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世界で勝負する映画人・川村元気 物語のないゲームを映画化した狙い 川村元気

川村元気

映画プロデューサー、映画監督、小説家などエンターテインメント業界でストーリーテラーとして活躍し、映画やアニメの企画制作を手掛けるSTORY inc.の代表も務める川村元気氏。監督・脚本を手掛けた新作『8番出口』を掘り下げ、川村氏の思考と仕事観に迫る。聞き手=武井保之 Photo=逢坂聡(雑誌『経済界』2025年10月号より)

川村元気のプロフィール

川村元気
川村元気
かわむら・げんき 1979年生まれ。上智大学新聞学科卒。2011年に「藤本賞」を史上最年少受賞。16年、企画・プロデュースした映画『君の名は。』がロサンゼルス映画批評家協会賞を受賞。12年に発表した初小説『世界から猫が消えたなら』は35カ国で翻訳出版され、累計270万部を突破。22年、自身の小説を原作として脚本・監督を務めた映画『百花』が「第70回サン・セバスティアン国際映画祭」にて最優秀監督賞を受賞。25年、脚本・監督を務めた長編第二作『8番出口』が「第78回カンヌ国際映画祭」正式招待作品に選出。

インディーゲームを映画化 日本人的表現で世界へ

熱森エンタメ 『8番出口』メインカット
202510_熱森エンタメ_『8番出口』メインカット:©2025 映画「8番出口」製作委員会

―― 新作『8番出口』では監督と脚本を務めています。企画経緯を教えてください。

川村 3年前に自著を映画化した『百花』で監督・脚本を手掛けたときに、海外の映画祭で監督賞を頂くなど、世界からの反響がとても印象的でした。日本の批評は、俳優など有名人の観点で語られることがほとんどですが、欧米では作り手の観点からの評価がスタンダード。プロデュース作の『怪物』(是枝裕和監督)が「第76回カンヌ国際映画祭」で脚本賞とクィア・パルム賞を受賞したことも相まって、日本でヒットさせることも大事である一方、グローバルでも広く見てもらえる映画を作りたいと考えるようになりました。それがスタートにあります。

―― 世界を見据えたときに、なぜインディーゲームの『8番出口』に着目したのでしょうか。

川村 『百花』では、認知症の母が見ている世界をワンカットの長回しで描きました。本来つながらない空間や時間を結びつける手法が、海外で評価された。それは、夢とうつつや、彼岸と此岸の境目を縫い合わせるような日本人的なマジックリアリズムであり、その映像表現を使った映画を作りたいと考えていたときに出会ったのが『8番出口』です。

 クリーンで整理整頓された地下通路がループする、東京的なデザインにまず惹かれました。同時に地下通路から出られなくなる感覚は、ニューヨークやロンドン、上海など世界中に共通している。極めて東京的な意匠で、世界共通の恐怖感覚を、自分が得意とするマジックリアリズム的な映像で表現することで、全世界を驚かせたいと考えたのがもともとの着想でした。

物語のないゲームの世界を能舞台に見立ててテーマ付与

―― プロデューサーではなく、脚本と監督での参加の背景には、本作のクリエーティブ面へのこだわりがあったのでしょうか。

川村 元々プロデューサーとして映画を作りながらも、小説や脚本も書いてきました。一部の日本人は職務を分けたがる性質がありますが、ハリウッドではクリント・イーストウッドは最高の俳優であり監督でもある。ブラッド・ピットも現在はプロデューサーの仕事のほうが多い。職能による縦割り組織は日本的ですが、世界の映画界は違う。そこを横断してどう作品を作るか。そういう作り方を発明したいと思っていました。

 ゲームの『8番出口』には物語がありません。ナラティブがないゲームの世界を能舞台のように見立てて、小説家という自分のアイデンティティを生かしてテーマやストーリーを付与していく。加えて、細田守監督や新海誠監督と作ってきたアニメーション的な表現方法を実写に持ち帰ることで、僕にしかできないユニークな映画になるのではと。

―― そこに川村さんならではのストーリーテリングがあるんですね。

川村 ループする白い空間を、ダンテの『神曲』における「煉獄編」と見立てました。人間の内心にある罪を〝異変〟という形で目の当たりにし、地獄と天国どちらに行くかを問われる空間と解釈したんです。

 もうひとつは、この空間が人間の体内だったらと考えました。生と死を司る、胎内にいろいろな時間の概念が入り混じっている。また、地下鉄の黄色い案内表示は『2001年宇宙の旅』のHALのような、いわば神なる存在であり、その無機質な看板が人間の在り様を見つめているのかもしれない。

 ことほど左様に、あのシンプルな空間にさまざまなテーマや物語を見立てたうえに、ループするボレロの音楽や、エッシャーの騙し絵のような美術空間、アニメーション的な映像手法を取り入れて、観客の感情を誘導する。ビデオゲームを映画化するというより、ゲームと映画の境目を曖昧にすることで、あたらしいエンターテインメントの体験を創出する。さまざまな表現に携わってきた、自分にしか作れないクリエーティブを目指しました。

―― ラストシーンを観て、この地下通路には人の人生そのものが封じ込められていると感じました。

川村 面白い解釈ですね。このゲームは、前に進むか、引き返すかを繰り返すゲームです。人生において絶えず人は二択を迫られていて、それに対して選択を繰り返すことで向かう方向が決まる。われわれの人生も気づけばループのように生きていたりするなかで、「目の前に迫られた二択や異変に気付いていますか?」ということも暗喩として問いかけています。

―― 劇中では、主人公に大きな危険が迫るときがあります。そのシーンからの流れは、現代社会における人々の情報への接し方や意識の在り方へのアンチテーゼ的なメッセージがある気がします。

川村 『百花』でも描いたテーマです。主人公は認知症の母と接していく中で、健常なはずの自分もいろいろなことを忘れて生きていることに気づいていきます。ジャンルはまったく違いますが、根底にあるテーマは共通します。映画館に来た観客が、どこか日常に即した体感を得ることを重視して作りました。

―― エンターテインメント性の高い作品にもなっています。演出で意識したことを教えてください。

川村 溝口健二監督の『雨月物語』が好きです。溝口監督は、この世界で一番怖いのは〝現実を見失うこ

と〟だと示しています。その感覚をどう作り出すかを意識しました。一方、スタンリー・キューブリックの『シャイニング』も好きで、一番頼りになるはずのお父さんがおかしくなっていくのが怖い(笑)。現代的なギミックを複雑に張り巡らせながらも、サイコスリラーの古典からもヒントをたくさん得ています。

―― 世界中の人がどこかに共感しそうな盛りだくさんの内容が詰め込まれています。

川村 映画はレイヤーが多いほうがいい。ティーンエージャーたちは「おじさんが怖い」みたいなポップな楽しみ方をする。一方で大人が見れば、そこに映される「人生」を垣間見たり、ダンテの『神曲』のメタファーを感じたり、芸術家のマウリッツ・エッシャーの騙し絵を映像にしていると読み解く人もいるかもしれない。リッチな映画とは、ポップな楽しみ方から、高尚な深読みまで、複数のレイヤーが共存しているものだと思います。人それぞれの楽しみ方がある映画を作りたいと考えています。

カンヌ映画祭で異例の高評価 世界でどこまで勝負できるか

レッドカーペット【(c)Kazuko Wakayama】
202510_熱森エンタメ_レッドカーペット:©Kazuko Wakayama

―― 「第78回カンヌ国際映画祭」の公式上映では、スタンディングオベーションがしばらく鳴り止まなかったそうですね。

川村 想像していた何十倍もの反響がありました。カンヌ国際映画祭は、映画の可能性を切り開く作品が集まる映画祭です。映画にはまだ新しい表現がある。まだ映画にはやれることがある。そういう新規性のある映画を求める観客や、参加したメディアから強烈なリアクションを受けたことはうれしかったです。欧米メディアの取材を受けた際、どの国のインタビュアーも作品への自分の解釈を延々と話すんです。まさに理想とした反応でした。観客が映画館を出た後も、映画のナラティブが続くのが僕の理想です。それが起きていた確かな手応えがあります。

 ビジネス面でも、ほぼ全世界での配給が決まりました。日本の実写映画で公開前にここまで決まるのは異例です。

―― その評価をどう受け止めていますか。

川村 前述の重ねたレイヤーが効いたと考えています。エンターテインメント性だけではドメスティックになりがちだし、文学性だけでも広がらない。映画としての評価と同時に、興行的な価値も感じてもらえることが理想。日本の実写映画がその両方を取りにいくには、海外の映画祭に持っていくしか術がない。しかし、映画祭に行くことがゴールではない。

 日本にはこういう表現の映画もあると知ってもらうことが今回のカンヌの目的でしたが、夢として思い描いていたことが現実になりました。

―― 川村さんの映画作りは、常に世界を見据えているのでしょうか。

川村 製作面では、超日本的に作ろうと思っています。日本流の表現や作り方で、世界でどこまで勝負できるかはずっと考えています。僕らの表現をどこまで理解してもらえるかの挑戦でもありますが、日本式の職能の縦割りではいつまでも世界に追いつけない。そこを意識的に壊して、作り方を発明するとユニークな映画が生まれる。尊敬する佐藤雅彦さんの言葉を借りると「作り方を作る」。いつもそれを意識しています

―― 川村さんにとっては、アニメも実写も、プロデューサーも監督も小説家もすべてが地続きの仕事になるわけですね。

川村 その通りです。そのなかで大事にしているのはストーリーテリング。映画でもアニメでも小説でも、一貫しているのはストーリーをどう作って、何で伝えるか。物語とキャラクターを創る力こそが、日本人が世界で勝負できる能力。そのことに自覚的に、世界に挑んでいます。