慣れた分野を離れ新たな道に挑む。そんな時ほど破るべき壁は無数に存在する。今年4月、SOMPOひまわり生命保険(ひまわり生命)の社長が交代した。新たなトップの久米康樹氏は、40代になってから介護事業への挑戦を経験するなど、生命保険に捉われないキャリアを歩んできた。久米氏に、挑戦者の流儀を聞いた。聞き手=和田一樹 Photo=山内信也(雑誌『経済界』2025年9月号より)
久米康樹 SOMPOひまわり生命保険社長のプロフィール

くめ・やすき 1972年生まれ。95年に東京大学を卒業し、安田火災海上保険(現:損害保険ジャパン)入社。2016年、SOMPOホールディングス介護・ヘルスケア事業部特命部長兼SOMPOケア取締役社長室長、24年、SOMPOひまわり生命保険取締役など要職を経て、25年4月、SOMPOひまわり生命保険社長に就任。
グループの総合力を武器に健康応援企業の先へ
―― 今年4月、ひまわり生命の社長に就任されました。事業環境をどう認識していますか。
久米 当社は前任の大場(康弘氏)の時代に、健康状態に応じて保険料が割り引かれたり、特定の健康指標が改善すると一時金が支払われたりする「健康増進型保険」を強化しました。
背景には、健康応援企業としてお客さまとより深くつながろう、そして日本が直面する少子高齢化という課題に貢献していこうという狙いがあってのことです。結果的に健康増進型保険は多くのお客さまに支持していただき、戦略の方向性は正しかったと思っています。
一方で、生命保険産業は損害保険や大手銀行ほどには企業の収れんが進まず、現状でも国内に40社以上が存在しています。そして、各社それぞれが介護事業に参入したり福利厚生事業を合わせて展開したりと工夫を重ねています。ですから、非常に厳しい競争環境にあると認識しています。
―― そういった中で、ひまわり生命はいかにして成長を目指していきますか。
久米 これまで通り健康応援企業として磨きをかけていくとともに、SOMPOグループのシナジーを生かすことが重要だと考えています。これはグループ全体の戦略でもあり、実際にお客さまの健康・介護・老後資金に関する不安を希望に変えることを目標に掲げ、グループ横断で「ウェルビーイング事業」をスタートさせています。
当グループには介護事業を手掛けるSOMPOケアや特定保健指導事業を行うSOMPOヘルスサポートもあります。そういった他の事業と連携することで、ひまわり生命の事業を強化することができ、お客さまに提供できる価値も幅広く、より深いものになると確信しています。
とはいえ、保険業界は現在信頼回復が求められており、祖業の足元の生命保険事業も同時に責任をもって取り組んでまいります。
―― 久米さんはどんなキャリアを歩んできたのでしょうか。
久米 1995年に安田火災に入社し、20代は損害保険の営業、30代は自動車保険の商品開発セクションで多くの時間を過ごしました。その後、人事や経営企画などのコーポレート部門も経験しながら、40代で介護事業に移ったというのがざっくりとしたキャリアの歩みです。
一見すると生命保険とは畑違いの人間が社長になったような印象を持たれるかもしれません。ただ、当社は先ほど説明したように事業間のシナジーを生かすフェーズです。キーワードは、「つなぐ・つながる」ということで、ひまわり生命が単体でやってきたことに加えて、SOMPOグループの各事業がつながってお客さまに新たな価値を届けていくことを目指すわけです。
生命保険事業という意味では私は新参者かもしれませんが、当社が置かれている文脈からすればむしろ介護事業を経験していることがまさに求められている役割だと理解しています。
―― SOMPOホールディングスがM&Aにより介護事業に本格参入したのは2015年のことでした。グループとして新たな挑戦であり、久米さん自身にとっても40代で新たな分野への挑戦だったはずです。どんな心持ちでしたか。
久米 介護分野はSOMPOグループの中で戦略事業として定義され、大きな投資をしての参入でした。ですから、介護事業へ異動の辞令が出た際は、やりがいは申し分ないだろうし、良い機会を頂いたなと感じました。
ただ、特に最初の3年間は難しい思いをすることが多かったです。
腹落ちして話ができないと統合プロセスは進まない
―― 特にどんな部分に難しさがあったのでしょうか。
久米 介護事業という経験のない事業で、規則・周辺環境・経営課題も全く異なる異分野であり、そうした理解をするところから苦労はありました。また、同時期に介護事業会社を2社M&Aしたという事情があり、2社同士の統合も同時に進める必要があったのです。そして、M&Aした2社は、研修制度・企業文化・オペレーションまで、さまざまな面で違いが多くありました。
それぞれの違いに対し、折衷案にすべきなのか、あるいはどちらかに寄せるべきなのか。統合作業をリードすべきわれわれ自身に介護事業の知見がありませんから、そこで非常に難しい判断を迫られました。
―― 当時、久米さんはSOMPOホールディングスにおける介護・ヘルスケア事業部特命部長であり、介護事業に本格参入したことで誕生したSOMPOケアでも取締役社長室長という要職にありました。いかにして融合を進めたのでしょうか。
久米 保険産業から来た出向者が介護事業の経営管理にあたるといっても、介護事業の皆さんからすれば「何も分からないくせに」となるのは一定の本音です。ですから、私自身もM&A先の企業のみなさんと普通に会話をしてもらえているなと思っても、そこは謙虚に受け止める。言葉をそのまま受け取るだけではなく、相手方の心境を想像することは常に続けました。
その上で、まずは建設的な対話による会議運営を心掛けました。例えば、2つの会社それぞれ個別に話を聞けばお互いにどんな話をしていたのか気になりますし、組織内に余計な疑心暗鬼を生みます。ですから、対話はできるだけ両社が同席する場でオープンに行い、公平性を担保しました。
また、結論決め打ちでわれわれが主導権を握ってどんどん決めていくこともできたのかもしれませんが、それをすれば議題1ですぐに答えを出せても、議題2、議題3は必ず進まなくなります。急がば回れの気持ちで、あえて1度の会議で答えを出さずに持ち帰り、2回、3回と場を重ねて進めていったような内容もありました。
お互い本当の意味で胸襟を開き、腹落ちして話ができないと統合プロセスは進まないことばかりですから、そんなようなことには腐心していました。
問いて、質して、考えて座学と実地で学ぶ

―― SOMPOホールディングスにとって、そして久米さん自身にとって介護という全く新しい産業に挑戦するという意味ではどんな壁がありましたか。
久米 まずは、当然ですが産業として常識の違いに直面しました。生命・損害保険は全国一律の許認可に基づき商品を販売するのですが、介護事業の場合は厚生労働省および地方自治体で許認可がなされています。そのような中で、全国でいかにオペレーションの均質化を実現するのか、そしてスケールメリットを最大化するかは大きな課題でした。
また、介護事業の現場は365日24時間をご利用者の皆さまに寄り添うことが求められます。保険産業だけをやっている限りは直接介助するような業務はありませんから、監督任務を果たすために要求される知見も不足していました。
経営管理や内部監査を担う人材は第一線より上位の知識がなければジャッジができません。ですから、新しい産業の構造や規則を勉強するところから始まり、非常に苦労も多かったのです。
―― 壁を破るために、どんな工夫をしたのでしょうか。
久米 時間が許す限り現場を見る。いろんな人に話を聞く。ミーティングで分からないことがあれば必ず問い質す。そんなことをたくさんしました。
とはいえ、聞いたことを鵜吞みでいいのかという疑問もあります。そこで、現場の声を聞くことと並行して、自分自身で体系立てたデスクトップの勉強も行いました。
具体的には、徹底的に書籍にあたりました。書店で介護コーナーの棚の前に立てば無数の本があります。それを片っ端からと言っては大げさかもしれませんが、例えば、介護福祉士の資格、介護報酬制度の概要、日本における介護報酬制度の変遷、ケアマネージャーの仕事、厚生労働省が定めているレギュレーションなど、サブジャンルごとにこれ!という本を選んで全て読みました。
こうした経験は、ひまわり生命の社長になった今でも生きていると感じます。ここまでお話ししたように、私は生命保険事業だけをやってきた人間ではありません。だからこそ、まずは徹底的に現場の話を聞く。そして、知識を体系立ててキャッチアップする。そういったことを心掛けていきたいです。
組織で壁を乗り越えるために危機感と当事者意識を底上げ
―― ひまわり生命の社長として、特に注力するのはどんな部分ですか。
久米 大きな方向性については、冒頭で申し上げたようにSOMPOグループ各社でつながってお客さまのウェルビーイング向上に貢献していくことです。その上で、私個人としては足元の組織改革に注力したいと考えています。
具体的には、デジタル、データ、AIの利活用。中でもAIについては、特に保険産業の業務オペレーションには活用の余地が多くあると考えています。おそらくAIは他社に先駆けて導入することで競争力を向上させるツールというよりも、いずれ各社が当たり前のように使うインフラになるものです。
ですから、実際に業務プロセスをどこまで効率化でき、生産性をどこまで高められるか精査を進めている最中ですが、いずれにせよAI活用を模索するのは必ず行うべきことであり、逆に乗り遅れたら一気に競争力を失うものだと考えています。
―― 社長の任期を終えた時、ひまわり生命がどう変わっていたら一番うれしいですか。
久米 いろいろな要素がありますから、一言でまとめるのは難しいですね(笑)。
ただ、自身のパーパスを大事にしながら、自発的、自律的に動く社員の多い組織風土をつくることができたら、職責を果たせたと言えるのだと思います。
健康・介護・老後資金に関する課題を解決するというわれわれの事業は、まさに日本が直面する課題に挑むことであり非常に充実したテーマであるはずです。そして、前述の通りデジタル、データ、AIの変革期に挑戦できるという時代環境もある。加えて、保険産業はまさにお客さまの信頼を回復しなければならない途上にあります。
当社が置かれたこれら3つの外部環境は、社員それぞれが自身のキャリアについて考え、各々が挑戦を重ねるフィールドとしては打ってつけだと思います。私は社長として、学ぶ文化と企業風土、成長機会を提供することを約束しますので、ぜひ社員には自身の成長に向けて真正面から挑戦してほしいと思います。
―― 少子高齢化、AI活用、顧客からの信頼回復など、大きな壁を組織で乗り越えようとしたとき、トップとして何が重要だと思いますか。
久米 乗り越えようとしている課題に対し、組織全体で同じレベルの危機感と当事者意識を持ってもらうこと。トップの果たす役割はこうした環境をいかにしてつくれるかに尽きるのだと思います。
例えば、少子高齢化やAIの利活用を例に見れば、世代によってとらえ方は必ず異なります。言い方は難しいですが、ある意味で向き合わずとも逃げきれてしまう世代もいるわけです。
そうなってしまっては組織で大きな壁を破ることは難しいでしょう。ですから、トップ自身が今ある課題を次世代に先送りしないんだと、言葉と行動で発信し続けることが重要なはずです。
ともすると、すごく地味なことに見えるかもしれません。でも、危機感や当事者意識を本心で共有し、大きな共感を抱きながら働くメンバーが一人でも増えれば、組織全体のアクションの質と量が2倍にも、3倍にもなります。だからこそ、トップが周囲に働きかけ、当事者意識を底上げするのです。
組織風土の話ですから、いきなり分かりやすい結果は出ませんし、100点満点もありません。ただ、社長の職責を次の人へ託す時には、組織風土の変化を実感できたらうれしいだろうと思います。

