バーチャル空間上の暮らしが充実すれば人が移動しない時代が来るのかもしれない。メタバース的なサービスと航空産業は本質的に相性が良くないようにも見える。しかし、ANAホールディングスは子会社を設立し、バーチャル技術を活用した新たな旅の形を模索してきた。メタバースが浸透した時、旅や暮らしはどうなるのか。文・聞き手=和田一樹(雑誌『経済界』2022年10月号より)
時空を超える旅客機に乗って新時代の旅がはじまる
航空会社もメタバースに取り組んでいる。ANAホールディングスは、2020年、「ANA NEO」を立ち上げ、バーチャルトラベルプラットフォーム「SKY WHALE(仮称)」の開発・運営を進めてきた。
SKY WHALEのコンセプトは、「時空を超える旅客機」。スマートフォン、タブレット等各種端末からアクセス可能な旅のプラットフォームになる。世界中からアクセスが可能で、海外の友人や実家の両親たちと一緒に旅を楽しむことが可能だ。利用者はアバターを通じて、旅や買い物、イベントなどを体験できる。「Skyパーク」「Skyモール」「Skyビレッジ」という3つのサービスを予定しており、22年度末頃から順次スタートする。
Skyパーク
リリース当初のメインサービスがスカイパークだ。アバターを通して旅と冒険ができるテーマパークを目指す。スカイパークでは、全世界の有名観光スポットを360度カメラなどで撮影し、バーチャル空間上に再現することで気軽に世界旅行ができるものから、より没入感の高いリッチな旅が体験できるものまで用意する予定となっている。旅先は現実世界に限らず、例えば、織田信長が生きていた時代の京都を見に行くなど、時間的な制約を超えた体験が可能だ。また、アバターに衣装を着せて、物語の主人公になりきる体験ができるサービスも計画している。
Skyモール
スカイモールは、アバターでモール内を歩き、買い物やイベントなどを楽しめるサービス。プラットフォーム内で使用するバーチャル・アイテムや、日本各地の特産品などリアル世界の物販も行う予定で、その他イベント等も予定している。
Skyビレッジ
展開時期が少し先になるスカイビレッジは、前述の旅やイベントなどエンタメコンテンツを少し飛び越え、ヘルスケアや教育、行政サービスなどの要素を含めて、人々がメタバース空間内で新しい日常を送れるようなサービスを視野に入れており、やや先の未来を見据えたサービスを予定している。
人が集まる空間を作りtoBビジネスの舞台に
―― 「SKY WHALE」によって旅はどう変わりますか。
冨田 すごく詳細なガイドブックだと思ってもらうとイメージしやすいかもしれません。メタバース上に、リアルで没入できる観光地を再現することができれば、本やネットで見ている以上に現地に行きたい気持ちを喚起できるはずです。世界最大手の旅行口コミサイトを運営するTripadvisorさんなどとも協力しながら、メタバース上に旅の見どころを提供していく予定です。いずれは旅にまつわる情報をわれわれから一方的に供給するだけでなく、ユーザーが魅力的な旅先を見つけ、各自で盛り上げていく。そんな未来もさほど遠くないと思います。観光に関する情報のエコサイクルが自然と生まれ、旅に出かける人が増えることを期待しています。
―― 逆に誰も旅行に行かなくなってしまって、ANAの本業としては困るのではないですか。
冨田 そういった議論は社内でもありましたが、むしろ世界観を精巧につくればつくるほど実際にリアルに旅をしたくなる人が増えるはずです。
YouTubeやSNSでも観光地の情報発信は人気コンテンツですが、それで人々が満足して旅をしなくなるということはありません。あるいはエンタメ作品の聖地巡礼という現象がありますが、魅力的なコンテンツと関連した場所があれば人は実際にその場が見たくなる。ですからメタバースの取り組みは本業にもプラスの影響を生むと思っています。
―― コロナで落ち込んだインバウンド復活にも寄与できそうですね。
冨田 そうですね。日本人向けに海外の情報を提供することはもちろんですが、海外の観光客に向けて日本の魅力を発信し地方創生に貢献したいという狙いが強くあります。
京都など現実の街をメタバース上に再現するにあたって、肖像権や知財などクリアすべき課題も多くあります。各地の地銀や自治体の方々の協力は欠かせないと思っておりますので、地域との連携体制を強化するためにも本事業の資金調達は地銀を調達先としています。プラットフォーム上で、それぞれの地域の物産品を販売する仕組みも構築していますので、地域の方々と連携して盛り上げていきたいと思います。
―― ANA NEOでは、「SKY WHALE」を通じてどんなビジネスを行っていきますか。
冨田 大きな理想を言えば、新しいライフスタイルを提案する中でtoBビジネスのプラットフォームを目指したいと思っています。
しかし最初からそういう世界観を目指すと一般利用者は集まりません。いま、さまざまな企業がメタバース関連サービスに取り組んでいますが、最大の課題は人が滞留していないことです。それではメタバース空間として広がりがありません。ですから、まずは人が集まることが重要です。
―― 人が滞留するために必要なことは何でしょうか。
冨田 ターゲット層を間違えないことや、コミュニケーション機能を充実させることなどもありますが、何よりエンタメ性です。やはり楽しくなければ人は集まりません。今回、われわれが総合プロデューサーとして、「ファイナルファンタジーXV」を世界的に成功させたJP GAMESの田畑端氏と手を組んだのもエンタメ性を高めるための選択です。日本国内のみならず海外からの評価も高いJP GAMESとタッグを組むことで、旅をテーマにした世界最高水準の仮想空間を実現していきます。
そこに加えて、われわれは旅行事業で獲得した3700万人のマイル会員の基盤があります。そうした方々に、メタバース世界が決して縁遠いものではないことを実感していただくことも、利用者の獲得には大きな要素だと思っています。魅力的な旅をつくり、人が集まるメタバースサービスを作ることで、やがてはビジネスプラットフォームとして展開し、新しいライフスタイルを提供していきたいと思います。