目次 非表示
左手と右脳が導いた脳科学者への道
私は、物心ついた頃のことを少なからず思い出すことができます。その代表的な思い出は、「自分の右手がうまく動かない」と家族の右手をじっと見ている自分です。
家族が右手で箸を使いご飯を食べるのに私の手はどうしても左手を動かしたくなります。ボールを投げるには左手でないとうまく投げられない。「ほかの人は右手で投げられるのに」。当時は、内言語になるほど言葉にはできていませんでしたが、心に残る映像は、「自分だけが右手を上手に使えない!」。
まるで、自分が障がい者のような気がしていたことがありありと浮かびます。このように右手が上手に使えないことが大きく世の中から遅れていると自己錯覚に陥り、コンプレックスが脳の奥底に沈殿していきました。
このような心の体験を持つ人は少なくないでしょう。日本には、古来から左脳の運動系脳番地から直接支配を受ける右手を尊重する風習があります。地域性もあるでしょうが、田舎であればあるほど従順に日本の習慣を守ろうとする傾向があるのも否定できません。
しかし、振り返れば、右脳の支配を受ける左手が私を脳科学者に導いてくれた原動力であったと自覚できます。
始まりは、4歳から自主的に右手で字が書けるように週1回の書道教室に通い始めたことです。この時期の感覚も記憶にあります。ひらがなも漢字も良く分からないのに、私の右手に書道の先生が右手を添えて、一緒に筆を動かしてくださいました。これが4歳から始まった私の脳の強化トレーニングの始まりでした。
左手を使えばもっと自分の可能性が開かれる
日本人に限らず、人間における生まれつき左利きの発生率は、おおよそ平均10%と言われています。そのため社会のインフラは9割方右利きのために作られてきました。
文字の書き順、自動改札機、電話、楽器、文房具……。そういったものと接するたび、左利きの人間は使い方を試行錯誤し、実践し、慣れていかなくてはなりません。これは左利きに加わる生まれながらの脳番地トレーニング課題になります。
一方、右利きは、右利き社会に容易に適応できる半面、左手を使う動機を見つけにくのです。
要するに、左利きに比べて右脳を使う機会が極端に少ないのです。すなわち、右利きは、右脳が未発達状態の可能性が高いのです。
例えば、目の前にスプーンが置いてあります。私の場合、一瞬に判断して、今日は右手を使ってみよう。最近は、左手を遊ばせていたから左手を使って手入れしよう。このように判断して決めています。右手を使うことに慣れた人は、考えもせず右手でスプーンを手に取るでしょう。
今日からどちらの手を使うかを決めてから行動に移してみましょう。思わぬアイデアがひらめきやすくなります。
【加藤俊徳】氏の記事一覧はこちら
経済界 電子雑誌版のご購入はこちら!
雑誌の紙面がそのままタブレットやスマートフォンで読める!
電子雑誌版は毎月25日発売です
Amazon Kindleストア
楽天kobo
honto
MAGASTORE
ebookjapan