経営者コミュニティ「経済界倶楽部」

最低賃金1千円時代だからこそ中小企業経営者に問われる覚悟

大槻経営労務管理事務所代表社員 大槻智之

(雑誌『経済界』2026年1月号より)

大槻智之 大槻経営労務管理事務所のプロフィール

大槻経営労務管理事務所代表社員 大槻智之
大槻経営労務管理事務所代表社員 大槻智之
おおつき・ともゆき 1972年生まれ。2010年明治大学大学院経営学研究科経営学専攻博士前期課程修了。経営学修士。1994年現在の社会保険労務士法人大槻経営労務管理事務所に入所。銀座支社長、統括局長を経て、2016年代表に就任。

 日本人の給料は、長く上がらずにきた。しかしデフレ社会からインフレ社会への転換や人手不足と相まって、状況は大きく変わった。2023年、最低賃金が全国平均で初めて1千円(時給)を超えた。そして25年には47都道府県すべてで1千円を突破した。今後もこの傾向が続くことは間違いない。

 賃上げは国の施策にも沿ったものだ。そのためこの流れを止めることはできない。しかし地方の中小企業などにとっては賃上げは深刻な問題となっている。「人手不足倒産」という言葉もあるように、働き手を確保することができずに苦しむ企業は多い。かといって給料を無理をして引き上げて人材を集めても、今度は人件費が経営を圧迫してしまう。つまり給料を上げても上げなくても厳しいことに変わりはない。本来であれば、人件費が増した分を価格転嫁できればいいが、それがなかなかできないところに日本の賃上げの問題点がある。

 本来、価格は需要と供給のバランスで成り立つ。人手不足の日本で給料が上がるのはある意味必然だ。ところが30年間続いたデフレによって「安さが正義」との価値観が固定化されてしまった。ここに来て原材料費の高騰による商品の値上げは受け入れられるようになってきたが、なぜか賃上げによるコスト上昇とそれに伴う価格転嫁はなかなか受け入れられないのが現状だ。中小企業にとっては悩ましいところだ。

 企業にとっての悩みは他にもある。人材を確保するために給料を上げる。だからといって人材が定着するとは限らないからだ。結果的に採用コストばかりかかってしまうケースも珍しくない。給料や労働時間、休日などの条件は「衛生要因」だ。欠けていると不満につながるが、満たしても意欲の源にはならない。働く動機は、むしろ「やりがい」や「承認」、あるいは「共感」などの内的な要因に左右される。

 だからこそ、経営者に求められるのは、単に賃上げをすることではなく、自社に合う人材を見極め、価値観を共有できる組織をつくることだ。求人で「残業が少ない」とアピールしても、実態と違えばすぐに離職につながる。むしろ、自社がどんな会社で、何を大切にしているのかを正直に伝え、「自分に合う」と思う人を採用するほうが長期的には定着率が高い。

 社員が「ここが自分の居場所だ」と思えるためには、評価制度も重要だ。努力や成果が正当に承認されない組織では、優秀な人材ほど離れていく。相対評価の仕組みには限界があるにせよ、少なくとも「頑張っても報われない」と感じさせない工夫が必要だ。承認こそ、現代のモチベーションの核心である。

 一方で、離職率そのものを過度に恐れる必要はない。人の入れ替わりは、ある程度、組織にとって健全なことでもある。全員が長く居続ける会社よりも、常に新しい風が入るほうが活力が保たれる。

 ただし、必要な社員に残ってもらうためにも、「居場所」をきちんと提供することが必要になる。その上で残った人が会社の理念や方向性に共感しているなら、組織は自然と強くなっていく。