日本で販売される自動車の4割は軽自動車。軽は日本独自規格のため、海外メーカーは参入できなかった。この市場に、中国のEVメーカーであるBYDが乗り込もうとしている。迎え撃つのは日本の軽市場をつくってきたスズキ。両社がジャパンモビリティショーで火花を散らせた。文=ジャーナリスト/伊藤憲二(雑誌『経済界』2026年1月号より)
BYDの軽進出に意表突かれた日本勢
日本の自動車業界最大の祭典である東京モーターショー改め第2回ジャパンモビリティショー。超高級車、スポーツカー、商用車、果ては1人乗りの超小型モビリティまで多種多様なクルマが出品される中、興味深い対決を見せたのが小型車の雄であるスズキと中国の電動車メーカー、BYDである。
自動車ショーにおけるクルマの対決といえば通常、商品や技術の戦略、新奇性のあるビジネスアイデアなどが焦点となるが、スズキとBYDの対抗軸はそれとは異なる。出品したのは共に軽自動車規格の小型BEV(バッテリー式電気自動車)だが、思想は別物。そこにあるのは経営哲学の対決だった。
10月29日のプレスデーにおける両社の説明会の熱気は互角。出展規模は東京ビッグサイトの南ホールを独占したトヨタグループが圧倒的に大きかったが、プレゼンの〝熱量〟ではスズキとBYDがずぬけており、東西両横綱の感があった。
スズキのスピーチは鈴木俊宏社長が一人でこなした。スズキを世界的メーカーに押し上げ、自動車業界の名物経営者として名を馳せた先代の故・鈴木修氏とは対照的に柔和で物静かなタイプの俊宏氏だが、スピーチでは声高に、両手を振り上げ、時にガッツポーズを見せながらビジョンを熱くアピールした。
「われわれは2030年に向けた新中期経営計画で新たなコーポレートスローガンを作りました。それが『BY YOUR SIDE(あなたのそばに)』です。今、モビリティ業界は大きな変化の渦中にありますが、私たちはどんな時代においてもあなたの思いに寄り添って、それぞれの国、地域の事情に合った方法で、世界中のあらゆる暮らしの悩みを解決します。あなたにワクワクのアンサーを」
一方、「地球の温度を1度下げる」を標榜するBYDの日本法人、BYDジャパンの劉学亮社長は元より陽気なキャラクター。日本の大学で学位を取り、日本企業でキャリアを積んだこともあるだけあって、日本語を話せる。
今回のショーのプレスブリーフィングでは唯一、原稿を映すプロンプターを使用せず、アドリブで演説した。日本語が流暢とはいってもネイティブでないため、ところどころおかしな表現がみられたが、それがむしろ親しみを感じさせたのもたしかだった。
「皆さん地方に行ってみてください。長野、鳥取、島根、佐賀。そこでは軽自動車がまさにその街の風景であります。そして夜になりますと暗くなる一方であります。そこで私たちは考えました。電気自動車による軽自動車を提供させていただきましょう。日本で私たちは(BYD日本進出から)20年も暮らしました。All for Japan。ワクワクする未来をここから始めましょう。日本にフルコミットしています。BYD」
俊宏社長と劉社長のスピーチは共に絶叫と言っていいものだったが、共通点はそれだけではない。
トップのスピーチといえば大抵、経営者本人を格好良くみせたり、企業の優越点を強調したりといった要素が含まれがちだ。両社のスピーチにはそういう要素がほとんどなく、自分たちが顧客や社会のために何ができるのか、何をやるべきなのかということをひたすら語るビジョントークそのもの。それがこの2社のプレスブリーフィングを際立たせたと言える。
スズキが目指すアルトBEV版
一方、両社がモビリティショーに出品した軽BEVのコンセプトカーを見ると、経営哲学の違いを明確に感じ取ることができる。スズキはクルマの電動化時代においても経済弱者を取り残さないこと、BYDはBEVの大量販売でCO2削減量を拡大することを正義としており、それがクルマづくりに如実に表れていた。
スズキのコンセプトカー「VISION e-Sky(ビジョンeスカイ)」は後席のドアが横方向に開閉するシンプルなヒンジドアを備えた軽BEV。航続距離の国交省審査値については日産自動車の軽BEV「サクラ」の1・5倍にあたる270キロメートルを目指している。
この270キロメートルという目標は、単に長く走れるほど便利という考えで設定されたものではない。
軽自動車といえばシティコミューターと評されることが多いが、地方ユーザーにとっては都市走行を満たすくらいの能力ではとても足りない。長距離通勤、地方の中核都市との往復、近隣県の商業施設までの遠乗りなどをこなせて、初めて生活の足とすることができる。地方都市である静岡・浜松に本社を置き、地方の軽自動車の使われ方を熟知しているスズキならではの知見がその数字に込められているのだ。
BEVの走行可能距離を延ばす方法として一番簡単なのは、バッテリーを大量に積むことだ。が、バッテリーはBEVの中で最もコストがかかる部品であり、搭載量を増やせばそのぶん高価になり、低所得者層が買えないクルマになってしまう。スズキが挑戦しているのは、バッテリーの容量を抑えながら270キロメートルを走れる、低価格の軽BEVづくりなのである。
それを実現させるには、電気を食わないBEVにするしかない。そのためには車体を軽く、空気抵抗を小さくすることが要求される。もちろん便利さや安全性を犠牲にすることなしに、だ。
ビジョンeスカイは全高が1620ミリメートルとあまり高くない。全高1700ミリメートル以上の商品が売れ筋となっている軽自動車市場では、商業的に不利になる可能性があるが、スズキはそれを押して軽く、かつ空気抵抗を小さくつくることを選んだ。軽自動車で人気の装備である前後スライドドアを採用せず、前述のヒンジドアにしたのも軽量化と低価格化の一挙両得を目指すためだ。
バッテリー搭載量を削り、装備も極力シンプルなものにして、日常生活に必要とされる能力を持つクルマを安く提供するビジョンeスカイは、軽自動車ビジネスで発展したスズキの原点となっている「アルト」を電動化時代において再解釈したクルマなのだ。
BYDの軽BEVは、ビジョンeスカイとはアプローチがまったく異なる。「ラッコ」という可愛い名前がつけられた新モデルは全高1700ミリメートルオーバーの、いわゆる軽スーパーハイトワゴン。普通車も含め、日本市場で最も販売台数が多いカテゴリーで、日本最多販売モデルであるホンダ「N-BOX」をはじめ、高い競争力を持つモデルがひしめき合っている。BYDはそのメジャーカテゴリーに直接切り込むことになる。
床下にバッテリーを敷き詰めてもなお十分に広い室内空間、良好な視界、クセのないあっさりとしたデザイン、後席の電動スライドドアなど、完全に日本の女性客をターゲットにした商品性である。安全性も重視しており、日本の衝突安全試験JNCAPで普通車と同等の5つ星を獲得することを目指しているという。これまで軽自動車をつくったことがないメーカーとしては相当に機動的、挑戦的な開発姿勢だ。
長距離型、短距離型の2種類のバッテリーを用意しているのも特徴。タイヤサイズが165/60R15と普通車に近いものであることから、車両重量はそれなりに大きいことがうかがい知れる。ビジョンeスカイと異なり、価格を抑えながら長距離も走れるという仕様ではなく、長距離を走りたいユーザーは大容量バッテリー版、価格を重視するユーザーは小容量バッテリー版と、選択肢を広げることで多様なニーズに応える構えである。
航続性能はラッコ長距離型、ビジョンeスカイ、ラッコ短距離型の順になると予想される。
BYDが選択したスーパーハイトワゴン
BYD関係者はラッコを軽スーパーハイトワゴンにした理由について「エコカーは数が出てこそ効果を発揮する。一番人気の車型にするのは必然」と語った。
地方ユーザーの日常の足となるのに十分な能力を持つ軽BEVを経済弱者でも購入可能な価格で提供するという〝人中心〟思想のビジョンeスカイと、マジョリティ需要のど真ん中を突くことでCO2の削減効果を高めることを主眼とした〝地球中心〟のラッコ。まさにスズキとBYDの両社の経営哲学の違いが如実に表れたと言えよう。
これはどちらが正解という話ではなく、どちらにもそれぞれの正義がある。スズキは地方部である静岡の浜松に本拠地を置き、長年軽自動車ビジネスを続けてきたことから、軽自動車ユーザーの実態を熟知している。
「軽自動車ユーザーにとって200万円がひとつの心理的抵抗線。それにどれだけ近づけるか、あるいは切れるかがわれわれのチャレンジ」(スズキ関係者)というスタンスはその知見の表れである。
気になるのは、驚異的な価格競争力を見せてきたBYDがラッコをいくらで売るのかということだ。
鈴木俊宏社長はモビリティショーの直前に「過度な価格競争は好ましくない」と発言しているが、これにはそれなりの理由がある。
BEVの中で最もコストがかさむバッテリーを手の内化しているBYDのコスト競争力は凄まじいものがあるが、今の価格の安さは純粋な競争力だけでなく中国政府が企業に支給する補助金の後押しもあるとみられる。それをバックにビジョンeスカイの市販版と競合するような価格設定をされたら、経済弱者を取りこぼさないというスズキの正義が崩れてしまう。それを牽制するのは当たり前のことだ。
が、企業間の競争というのは元来阿漕なもので、権勢を拡大するために特定商品を原価割れで販売した例は中国企業に限らずよくある。軽BEVを巡る新たな死闘がモビリティの明るい未来を築くのか、それとも消耗戦となってしまうのか。
ともに2026年度の発売が予告されている両社の軽BEVの対決が興味深い。

