とし込むための解答を模索し、実行していくことがミッションだ。
今でこそ、社員のモチベーションや組織力の向上によって業績を伸ばしていこうという発想は珍しくないが、リンクアンドモチベーションの創業当時は異色だった。創業後は顧客獲得に苦労したのではないか、という問いに坂下はこう答える。
「当時はIT万能時代で、世の中の経営者たちが皆そちらに行きがちだったからこそ、啓蒙が必要だと思い、自分たちの考えを顧客に言い続けてきたんです。ですから、最初から潜在顧客はたくさんいて、時代の流れに違和感を抱いていた経営者たちと共に、組織の変革事例を作っていきました。その時担当していたところの多くは、今でも大きな成果を残した模範的変革事例となっています」
リンクアンドモチベーションが標榜する、「人間観」と「組織観」をベースにした「モチベーションエンジニアリング」は、リクルート時代の顧客とのやり取り、そして自らが会社組織の一員として体感してきたことに基づいている。
「良い会社をつくるための手段は何か。例えば、もし父の会社が人材や組織力を機能させる重要性を分かっていたら、どうだったろうといつも考えていました」と、坂下は言う。
「世の中に認められる会社をつくる」という坂下の思いは強い。そんな気持ちに火をつけた家族とのこんなエピソードがある。
坂下の実家では、正月に父親と兄弟全員でオートレースに出掛けるのが恒例のイベントとなっていた。だが、ある年、リクルートの社員だった坂下は翌日の出社のため東京に帰らなければならなかった。それを聞いた家族たちは怒り出し「せっかく盛り上がっているのに、だからサラリーマンはダメなんだ」と、非難したのだ。父親をはじめ、兄弟たちはみな経営者だった。
「自分が経営者になった後も、彼らがなし遂げていないことをやりたいと思いました。その1つが、上場して世の中に認められること。ただ、上場自体が目的ではなく、上場に値する、高い評価を受ける会社をつくりたいという思いはありましたね」
坂下英樹が目指す「言行一致の経営」とは
2013年から小笹に代わって社長の座に就いた坂下が取り組んでいるのは、さらなる生産性の向上と、顧客との関係の深化だ。単純に売上高や規模の拡大を追うのではなく、「中身のある」成長を目指すという。
顧客に対して説得力を持つためには、自らが人材と組織の活性化を通じて成長しなければならない。体感値としての事例を作るために、自社が格好の実験場にもなっている。そこで得られた学びを、顧客企業にフィードバックする。坂下はこれを「言行一致の経営」と呼ぶ。
「研修などの社員教育を含めて、当社は現状否定する機会を非常に多く設けています。個人に対しても部署に対しても常に課題を与え、現状に満足しない風土をつくっているんです。評価の観点は、どれだけ成果をあげたかという“パフォーマンス”だけでなく、どれだけ成長できたかという“ストレッチ”の部分も重視しています」
M&Aも積極的に行い、事業領域と組織を拡大させてきたリンクアンドモチベーションだが、規模が大きくなるほど社員一人一人のモチベーションにフォーカスするのは当然難しくなってくる。創業当時の事業計画書を今も持ち歩くのは、初心を忘れないという坂下の決意の表れなのだろう。(敬称略)
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