自治体によって仕様がバラバラな障害者手帳をアプリに一元化し、バリアフリー社会の前進に大きく貢献するミライロ社長の垣内俊哉氏。サービスが生まれた背景と垣内氏が目指す未来像について本連載で紹介する。文=吉田 浩 Photo=幸田 森(雑誌『経済界』2022年8月号より)
心肺停止の危機で生じた経営者としての意識の変化
ミライロの事業の柱であるユニバーサルマナー検定が生まれた背景には、垣内氏の意識の変化がある。地道な活動により業績は伸び、社内の仲間たちの結束も高まっていったが、骨形成不全症による自身の健康問題への不安は、会社を興してからも付いて回った。2013年春には一時的に心肺停止となり、3日間生死の淵をさまよう最大のピンチを経験することになる。
「一命を取り留めたもののすべての仕事が止まってしまって、いつ何が起きるか分からないという意識が高まりました。それで、仕事を属人的なものから組織的なものにしようと考えを変えたんです」
検定の形にしてカリキュラム化すれば、仮に自分がいなくても事業を回すことができる――そんな考えから着想を得たのがユニバーサルマナー検定だ。一見すると大変な逆境を価値に変える垣内氏の真骨頂が、ここでも発揮された。
経営者としての成長が、事業をさらに拡大させる下地になった。そして19年、ついに「ミライロID」のリリースを実現し、次のステージに足を踏み入れることになった。
カフェにこもり独学でミライロIDを開発
ミライロIDのぼんやりとした構想自体は、創業前からあったという。発想の原点となったのは、初めて障害者手帳を交付された4歳の頃の思い出だ。垣内氏の障害者手帳を貰って帰宅した母親は泣いていた。息子が障害者だと認識しつつも、正式に社会からそのレッテルを貼られた重み。家族でなければ分からない感情があったのだろう。
「それを目の当たりにして、自分の名前が書かれた障害者手帳を持ち歩きたくなかったし見られたくないと思ったんです。学生時代に友達や恋人と電車で移動している時も、障害者割引が使えるのに出したくなかった。自分だけ障害者だと顕在化させるのが嫌でした」
そんな思いをずっと抱き続けてきた垣内氏だが、起業後さまざまな企業のコンサルティングをする中で、障害者手帳の確認が業務負担になっているという話を耳にするようになる。障害者手帳の発行は各自治体に委ねられているため、自治体ごとに形式が異なる。障害者手帳は全部で283種類もあり、交通機関やレジャー施設などでは、手帳が本物かどうか確認するのに何分もかかってしまうとのことだった。ならば、それらを一元化して電子化すれば楽になる。障害者が窓口で手帳を提出する心理的抵抗感も減るはずだ。
とはいえ、アプリの開発は一筋縄ではいかなかった。本業の忙しさに加え、16年にも再度入院するなど体調面にも不安があったからだ。ようやく着手できたのは18年になってから。当初は社内に開発の専門家がおらず、垣内氏は毎週末カフェにこもって自らアプリの設計に没頭した。その後、独学で制作したプロトタイプを元に、外部エンジニアの力を借りながら本格的に開発を開始した。それまでに前例のないアプリの開発だったが、約1年後にはリリースにこぎつけるという離れ業をやってのけた。
「以前から脳内にイメージがあったから独学でもプロトタイプを作れたんでしょうね。ただ結局は、自分が使いたいものでないとダメだと考えていたから熱中できたんだと思います」
今でこそ世間に認知されるようになったミライロIDだが、当初は「一民間企業が開発したアプリは認められない」という理由で、さまざまな企業から導入を断られ続けた。
そんな状況を打破するきっかけとなったのが、鉄道業界で初めて導入を決意してくれた企業の存在だった。いったん火がつくと続々と参画が増え、交通機関では最初の導入から1年8カ月後には100社以上の鉄道会社が導入するという、垣内氏の想定を超えるペースで広がっていった。リリースから約3年がたった22年4月末時点で、ミライロIDの導入事業者数は3524社にまで達している。
日本が紡いできた多様性をアップデートする役割
障害者を取り巻く日本の環境について今、垣内氏は何を思うのか。講演などで同氏はよく、日本における多様性の歴史について口にする。わが国は決して昔から障害者に対して不寛容だったわけではない。その考えをこんなふうに語る。
「歴史書を読むと、例えば班田収授法では障害者にも口分田を与えると同時に、税も課していたとあります。障害者は重度、中等、軽度に分けて、程度に応じて適切に課税していたと。つまり日本では、1300年も前から多様性に配慮した制度作りをしていたんです。また、徳川幕府では2人の障害者が将軍を務めています。戦時中こそ障害者は不遇の時代を送ったものの、それ以外の時代は必ずしも障害者への対応が蔑ろにされていたというわけではありません。だからこそ、脈々と受け継がれてきた多様性と向き合う風土を絶やしてはいけないし、広げなくてはいけない」
諸外国に比べて、障害者対応で日本が立ち遅れているわけではないとも主張する。
「地下鉄のエレベーター設置率はパリが3%、ロンドンが18%、ニューヨークが25%であるのと比べ、札幌98%、東京96%、仙台、横浜、名古屋、大阪、京都、福岡は100%ですから、かなり高い数字です。日本がいかにきめ細やかに、障害者に対する環境整備をしてきたかが分かります。また、敗戦国で傷痍軍人が多かったことから、障害者手帳は日本が世界で最初に導入しました。これができたからこそ、割引制度や障害者と向き合うきっかけが生まれたのだと思います。そうして紡いできたさまざまなことをアップデートする役割を、ミライロという会社がしっかり担っていくと同時に世界に伝えていきたい」
SDGsの流れに乗って、障害者を含む多様性への意識の高まりは、世界的なトレンドである。しかし、一時的なブームではなく持続させていかなくてはいけない。そのためには単なる社会貢献ではなく、ビジネスとしてしっかり確立させる。垣内氏の思いは今、そんな未来へと向かっている。